レティシア 2
エスカレットが北米大陸を東奔西走していた頃、レティシアは自身が妊娠していることを知った。体調が優れないのでデューイに言って医者に診てもらったのだ。この事実を知って、聡明な彼女は手紙をデューイに託してルクレール家を去った。ルクレールの家紋に傷がつくのを恐れたのと、彼を陥れる輩がいるかも知れないと危惧したからだ。
彼女の手紙を見たエスカレットの胸中いかなるものぞ。そうして彼女は貧苦に喘ぐ道を選び、レウレトが生まれてもエスカレットに報せることもせず、ひっそりと暮らしていた。赤子を育てる為にレティシアは酒場に通って食材の下準備や掃除、皿洗いをし、飲みすけ達の相手をしていた。だが爪に火を灯して酒場で得た薄給ではかわいい息子を食べさせていけないから、夜なべして薬莢に雷管を付ける内職もしていた。たまにルクレール家から使いとしてデューイが訪ねてきたが、レティシアはなにも受け取らずに丁重に断り、
「世の中は変わっていきますが、私の心は変わりません。あの人への想いも同様です。ですからもう、こちらへは来ないように」
そう言った。
レウレト少年が薔薇を育て、その売上で初めて母親にプレゼントをして記念写真を撮ってから数日の後、ついにレティシアは倒れてしまった。間断無く働き続け、緊張の糸を張り詰めていた彼女の体は過労の為に困憊し、風邪をひいて高熱を出したのだ。このままではやがて肺炎を起こして、取り返しのつかないことになる。なんとかして母親を助けねばならぬ。レウレト少年はダブリン市中を駆け回り、母親を診てもらう医者を探した。だがどこを訪ねても医者は診察を拒否した。忿懣やるかたなく町医者の家のドアを閉めると、同時に彼の脳裏にある発想が閃いた。
コインに裏表があるように、世俗にもやはりそれが当てはまる。彼はリフィー川を渡す無数の橋の下に住まいを持つ住人に話を聞き回り、ならず者専門の医者の居場所を知ることができた。ダブリン市の北に、言わばニューヨークのハーレム街に相当するダウンタウンがある。そこは上流階級の人間ならば、まず寄り付かない場所だ。たとえば車で行ったとしよう。そこへ最初に登場するのが当たり屋だ。走ってくる車に怪我しないように上手く体をぶつけて派手に転がり、いちゃもんを付けては金を得る。その次は強盗だ。運転手に拳銃を向けては無理やり引きずり出して、身ぐるみ全部剥いでやはり金をぶんどる。最後に車を解体する輩が群がって、スクラップ屋に持っていって金にする。そうして残るのは裸同然の体だけになる。命があるだけまだマシというわけだ。そのような場所に、まだ年端もいかないレウレト少年が歩いて回り、やっとのことで闇医者の住むぼろアパートに着いた。そうしておそるおそるドアノブに手を掛け、中に入っていった。
部屋を見回すと、フローリングの床は綺麗に磨かれてゴミ一つ無く、雑貨類は整頓されている。その一隅を見やるとリクライニングチェアに体を預け、白髪の混じったごま塩頭を無造作に掻き、紫煙を燻らせている中年の男が、怪訝な顔してレウレト少年を見ていた。




