変な家族
この物語はフィクションです。
登場する人物は何処にでもいる奴らです。
俺の名前は小柳レオ。
4月に私立大学に入学した18歳。
バリバリの大学生だ。
俺は鬼婆ことお袋と二人暮らし。
この婆さん、実に規格外。
行動パターンは予測不能。
面白いなんてもんじゃない。
婆のおかげで我が家は普通じゃない。
俺の家族がほかとは違うことに最近になって気が付いた。
お袋と二人で暮らしているけど、一人っ子じゃない。
希少価値の高い、3人兄妹の真ん中だ。
7歳上の兄貴に言わせると「一番、影の薄い存在!」失礼な奴だ。
お袋は「希少価値が高い次男坊」という。
理由を聞いたら、一人娘と結婚できる最高の条件だと!
まあ、影が薄いよりはましだろう。少子化も進んでいることだし。
怖い兄貴は渡米中。おそらく、当分は帰国しないだろう。
上手くすれば青い目の嫁さんを同伴するか、米国に永住するか?
そして、目の上のタンコブ、邪魔な妹のレイラ。
奴は某国立大学医学部の一年生。そして18歳。
なぜか、俺と妹は同じ年。つまりツインズ!
それなのに一方は国大医学部、こちらは三流私学の社会学部。
どうゆう遺伝子を受け継いだのか、勉強の成績は対照的。
「お前なんか生まれてこなきゃ良かったんだ!」
俺が怒鳴ると泣いていたのは昔の従順だった妹。
最近は「レオが余分でしょ!?」と言い返す。ますます婆に似てきた。
兄貴がナオ、俺がレオ、妹がレイラ。どうゆう命名だ?
「こんな名前をつける親の顔が見たい!」と言うと
「こんなんだよぉ!」と婆さんが自分を指さす。
漫才をやりたいわけじゃない!
俺がキレても、相手になる家族は居ない。孤独な俺!
やっぱり、影が薄いのだろうか?
親父は昔、居たらしいが俺は知らない。
俺がなんで社会学部に進学したのか?
もともと、社会系科目が好きなわけではない。
それどころか、勉強自体が好きじゃない。
小学校から通ったエスカレータの私学で一番広い門を選んだ訳だ。
「狭き門から入れ」が正しいが、まあ同じようなものだろう。
俺の成績でも入れたのだから大学のレベルは高くない。
進学という選択の場で俺は一番楽な道を選んだ。
高校生の俺にはやりたい事も好きな仕事も特に無かった。
「安易さ」を基準に選んで、何が悪い!
兄貴は俺を文系と呼ぶが、婆は体育会系という。
確かに一度は体育大学への進学も考えた。
運動は好きだがシゴキや地道なトレーニングは嫌いだ。
俺は自由気ままな大学生活をエンジョイしたかっただけだ。
俺が兄貴や妹に勝てるのは体育だけ!それも全種目パーフェクトだ。
兄貴や妹は俺よりはるかに運動音痴。それでも水準以上かなぁ。
俺達兄妹の得意な種目はスキーと水泳だ。
俺の場合はそれにサッカーとバスケットが加わる。
婆に言わせると「スキーは全国大会、水泳は県大会レベル」だと!
どうしてあの鈍い連中が代表になれるのか不思議だ。
しかし、俺達のタイムは婆の言うとおりのレベルだった。
兄貴は「お前の滑りは反射神経と勘だけだ」と言っている。
何も考えずに滑る方がタイムが良いのだから仕方ない。
妹までが「レオの頭は筋肉だもんね!」と軽蔑顔。
俺の頭が筋肉だと言われるには訳がある。
小学生時代に俺は少年サッカーチームのキャプテンをやっていた。
ある対抗試合にレイラが婆と応援にやって来た。兄貴も来ていた。
その頃は知らなかったが、婆さん、サッカーの経験もあるらしい。
応援していた婆が「頭を使って!」と怒鳴った。
俺は大声で「ヘディングか?」とこたえた。
「バカ!使うのは頭の、な・か・み!」
得点もしていないのにチームの応援席がどっと沸きあがった!
それ以来、俺の頭は筋肉だとからかわれる。
スキーをやっていると3学期は学校に行く暇が無い。
お陰で、中学高校の成績は散々、進級するのがやっとという有様だ。
ところが、一緒にスキーに出かける妹は不思議に成績が良い。
学校のレベルも俺は3流大学の付属高校。
あいつは、ダチが知れば大騒ぎになる某有名お嬢様学校だ。
学校のレベルも高いが、奴の成績もトップクラスだ。
奴は関西の国大に合格して家を出て行った。
「何で関西なんだよ〜!」と言ったら、あのやろう・・・
「だってT大は難しいんだもん」だと、ふざけるなぁ〜!
