ロンギヌス艦隊、演習
官民合わせて一万人以上の死傷者を出す大惨事となった海上自衛隊呉基地爆撃事件から十五年。首謀者である謎の勢力は自分達を「神の使者ス」と名乗り、事件当日に太平洋上に浮かぶ人口百数十万人の巨大な人工島「ガーデンフロート」を占拠し独立を宣言。現在まで一切の対話をもたないまま時間だけが過ぎていた。
表向きは国連軍の武力による封じ込めが功を奏してアポストロスによる反乱は鎮静化され事件以来一度も各国への攻撃は行われていないとされてはいるが、実際には島内部の情報が全く把握できず救うべき島民も倒すべき敵も特定できないまま打つ手が見つからずに膠着状態が十五年間続いているにすぎなかった。
偵察に飛ばした数機の無人機は電波妨害により使用できず、高高度偵察機はアポストロスの物と思われる対空兵器により撃墜。軍事先進国が保有する最新鋭ステルス機や潜水艦、強襲揚陸艇などの隠密兵器も通じず、何処からともなく降ってくる炸薬弾による攻撃を受ける為に島から二百六十海里以内には迂闊に近付くこともできていない。衛星軌道上に浮かぶ軍事衛星は自動操縦でガーデンフロートを上空から偵察する事に成功したが、蓮の葉を数枚海の上に浮かべたような島の形や表面上に変化はなく成果は得られなかった。
業を煮やした連合国総司令部は弾道ミサイルや艦砲射撃などによる島への攻撃や多数の空母打撃群を派遣し物量に物を言わせた島の奪還及びアポストロスの壊滅作戦を提案するが、その無差別性や人工島の壊滅的な被害による沈没の恐れを懸念した反対派が多数を占め、結局承認されることはなかった。
「やぁやぁ浅野里空三等海曹、今日も演習ご苦労様」
「ああどうも、お疲れ様です」
日本国海上自衛隊所属の対アポストロス艦隊派遣隊の内の一隻、護衛艦あまつゆ。その甲板で最近練習艦から移ってきたばかりの新米海上自衛官、浅野里空が清掃作業をしていると恰幅のよい中年男性が声を掛けてきた。
今回の国連艦隊の演習は午後一時には終了し、まだ日も高く快晴の空からは春過ぎの穏やかな日差しが降り注いでいる。大海原の真っ只中に吹く潮風は肌に纏わり付くような湿り気を帯びていて心地よい環境ではなかったが、船乗りにとっての日常の一部である海の風は浅野にとっても何故か落ち着くものになっていた。
海の上とは言えあまつゆの周辺には僚艦である他の護衛艦や原子力空母、フリーゲート艦やミサイル駆逐艦など多数の艦艇が浮かんでおり、その一番端に浅野達がいる訳なのだが地平線が望めるのはガーデンフロートがある方角の右舷だけであり反対側は灰色の艦隊だらけである。
「今日も素晴らしく怒鳴られてたねぇ」
「はは…またお恥ずかしいところを…」
浅野に話し掛けて来たのは「護衛艦あまつゆ」に同乗しているジャーナリストの畑中謙三だった。畑中は護衛艦の乗組員としては浅野よりも歴が長く、今回は対アポストロス艦隊の取材も兼ねて同行していた。
「俺は君みたいなのを取材しに来たんだ。上官に蹴飛ばされながらも国民の生命と財産を守る為に奮闘する新米自衛官、良い絵が撮れたよ!」
「…それは何よりです」
がははと大口を開けて笑う畑中を横目に浅野は苦笑いを浮かべつつ、甲板に転がった速射砲の薬莢をひとつひとつ拾い袋に詰め込んだ。
「ああそうだ、宗方艦長から許可を貰って来たからちょっと話し聞かせてくれないかな」
「ではこれだけ運んでしまうので食堂で…」
「いやここでいい、と言うかここが良いんだ。艦内ってのは狭苦しくてどうも頭が冴えなくてね」
「…はあ、そうですか」
畑中は癖っ毛の頭をぽりぽりかくと、首から下げたカメラをガーデンフロートがある方向へ向けておもむろにシャッターを切った。
