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一期一会 第三部  作者: ヤルターフ
第三編 天馬行空
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平和克服 3

 アーチは内相に就く以前は外相に就任していた。五ヶ国語に精通し、各国情勢にも詳しいために欧州への太いパイプを持っていてつ渉外活動に明るい。レウレトが欧州への停戦協定を結ぶ旨をランカスターに上奏した際、ランカスターもまた疲弊した国内を立て直すべく内需拡大を優先する政策に方針を定めた。それでジュストを内相に任命し合わせてアーチを外相にした。


 その任命式の折の事。謁見の間にてジュストが内相の印綬いんじゅを受けとったあとにランカスターがアーチの名を呼んだ。枯木寒厳こぼくかんがん、死人の顔をしたアーチがうやうやしく一礼してランカスターが彼の首に印綬を掛ける。眉をピクリとも動かさずに粛々とホワイトパレスを去っていくアーチをジュストが苦虫を噛み潰したような思いで見つめていた。


 アーチは子供の使いでもなければ、事務仕事をするだけの凡庸ぼんような外交官でもない。レウレトがビスマークでの一戦で大勝する以前から剃刀のような頭脳がキリキリと働いていた。そうして周到に準備して自らの地位と利益を得る算段をじっくりと吟味して智略を練る。それではじめて彼は動くのだ。印綬を懐に入れたアーチは何をしたか。彼はカナダを治める後に至賢宰相しけんさいしょううたわれたデュバルファス=ヴァン=メベドの許を訪れた。


 アーチの仕事とは欧州を完全に北米大陸から駆逐するのみならずフランスを引き入れて味方とし、カナダを米英の属国にすることだ。米英としては本土イギリスを侵略されるの憂いを断ち、さらにフランスからの通商が可能になる。片やフランスは中立国の立場を利用して西はスペイン、ポルトガル、南はイタリア、東はドイツ、オーストリアとその地理的状況から優位に外交を展開することができる。独仏戦争以来フランクフルト条約でアルザス、ロレーヌ地方の大部分を割譲され、さらに五十億フランもの償金しょうきんを払わされ、さんざん煮え湯を飲まされて辛酸を舐めてきたフランスにして千番に一番の機会が到来したのだ。


 その会談とは、表向きは欧州と米英の協議する場所を話し合うものだ。しかしその実際は欧州の一角を担うフランスを取る入れるための、言わば段取りを話し合っていたのである。百世の経世家とまで謳われたメベドはアーチの言う先の提案を聞いて身震いしていたという。それはこれから自分がフランスのみならずビスマルクのように全欧の舵取をするのを想像してのものなのか。はたまたアーチの風貌とその冷頭な悪魔じみた頭脳に心肝寒からしめたのか。それにしてもアーチである。ただ話をして手ぶらで帰ったわけではない。彼はこの話をしたあとメベドからフランス及びカナダの交易権を譲り受ける密約を交わしていたのだから。げにも恐ろしきはその極まりない深謀遠慮である。交易で得た金でこれから何をするのだろう。


 かくしてフランスの仲立ちを受けて欧州の王族諸公が集まった米英との外交の一席が設けられる。場所は五大湖のうち、スペリオル湖とヒューロン湖の間、カナダ国境にあるスー・セント・マリーにて調印式が行われた。五万を超える米英と欧州の両軍がたなびくように山野を埋めつくし、濃霧が彼らを覆い隠している。その濃霧を払わんと二月二十七日の重い雲の後ろに太陽が昇ってきた。そして太陽が中天に達した頃には空は晴れ、濃霧に隠れていた兵達の姿が見えてきた。


 天碧く、日は赤し。湖水の波は静かに揺れ、その上を冷たい冬の風がひょう々と流れ往く。どの兵の顔も皆真っ黒に日焼けしていて、ある者は頬に、ある者は額に眼瞼がんけんに刀剣や銃弾の傷がある。テキサス、カンザス、コロラドと、いずれの干戈かんかに得た傷は勲章なるぞ。そういった面持ちで兵達は誇らしげにしていまや英雄児の登場を待ち臨んでいる。やがて金細工や宝石を散りばめた意匠を凝らした軍服を着たユグラテリアが登壇し、それから袖と裾が擦り切れた兵卒の緋色の軍服に深紅の外套を羽織り、赤いサングラスを掛けたレウレトが登壇する。そうしてレウレトとユグラテリアが各々所定の席に着いて書類にサインをすると、相歩み寄って書類を交換し莞爾かんじとして握手を交わす。その瞬間、天地鳴動するかのごとき万雷の拍手が沸き起こり、一斉にカメラのフラッシュが瞬いた。


 飛報一夜にして北米大陸に轟き、全民衆が諸手を掲げて祝砲を鳴らし、絃歌げんか地に響いて天空に花火が舞い踊る。帝都満城のお祭り騒ぎだ。その晩彼は腹心のマルローとワトリックとスラタニを交え、暖炉の前でこう語っている。


「この二、三年が勝負だ。それで全てが決まる。欧州はもはや敵ではない。これからは戦争をして解決するのではなく、談判交渉を重ねて解決を図らなくてはならない。これは戦争をするよりも難しいことだ。なにせ百代に渡る大事業を成さんとするのだからな。我が輩はその礎を造らなければならない。そうだ、これからやることは山ほどあるのだぞ」


 熱に浮かされたような、恍惚こうこつとした表情で彼は暖炉の火を見つめていた。そうして心眼には一団の火炎のごとき情熱を燃やし、未来に思いを馳せた。少年時代に徹宵耽読てっしょうたんどくしたナポレオン伝。心身を錬磨しての不断の努力を積み上げて崇拝する英雄の勇姿を仰ぎ見つ自身と重ねて幾星霜いくせいそう。愛するロクサーヌに誓った、あの五彩に輝く虹の端が見えてきた。もうすぐだ、もう手の届くところまできたのだぞ。そういった感慨とユグラテリアの親書を携えての帰路の途上、スー・セント・マリーを一顧だにもせず彼は夜空を見上げていた。


 幽玄ゆうげんの海に広がるは無量の星、さんとして輝くは地上の天才。

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