一人暮らしがしたかったと大喜びだ。ちくしょう!!!
「何で俺だけが鬼婆と暮らすんだ〜ぁ!」と文句を言ったら・・・。
「独り立ちしたいなら、就職すれば?」と婆にいわれた。
兄も妹も学費が安いと婆は言うけど、兄貴こそ社会人になれよ!!
双子と言うのは不思議な存在だ。
居るのが当たり前、居なくなると不安定だ。
しかし、時としてとても邪魔な存在となる。
永遠のライバル!・・・と思っているのは俺だけか?!
双子でも俺達は性格、資質がまったく違う。
なぜか、姿は似ているらしい。
保育園時代に俺とレイラで洋服を取り替えた事がある。
当時は俺の方が強かった。妹を脅してお袋をだましたわけだ。
洋服を取り替えた俺達にお袋は全く気が付かない。
レイラには俺の緑のカバンをもたせ、俺には赤いカバンをかけた。
何時もとは逆に俺を自転車の前に乗せ、レイラを後ろに乗せた。
婆だけではない。朝の騒然とした中で保育園の先生も気が付かない。
先生を騙した事で、大満足の俺だったが、そうは続かない。
立ち小便ができずにレイラが泣き出し、悪戯がばれてしまった!
保育園の先生は俺を叱ったあと、連絡帳にせっせと書いている。
婆に怒られる!俺はドキドキだった。
ところが、婆の反応は・・・。
「保育園の先生、面白い事を考えるねぇ!!
レオとレイラが洋服変えたって直ぐに判るのにねぇ!!」
どこを見ているんだか・・・?
雪国育ちではない俺達がスキーをやるのは婆のせいだ。
婆は大学スキー部のマドンナだったらしい。本人の話だから信頼性は低い。
後輩達の合宿があると、OGとして参加していた。
俺達は赤ん坊の頃から荷物と一緒に運ばれた。
鬼婆は「立てれば、歩けなくてもスキーができる。」と考えた。
仮説を立てると、直ぐに実験をしたがるのは理系の人間の悪い癖だ。
実験材料にされたのは勿論、俺だ。俺は一歳の誕生日を前にスキーを履いた。
何で、レイラでなく俺なんだ!
兄貴が赤ん坊の時は背負子に入れて背負ったまま大学生にスキーを教えたという。
流石の婆も俺とレイラをまとめて背負うのは難しかったようだ。
俺達は早い時期から道具を与えられ、ゲレンデのスターになった。
スキー場では、不思議なことに俺達は女の双子に間違えられた。
婆の手抜きで髪の長さも同じぐらい、洋服も下着以外は兼用が多かった。
兄貴のお古も二人で交互に着ていた。
俺達が女に間違えられるのは、イマイマしい髪の毛だ。
細くて柔らかい髪の毛は、婆の遺伝でクルクルの巻き毛だ。
赤ん坊の頃の俺とレイラの写真はキューピー人形とそっくりじゃないか。
ゲレンデでは二人を見た女子大生に「かっわい〜ぃ!」と言われる。
妹は大喜びだが、俺は屈辱で顔が赤くなった。
俺やレイラが5歳になると大学生もたじたじだった。
ゲレンデではチョロチョロと好き勝手な方に飛んでいく!
以心伝心、俺の考えはレイラに伝わる。
好き勝手にカットブ俺達に奴らが追いつけるものか!
こっちは曲がった事が嫌いだぜ!一直線で下降する。付いて来てみろ!
俺とレイラの子守当番をさせられた学生は確かに上達した。
婆は俺とレイラのヘルメットに無線機を仕込む技を使った。
追いつくのがかったるいので無線でリモート操縦しようと言う腹だ。
レイラは別として、俺をコントロールするのは大変だったと婆が言う。
「レオが一番、右と左を覚えるのが遅かったから・・・」ほっといてくれ!