「君はあのガーデンフロートって場所をどう思ってる?」
「えっと…何ですか唐突に」
浅野は手に持った薬莢で満帆の布袋を三つ足元に置き、畑中越しに姿の見えない人工島を眺めてみた。
資料で初めて見たときは本当にこんな物を人が造り上げ、海の上に浮かんでいるのかと驚いたのを覚えている。
「いやね、あそこは元々沈んじまう島の島民を救うって名目で先進各国の共同出資の元造られた国連管轄の人工島だろ?」
「ええ、そう説明されています」
「それがどうだ、出来上がる直前に隔離施設になり、果ては武装集団のアジトになっちまった」
「ええ…」
ガーデンフロートの当初の建造目的は地球温暖化に伴う海面の上昇により沈んでしまう島の島民を救済することであったが、約二十年前に五歳から二十四歳の若年者の間で世界的に突然発生した未知のウィルスの感染者を隔離する為の施設として使用される事となり、沈みゆく島の島民二万人の他に七十万人を超える感染患者と特効薬開発の為に集められた医師や研究員が島に住む事となった。その他にも島に設置された造水施設や発電施設、ライフラインや食料の自給自足を支えるプラント、廃棄物処理施設などの運用及び維持管理を行う技術者。事業の委託を受けた何業種もの企業から派遣されて来た数多の社員達。治安を守る国連の治安維持部隊とその管轄下で編成された島へ入る人や物資の審査を行う組織、それら全てを統べるガーデンフロート島の管理組織などが駐留している為に島の人口は百万人を優に超え、たった五年で様々な国籍の人々が入り混じる大都市のような存在となって行った。
「俺は一度だけあの島に行った事があるんだが、どこもかしこも島と言うにはあまりにも無機質でね。三つのブロックにそれぞれ…そうだな例えるなら六本木の高層ビルの数十倍はあるどデカイ建物が建っててな、その周りに綺麗に並べられた商業施設やら公園やらがあるんだ」
畑中は浅野を振り返らず地平線を眺めたまま昔を懐かしむように話した。
「ま、その時見られたのは一般居住区だけだから、感染者が住んでる赤島がどうなってるのかは知らんがね」
浅野は資料でしか知らないガーデンフロートの風景に畑中の見た景色を重ねて想像してみる。
海面上に鉄骨で組まれた地面は綺麗に舗装され島の大部分を占める地上千二百メートルの円錐形のセンタービルと呼ばれる複合ビルを中心に放射状に伸びる道を人々が行き交い、定期的に行き来する無人の地下鉄で直径約八キロメートルの島内を自由に移動する。島での生活は可燃性燃料と原動機付きの乗物の所有と使用が禁止されている以外は日本の都市の暮らしと遜色がなく、感染者居住区以外は基本的に英語とアメリカドルを使用してランチから娯楽までが楽しめる。
そんなひとつでも十二分に巨大な人工島はブルーリーフ、グリーンリーフ、レッドリーフの全部で三つが建造され、その総称がガーデンフロートだ。
畑中が言った赤島は日本での通称で、感染者とその関連機関があるレッドリーフのことだ。
国連軍の軍事基地と沈みゆく島の島民や食料プラント、発電施設などがあるグリーンリーフが緑島。特効薬の研究施設や島の管理維持機関で働く者達が住み、娯楽施設が多数存在するブルーリーフが青島と言われており、諸外国向けの見学会は主にこの二つの島で行われ、島同士も地繋ぎである為に比較的行き来がしやすくなっているが、レッドリーフだけは違うらしい。
「でも、畑中さんは赤島を遠目では見れたんですよね?」
「いんや、見えたのはセンタービルだけで他はこれまた高〜い防波壁の所為で青島のどこに行っても何も見えなかった。青島のセンタービルも途中の階から窓がなくなるせいで外は見えなかったしな。海中ビルなんか地下千五百メートルまで行っても丸窓はあったのによ」
