暗黒事件 4
「そういえば、最近になってまた犬を買いましてね」
晩餐の席でアーチがそう洩らした。
「ほう、テールノワール殿がそちらの趣味をお持ちとは初耳ですな」
とリッテンマイヤー。
「いやいやリッテンマイヤー殿、彼の家庭主義はご存知でしょう」
とバルジーニが言ってワイングラスを口に運ぶ。
「おお! これはわしとしたことが」
「いやいやお気になさらず。しかし、犬はいいものですね。利巧で、従順で、実に忠実ですな。特に番犬はいい。命令一つで敵に向かっていく。しかも主人が寝ている時は代わりに屋敷を見張ってくれる」
「テールノワール殿の屋敷は広そうなので番犬も一苦労でしょうな」
「これは一本取られましたな」
そうアーチが静かに笑ってみせてなおも続ける。
「しかし、番犬が主人の手を噛むのはよくありませんな」
「おや、テールノワール殿にもそのような経験が」
「あくまで喩え話です。ですがそんな番犬は用無しですよ。しかし処分するには困りものですよ。下手に首を絞めればなにを言われるか分かったものではありません」
「確かに困りものですな」
「ええ、かと言って外に放り出すのも考えものです。野犬になって人様に迷惑などかけたらそれこそ一大事、どんな責任を問われるか。なまじ優秀な老犬は始末が悪いものです。昔の栄光にいつまでも縋っている老犬は特に……。まあ、あくまで喩え話ですがね」
そこまでアーチが言うとバルジーニとリッテンマイヤーのフォークが止まった。しかしふいにリッテンマイヤーが大笑いした。
「いやあ失礼、テールノワール殿は実におもしろい方ですな。どうです、このあとチェスでもやりながら話をしませんか? テールノワール殿の采配をじっくりと拝見したいですな」
そうして三人は深夜に渡る密談を交わしていた。その翌日の帰りの飛空船にてアーチがバルジーニに言った。
「ね、うまくいっただろう? これでガリカもおしまいさ。あとは高みの見物と洒落込もうじゃないか」
こうしてアーチが陰謀の網を広げている時にレウレトもまた着々と準備を進めていた。彼は自身の管轄である上役審議会(※後の国家安全保障局)に召集を掛けてジェヌス・コミューンの動向をマークするよう命令した。さらに軍情報部に欧州政府の内情を調査させ、元帥府に招集を掛けてカリフォルニア掃討作戦の概要をマルローに作らせ、スラタニに兵站と人員の輸送計画の立案を命令した。そうして戦争の準備を済ませるとボルティモアの書斎でコーヒーを飲みながら上役審議会からの報告書に目を通していた。
「ふむ、この報告書はよくできている、君は諜報活動のほうが向いているぞアンダーソン君」
「はっ! しかし自分は敵に弾丸をぶっ放すほうが得意であります!」
「もっと気楽にしたまえ、今日はあくまで我が輩は休暇中なのだからな」
「はっ、はあ……」
「して、奴等は?」
「現在対象はボストンの倉庫街に集まっている模様、二十四時間体制でマークしております」
「そうか、状況は?」
「閣下の指示通り配備しております」
「奴等には勘づかれてはいまいな?」
「問題ありません、コミューンのスパイを泳がせております」
「我が輩の偽のスケジュールを流しているというわけか。やはり君は優秀だな。よし、では作戦開始だ、陣頭指揮は任せたぞ」
「はっ!」
一九九二年八月十六日の午前十時三十五分、元帥府での公務を終えたレウレトはフィラデルフィアからチェスター飛空場に移動してテキサスにあるフォート・ワースベースを視察する予定であった。しかしロビーから搭乗口に向かう途中突然に爆音が響いた。ターミナルの方を見れば彼の搭乗予定であった専用飛空船シーバード号がごうごうと燃えているではないか! しかしこれはレウレトとアーチが仕組んだもう一つの芝居の始まりであったのだ。