俺もレイラも一応、入試に合格して別々の小学校に入学した。
私立の小学校は入試がある。小学校受験用の予備校だってあるんだ。
面接の時に電話番号を聞かれた俺は、祖父母の家の番号を答えた。
誰も居ない自宅に電話をかけることは無い。家の電話番号など知るわけがない。
でも、合格したのだから、結果オーライだ。
俺は兄貴の卒業と同時に、その私立小学校に入学した。兄は隣の中学校舎に移った。
「お前が合格したのは俺の成績が良かったからだ」と兄貴は言う。
それは本当かも知れないと俺も思う。
レイラは間違いで有名な私立のお嬢様学校に入学した。
俺と張り合っていたレイラが、お嬢様になれるわけがない!
予想どおり、奴は学校の普通でない生徒になった。
多くの親は子供が普通でないと、大変に気になるらしい。
婆はそんな事は考えてもみない。そもそも婆の辞書に「普通」という規格がない。
婆が規格外であった事で、俺はどれだけ救われたか・・・。
学校からの親の呼び出しもしばしばあったと記憶する。
「お宅のお子さんはチョッと元気が良すぎて」と言う先生に、
真顔で「ハイ、元気だけが取り得の子です。」と言ってのけた。
先生は何のために婆を呼んだか失念したらしい。
学校に呼ばれて先生に何を聞いて来ても、婆は俺に説明を求めた。
俺は正直に婆に説明した。俺は嘘がつける程、頭が良くない。
最後まで話を聞くと婆は、最後に「それで?」とたずねた。
俺はどうしたら良いかを自分で考えるしかなかった。
婆からはスキーだけでなく、水泳も習った。
俺達が婆の中に住んで居た時も兄貴と泳ぎに行ったという。
「だって、二人も入っていたら、重くて運動できないから・・・」
妊婦って運動するものなのか?俺は経験できそうも無いけど・・・?
奴の運動は半端ではない。
婆が俺達に泳ぎを教えたというが、俺の記憶にはない。
俺達が1歳になる前から、婆は水泳の特訓をしたらしい。
「日本は島国なんだよ!四方を海に囲まれているのに!泳げないなんて許せない」
だからって、1歳にならない俺達を水に放り込むか?
婆は学生時代に子供に水泳を教えるバイトをしていたとか!
「ベビースイミングってあるんだよ〜」と婆はいう。
兄から聞いた俺たちの水泳トレーニング方法とは・・・。
兄貴が俺、婆がレイラを抱き、プールに入る。
第1ステップ、1・2・3で抱いたまま潜る。
最初は水を飲んだ俺達も慣れると息を止めるようになる。
第2ステップ、兄貴と1m離れて向き合う。
1・2・3でお互いに抱いた赤ん坊を相手に渡す。
だんだん、兄貴と婆が離れる。
俺もレイラも向こうにたどり着かないと溺れる。
必死で俺は婆に向かって進み、レイラは兄貴に向かう。
俺達は小学校に行く前に泳ぎを覚えた。
小学校に行くようになると、俺達は兄の通うスイミングに行った。
放課後は学校から学童保育に行き、レイラと合流して夕方まで過ごす。
夕方になると、迎えに来る兄貴と一緒にスイミングに向かう。
たかが、一時間の練習だか、休まずに泳ぐ一時間はかなりの距離だ。
俺もレイラもクタクタだ。晩飯を食いながらウトウト眠り込む。
「俺たちのスイミングは婆の仕事時間を確保するためか?」
中学生になった俺がレイラに言うと「レオ、知らなかったの?」
おかげで俺もレイラも兄貴と地域の水泳大会に出場し、何枚かの賞状を貰った。
水泳は一年中、スキーは雪のある季節。
それだけでは物足りず、俺は少年サッカーチームに入った。
二人同時に生まれた為か、俺もレイラも体が小さい。
大きな奴らを出し抜いて、小さい俺が飛び出すとファンが歓声をあげた。
俺はサッカーチームのエースになった。
水泳の試合は夏が多いが、出場したのは低学年の時だけだ。
夏休にスキーキャンプに参加するようになったからだ。
俺とレイラは兄貴の参加するニュージーランドキャンプに同行した。
兄貴の出発を送りに行き、俺が成田で泣いてゴネタのが理由と言われる。
おかしい、泣いてゴネタのは俺だけではない。レイラもだ。
俺は自分も行きたくて泣いたが、レイラは兄貴と離れるのが寂しくて泣いた。
結果は同じじゃないか。
兄貴が最年少の参加者だったキャンプに俺達が加わった。
婆に言われて引き受けたコーチも変人だ。俺とレイラの奔放性を知らないな!