畑中はそこで思い出話を終わらせると、溜息をひとつついて振り向きカメラを地平線を眺める浅野に向けるなりシャッターを切った。
「ちょっ、なんですか急に!」
「いいじゃない減るもんでもない」
畑中はがははと大口で笑いながら恥ずかしがる浅野へカメラを向け続ける。
あまりにもしつこいので浅野が薬莢で満帆の袋を抱えて艦内へ戻ろうとすると畑中はペロリと舌を出して浅野を呼び止めた。
「すまんすまん。で、浅野三曹はあの島についてどうお考えなのか、そろそろお聞かせ願えないかな??」
「もう、始めから普通にしてて下さいよ」
浅野は少し膨れて見せるが畑中の悪ふざけはいつものことである。今回もたいした効き目はないだろう。
「自衛官である私にとってあの島は、日本人が住む守らなくてはならない物のひとつですよ」
「教科書通りのお答え、ありがとうございます」
「なんですか、そのリアクション」
浅野は片眉を持ち上げる畑中を見て呆れたように言った。
「確かに私の父は呉爆撃の際に出撃して帰って来ませんでした。だから個人的な恨みはあります。でも私怨私情だけで働いていい程楽な仕事じゃないんですよ、自衛官って」
「あ!ごめんね!そんなつもりじゃなかったんだ!」
「いいですよ、畑中さんが計算して会話出来ような人間じゃないのは分かってますから」
浅野の言葉に畑中は慌てたが、浅野は逆に笑って見せた。
畑中を馬鹿にし返せたようで少し心地がいい。
「じゃあ掘り下げるようですまないんだが、お袋さんには反対されなかったのかい?」
「勿論されましたよ。父を亡くして一人息子のあんたまで亡くす訳にはいかないと」
浅野は言葉尻を濁すように言った。
当時の母の泣く顔が思い出されて胸が痛むのだった。
「それでも自衛隊を受けたんだ?」
「ええ、二十二の時に初めて」
「…初めて?と言うと?」
「一度落ちたんですよ。母に黙って勝手に受けました。その際に当時父の同僚の方がたまたま面接官をしておられて、敵討ちが目的なら自衛官にはさせられないとキッパリ言われましてね。今思うと母に手を回されていたのかもしれませんね」
浅野は何でもない風に笑顔で話す。
ただ内心では誰かに話しておきたかったのかもしれなかった。自分の生い立ちを話すと言うのは自衛官同士でもよくする事ではあるが、誰かの死に纏わる話しは軽い気持ちで出して良いものでもない。その点、畑中ならば気兼ねなく話せて楽なのだ。
「へぇー、まぁそりゃ母親なら当然だわな。それでももう一回受けたんだ?」
「ええ、翌年に」
「敵討ちは諦めて?」
「そうですね、気持ちは入れ替えました」
気にしていないとは言ったが、ここまでずかずかと過去に踏み入れるのはジャーナリストであるが所以だろうか。
畑中はいつの間にか取り出していたメモ帳とペン、それにボイスレコーダーを器用に操り浅野の話しに真剣に聞きメモを取っていた。
「私が自衛官になりたかったのは父が亡くなる前からだったので、初心に戻って。父の遺志を継ぐために、父のようなかっこいい自衛官になりたくて母も説得して…って少し幼稚ですかね」
「いや、いいんじゃないか。かっこいいってのは男の子の憧れる最高の要素だろう。俺なんかそれだけで陸に入ってたんだから。ま、ラーメンが食えないのが辛すぎて三年で辞めたがね」
「何ですかそれ」
がははと笑う畑中につられて浅野も自然と笑顔になっていた。
きっと憎めない人間と言うのはこう言う人の事も言うのだろう。上官のような信頼のおける人間に殴られた時とはまた違った憎めなさがある。
浅野はひとしきり笑うと一息ついてもう一度ガーデンフロートの方角へ目を向けた。
