プロローグ
「ごめんくださ~い」
恐る恐る扉を開けると、カビ臭い匂いが鼻を直撃する。
真昼間だと言うのに、部屋の中は薄暗く人の気配がしない。
ここで合ってるんだろうな……。
リックベルトは、懐から採用通知を取り出し、外から漏れる光で中身を確かめる。
ラーカム通り3丁目253番地……間違いない。ここで合っているはずだ。
一度外に飛び出し、ギルドの看板に刻まれている住所を採用通知と照らし合わせ、リックは一人納得する。と、同時に激しく落胆した。まさか自分の就職先が、こんな今にも潰れそうなギルドだったとは。
もしかして、俺はとんでもない所に来てしまったのではないだろうか……。
リックベルトの脳裏に、学校での出来事が蘇る。
今から半年前、来年卒業を迎えるリックベルトたちは、就職活動に大忙しだった。
リックベルトが通っていたサンタマリア冒険者養成学校は、毎年数多くの優秀な冒険者を世に出している名門学校であった。
多くの卒業生たちは、それぞれ自分たちが住まうこの国、城塞都市ノースホルンで就職を決める。
ノースホルンには多くのギルドが存在した。
戦士ギルド・栄光の太陽。屈強な戦士たちが集う集団で、護衛や傭兵など様々な依頼をこなすギルド。
魔術ギルド・英知の書。知識豊かな魔術師たちが日々、魔法や魔道具の研究を行っているギルド。他にも遺跡や迷宮の探索、はたまた戦士ギルドのような護衛を務めるなど、幅広い分野で活躍する。
僧侶ギルド・神聖マドゥーラ教団。神を信じる敬虔な信徒たちの集まりであり、祈りによる様々な奇跡や、薬品の開発などを行っている。
盗賊ギルド・漆黒の沼。情報収集を主な仕事としているが、裏では暗殺や誘拐といった仕事も行っていると言う黒い噂が絶えない集団。城塞都市ノースホルンにおける闇の仕事を一手に引き受けている。
メインのギルドはこの4つだが、他にも、料理ギルド、鍛冶ギルド、工芸ギルド、農業ギルド、家具ギルドなど、数多くのギルドがこの国には存在する。
友人たちは次々と就職先を決めていった。だが、学校で落ちこぼれだったリックベルトは自分だけが就職が決まらず焦っていた。
「よう、リック。お前、まだ就職決まってないのか」
「ほっとけよ」
先週、戦士ギルドから内定をもらった友人のレオナードが、にやにやと馬鹿にした顔で話しかけてきた。
リックは不機嫌そうにぷいっと顔を背ける。
「やめなさいよ、レオ。この学校で唯一就職が決まっていない落ちこぼれのリックに向かって、そう言うことを言うのは可哀想でしょ。私だったら惨めで死にたくなるわ」
「うわ……。サラリ、お前ひでぇな。俺でもそこまで言ってないぞ」
「え? 何が?」
「ぐぐぐううう」
サラリと毒舌をはいたこの女は、同じく友人のサラリース。全く悪気無く、サラリと毒を吐くことからサラリと呼ばれている。ちなみに彼女は魔術ギルドの内定が決まっている。
「大丈夫ですよ、リックさん。あなたにも必ず神のご加護がありますから」
「ううう、お前だけだよ。俺のことを分かってくれるのは……」
優しそうな顔でポンポンとリックの肩を叩く少年。リックは、泣きながら少年に抱きつく。
彼の名前は、ルシオン。容姿端麗、成績優秀、しかもそんなことを鼻にもかけない性格と、この学校始まって以来の神童と呼ばれている少年である。彼は、神聖マドゥーラ教団に推薦入団が決まっていた。
「まぁ焦らなくてもなるようになるって。お前より落ちこぼれのこの俺ですら就職が決まったんだからよ。な?」
「バッシュ……」
リックの肩に手を回し、バッシュは子供のような笑みを見せる。
顔立ちは良いものの、成績、性格はルシオンとは全く逆の位置にいると言っても過言では無い彼は、授業はサボる、すぐに喧嘩はするとこの学校始まって以来の問題児と呼ばれていた。だが、そんな彼でも盗賊ギルドに就職が決まっているのだから、さすが名門校である。その名は伊達じゃない。
だから、リックは益々焦るのだ。就職率100%を誇るこの学校で、もし自分だけが就職が決まらなかったらどうなるか……。それは、来年建立100周年を迎える学校の栄光に泥を塗るばかりか、未来永劫唯一の就職できなかった男として彼は名前を刻むことになる。それだけは、何としても避けたかった。
その後も就職活動を続けるリックだったが、結果は見るも無残。彼の自宅には毎日不合格通知の束が送られてきた。
もしかして自分は呪われているのでは無いだろうか……。
正月には、神聖マドゥーラ教団の教会でお参りもしたし、敬虔あるアクセサリー『パワー・ストーン』もバッタモン商会から通販で買った。それなのに、何故だ、何故、俺だけが就職できない!