俺達はペンションのオーナーの子供達と意気投合した。
当時を思い出すが、あの時に俺達が何語で話していたのか、記憶が怪しい。
俺もレイラも英語は知らない。彼らも日本語を知らない。
それでも遊ぶのには支障がなかった。
TVの英会話のCM、あれは嘘だ。日本語で「あそぼう」といえば子供には通じる。
子供と大人では勝手が違う。ゲレンデで兄貴やコーチとはぐれると迷子になる。
俺とレイラは決して離れなかった。いつも、双子のように一緒に居た。
コーチのおもわく通り、俺とレイラのコントロールは海外では安易であった。
気が付くと俺もレイラも片言の英語を話していた。
俺は婆と離れて暮らす、夏の一月間を寂しいと思わなかった。
兄貴もレイラも一緒だ。何が寂しいものか。
大人と一緒の練習に参加して、俺もレイラもへとへとになる。
ペンションに戻ると飯を食ってベットに潜り込む毎日だ。
朝まで記憶がない。レイラも疲れからか、元気がない。
ある夜、夢か現実か、俺は胸が痛くて飛び起きた。
何か変だ。気が付くとレイラが毛布を被って泣いている。
「来いよ!」俺はレイラを呼んだ。
俺のベットでレイラは俺にしがみついて泣きじゃくった。
寂しかったのか?ゴメン、気が付かなかった自分が情けなかった。
幼い頃、出張するお袋が俺達を祖父母に預けた事がある。
昼間は元気だったレイラも俺も夜になると無性に心細かった。
あの時もレイラは兄貴ではなく、俺にしがみついて泣きながら眠った。
俺は昔を思い出し、俺を頼るレイラが愛しかった。
次の日、レイラは元気になった。
高3の夏は、流石の俺も受験時期と思い、キャンプを断念した。
それまで俺とレイラは毎年、8月をニュージーキャンプで過ごした。
進学の関係で兄がキャンプに参加しなくなると俺とレイラは更に結束を固めた。
先日、ふと思いついて、レイラに言った。
「夏のニュージーってさぁ、俺達を追い出す婆の作戦かなぁ?」と俺。
「夏は里子に出してユックリ仕事できるって!ママ、喜んでるよ」とレイラ。
何だと!知らなかったのは俺だけか!憤慨する俺にレイラが言った。
「どっちだっていいじゃん、お陰でスキーは上手くなるし、英語も喋れるし」
う〜ん、そりゃそうだが・・・。
水泳は早い時期に県大会が精々だと俺は悟った。
本気でやればもう少し良いタイムが出るとは思うが、その気力も無かった。
早朝練習、放課後の練習が夜中まで続く選手コースを見ていて思った。
地道がトレーニングが嫌いな俺はトップスイマーにはなれない。
それでもトレーニング代わりにスイミングは続けていた。
でも、俺にとってサッカーは違う。俺は本気だ。
俺達の少年サッカーチームは強かった。同期のメンバーは粒揃いだった。
俺達は地区大会で順調に勝ち進んだ。
準決勝がスキーの国体予選とぶつかった。
俺は兄が部長をしている中高のスキー部に加わり毎年、国体予選に参戦していた。
国体は高校生にならないと出場できないが、県予選は滑れる。
小学生の俺は高校生相手に本気で勝負していた。
「レオ、決勝は必ず出てくれよ!今回は俺達に任せろ!」
副キャプテンで親友のミノルが熱く語った。奴は鉄壁のキーパーだ。
「レオ、高校生に負けるな!頑張って来い」
チームメイトの激励をうけ、俺はスキーの試合に出場した。
国体予選を通過した兄貴には負けたが、良いタイムだ。
高校生と互角のタイムに大満足で戻った俺を待っていたのは・・・。
「レオ、ゴメン!負けた」目を真っ赤にしたミノルだった。
ミノルは俺と違って、体がでかい。俺は彼の肩にも届かない。
鉄壁のキーパーとして、ミノルは各チームの監督にも一目置かれていた。
無失点記録を更新してきた彼の、たった一点の失点で負けた。
小さな俺と大きなミノルは肩を抱き合って泣いた。
ミノルは俺に「ゴメン」と謝り、俺はミノルに「ゴメン」と詫びた。
俺達の引退試合の日が来た。毎年恒例のチームイベントだ。
卒業する6年生と、引き継ぐ5年生の対抗試合だ。
終了後に余興イベントで父母との試合も行われる。昔は父兄との試合だった。
現役のサッカー部の兄が出場して問題になり、父母チームに変わった。