ガーデンフロートから現在の位置は三百海里、だいたい五百五十キロメートルである。地上千二百メートルの巨大ビルの先も地平線に沈む程遥か彼方に浮かぶ人工島では十五年と言う月日が経った今、島の外との交流を絶った状態でいったいどれくらいの人々が生き残っているのだろうか。わかっているのは定期的に発信されるメッセージ映像に映るアメリカ人の少年が、時が経っても成長していない、ひいてはアポストロスが十五年前に撮影した映像を流し続けていると言う事だけだ。
この打つ手のない膠着した状況を打破できるのは浅野達の所属する対アポストロス艦隊、通称ロンギヌスと、今もなお和平交渉の為の通信を試みているオーストラリアに拠点を置いた国連の別働隊のみである。
今はせめて、呉を爆撃したアポストロスの保有しているオーバーテクノロジーとも思える異常なステルス性能と機動性能を持った長距離機や艦艇が出てこない事を祈るばかりなのが口惜しいばかりであった。
「コラッ浅野!貴様何をボサッとしとるか!!そんなにスクワットがしたいか!!」
突然聞こえた怒号に浅野はビクッと身体を痙攣させすぐさま艦内から出てきた狭間上官へ向き直り背筋を伸ばして直立した。
眼だけで畑中を見るとこちらも直立してチラリと浅野を見た目線とぶつかる。そして、指を揃えた右手を顔の前に持ってくると、すまんと合図を送ってきた。どうやら宗方艦長に話を通してあると言う話しは嘘だったようだ。
浅野は心の中で溜息を吐き、またもや上官にスクワット地獄を見せられるのかと思ったその時だった。
『総員に告ぐ。非常事態発生、直ちに配置に就け、これは演習ではない、直ちに配置に就け、繰り返す、非常事態発生…』
艦内のスピーカーに艦橋からの放送が響き、辺りに浮かぶ艦からほぼ同時に戦闘準備を知らせる警報ベルが鳴り響いた。
「浅野!貴様の処分は後だ!配置に…」
瞬間、耳を劈く破裂音が襲い、艦体が大きく揺れた。
「早……艦…!浅野…畑…!!」
上官が叫ぶ声が遠くに聞こえる。
浅野は身体の前面に感じる冷たい感触が何なのか理解するのに時間がかかった。
「大丈…浅野くん…立って!歩…」
この野太い酒枯れした声は畑中か。
浅野はズキンと痛む側頭部に片手をやり朦朧とする意識で何とか地面を感じ取ると、畑中に半分抱えられながら立ち上がろうと両脚に力を込める。
右眼の辺りに感じる暖かい感触はたぶん血液だ。痛む側頭部からの流血だろう。畑中の手荒い補助の所為で揺らめいている視界が更にボヤけている。
「………すまん」
浅野の身体を揺らしていた手荒い補助の動きが止まり、左耳の付近で野太い声がそれだけ言った。
浅野は朦朧とする意識の中で畑中顔を見ると、畑中はガーデンフロートの方を静かに見つめていた。
突然撃ち込まれた砲弾に辺りに浮かぶ艦艇も一斉に応戦している為にミサイルやら速射砲やらの発射音で殆ど何も聞こえず、その後に畑中の口が動いているのは見えたが何を言っているのかわからなかった。
浅野は何となくガーデンフロートの方を見る。すると白煙の尾を引く幾つもの飛翔体がこちらへ向かってくるのが見えた。
「すまねぇ…はるか…」
畑中は浅野の耳元で囁いた。
ボヤけた頭だってわかりきっていた。あれはガーデンフロートから飛んできたレーダーの通用しないステルス性能付きのミサイルだ。今頃はCICじゃイージス艦からの指令で全弾撃ち落とす準備をしているのだろうが、もう肉眼で見える距離まで迫っている。どうやったって間に合いっこない。僚艦だって状況は同じだろう。艦隊を維持できなくなれば国連軍側は敗走を余儀なくされるがどうだろうか。
浅野は畑中と同じく覚悟を決めて、数秒程で着弾するであろうミサイル群を眺めることも止めて目蓋を閉じた。