卒業式を明日に控え、リックは一人頭を抱えていた。そんな時だった。
「郵便でーす。ここにハンコとサイン下さ~い♪」
妙にテンションの高い配達員のお姉さんが家にやってきた。
フラフラと、まるで夢遊病者のように配達員の差し出す紙に印鑑を押すリック。
そんなリックをお姉さんは興味深そうにジロジロと見つめる。
「あの……何か?」
「いえいえ、ありがとうございました~ん♪」
そう言うと、配達員のお姉さんはニコリと八重歯を見せて微笑み、 踵を返して玄関から出て行った。
変な人だったなぁ。人の顔をジロジロ見て……。
リックは手に持つ封筒を力なく見る。それは、ギルドからの合格可否通知書だった。
「どうせまた落ちたんだろ」
最初の頃は開けるたびに期待を持っていたリックだが、何十回も開ける度に目に飛び込んでくる『不合格』の文字に、彼は希望を抱けなくなっていた。
ビリビリと破り、封筒を投げ捨て通知書を見る。そこにあるのは『合格』の文字。
「なんだよ、合格かよ」
そう言って通知書を投げ捨てようとした時、
「?! ご、合格だって?!」
目を見開き、リックは再度通知書を見た。そこには、はっきりと『合格』と書いてあった。
マジか! まさか『不』の文字があぶり出しとか、日に照らすと出てくるとか、そんな手の込んだ嫌がらせだったりとかしないだろうな!
何度も不合格になってきたリックは疑心暗鬼になっていた。一応細工がしてないか確かめてみるが『不』の文字が浮かび上がるようなことは無かった。
リックの中で、湧き上がる無常の喜び。
「や、やった……、やった……、やったぞおおおおおお!」
誰もいない家で、リックは大声で叫ぶ。狂喜乱舞と言う言葉の使い道はここしかない。とにかくリックは喜んだ。飛んだり跳ねたりブレイクダンスを踊ったりと、とにかくはしゃぎまくった。卒業日を明日に控えていた彼は、ギリギリで合格したのだ。その喜びようたるや、今なら天にも昇る気持ちを体現出来そうだ。
だから、彼がこの時気がつかなかったのは仕方ないことなのかもしれない。
合格通知書の入っていた封筒には、ギルド名が書いてなかった。そして通知書にも。そこに記載されていたのは、合格の文字と、来て欲しい日時と場所だけ。
この時、ギルド名が記載されていないことに気がついていれば、彼の運命もまた違っていたかもしれないことに……。
そして彼は、通知書に書かれている住所へとやってきた。
再度ギルドに入る前に、立てかけてある看板を見る。
「みが……ギルド」
長年手入れがされていないのだろうか。薄く消えかかっている看板の文字をリックは読むことが出来なかった。
暫く再度中に入ろうかためらっていたリックだが、意を決すると扉を開けた。
「ご、ごめんくださ~い」
再度、リックは部屋に向かって声をあげた。
暫くしたのち、ギシギシと床の鳴る音がして、奥から人影が現れた。
「いらっしゃ~い。待ってたわよ♪」
その姿を見てリックは驚く。
そこには、真っ赤なドレスに身を包んだ、妖絶と言う言葉が相応しい貴婦人が居たからだ。
女は、少しだけ八重歯を見せ、ニコリと微笑む。
リックも釣られてニヘラと笑った。
その微笑みを、リックは何処かで見たような気がした。