去年は引退試合で挑戦者の俺達が6年生に勝つという番狂わせが起こった。
「奇跡的に」とコーチは言ったが、実力だと俺達は思っていた。
今年の俺達に番狂わせはあり得ない。
俺達は5年生チームを手玉に取り、右に左に振り回した。
ミノルのゴールは鉄壁だ。後は俺が点を入れればよい。
俊足のタカと俺はチビのツートップと言われ恐れられている。
多くの場合、タカのアシストで俺がゴールを決める。
この試合で俺はハットトリックを達成した。
5−0だった。後の2得点はタカだ。
二人でのハットトリックを狙って、後半は俺がアシストした。
後、5分あればダブルでハットトリックが達成できたろう。
5年生のキーパーのカイトが泣いているのを見て心が痛かった。
「お前に後を頼むんだ」俺はカイトに言った。
イベントの父母戦のメンバー表を見て、俺はぶっ飛んだ。
婆が出ている。それも希望者がでないキーパーだ。
「何で出るんだよ!皆も親父がでているんだぞ!」
「だって、父は居ないし、兄も出られなくなったでしょ!」
「でも、キーパーなんてできるのか・・・」
「走り回るの疲れるジャン!」
俺は呆れて言葉がでない。
試合が始まった。運動不足と言っても大人は手ごわい。
体もでかくて、歩幅も広い。体当たりをすれば此方がぶっ飛ぶ。
ミノルがゴールに居る。頑張ってくれミノル、試合後半は敵がバテル。
俺達は極力、親父達を走らせる作戦でパスを回した。
後半に入ると狙い通りだ、親父達が息を切らせ始めた。
ボールを目で追いながら、止まって肩で息をする姿を横目にパスを回す。
何度かボールがゴールに向かって飛ぶが運悪く得点にならない。
俺のシュートもゴールの上、ゴールの右と外れた。
婆は動かない。動けるわけがない。キーパーは簡単じゃないぜ!
そもそも、婆はキーパーって何をするのか知っているのだろうか?
これは決まったと思った、マサシのシュートが婆に当たって跳ね返った。
そろそろヤバイ、時間がない。点を入れないとドローでは赤っ恥だ。
俺はゴールの右を狙って懇親のシュートを放った。
やった!次の瞬間、俺は『バシッ』という音とともに恐ろしい光景を目にした。
俺の放ったシュートは正面で受け止めた婆の両手に収まっていた。
ワーと歓声が上がった。何時の間に移動したんだ。
ヤバイ、俺とタカは焦った。点を取らなきゃ、時間切れだ!
親父達は付いて来れない、パス回しとドリブルでディフェンスは振り切れる。
タカからの絶妙のパスが来た。ナイスアシスト!
俺は「食らえ!」とゴールの左隅を狙って絶妙のシュートを叩き込んだ。
思ったコースにボールが弧を描く。
『バシッ』、横に飛んだ婆がボールを手に落下した。
立ち上がって、パンパンとズボンの泥を払い、ボールを蹴る婆の姿。
俺の目にはスローモーションで写っていた。
まるで、本物のゴールキーパーみたいだ・・・。
ピピーィ!!試合の終了を知らせる無情のホイッスルが遠くで聞こえた。
俺の青春が終わった。
その後のお別れ会はブルーだった。
俺達はぼろ負けした、5年生よりも落ち込んでいた。
去年は6年生の鼻をあかし、有頂天になっていたお別れ会。
今、俺達にも去年の6年生の気持ちがわかる。
帰りの車の中でレイラが俺に寄りかかった。
寝たふりをしているが、呼吸で判る。レイラが俺を気遣っている。
「何も小学生を相手に本気にならなくても・・・大人気ないなぁ。
キーパーをやっていたんだろ、中学時代にサッカー部で!」助手席の兄が言った。
「違うよ、中学は水泳部よ、冬は練習できないからサッカー部やっていたけど、
でもね、相手が真剣なのに本気でやらなきゃ失礼でしょ。わざと負けて喜ぶ?」婆が言った。
確かに、婆は俺達に手加減をしない。幼い頃から、厳しい。
ゲレンデで大人と接触しそうになったときも幼児の俺はバッチリ叱られた。
大人がよけるのは当たり前だと思っていた俺に婆が言った。
「スキーでは上手な方が譲るの。レオには充分によける技術がある。」
下手な人がコースを変更するよりも上手な方がよければ安全だ。
婆は俺に大人に言うように説明した。一つの事をするのに大人も子供もない。
俺もレイラも幼い頃から婆からは一人前に扱われていた気がする。