日常生活 5
一九八ニ年十月十八日、午前八時。ボルティモアの高級住宅街はまだ静けさに包まれていた。この時間、夜会をして過ごす彼らの生活ではまだ早朝である。とはいえ奉公している下僕やメイド達にしてみれば一番忙しい時間帯である。ウォーレンの起臥する邸宅も同様でメイド達がそこかしこで忙しなく働いている。ガチャリという鍵を開ける音がして勝手口から犬耳をした一人のメイドが出てきた。そのメイドがドアを開け放したままにしてゴミ袋を外に出していく。ふと彼女は独り言を洩らした。
「おかしいわね、いつもならこの時間に収集車が来るのに」
そう呟くと遠くからこちらに向かって走る車の音がしてきた。
「ああ、やっと来た」
その時である。十数人の背広姿をした男達が一斉に彼女の前に集まってきた。鳩が驚いたような顔をしている彼女に先頭の男が手帳を見せてこう言った。
「国税省税務局査察部の者です。ロベルト=ウォーレン枢機卿の家宅捜査を行います。ご協力を」
そこまで言って捜査員達がぞろぞろと勝手口に入っていく。メイドが立ち往生して困っているのも構わずに何台ものワゴン車が次々と邸宅の前に止まり、続々と捜査員が手に箱を持ちつつ入っていく。その一報を知ったアーチが即座に、
「これより二十四時間ボルティモアへの民間人の出入を一切禁ずる!」
と警察省官房の権限で戒厳令を敷いた。水も漏らさぬ速さである。
一方ウォーレンはどうしていたかというと、いきなり無断で入ってきた捜査員達に向かって怒鳴り散らしていた。
「いったい私を誰だと思っている! 私がいつ脱税をした? 誰の権限で動いている!」
そうウォーレンが顔を赤くして髪を振り乱しながら一気にまくし立てている。捜査員のリーダー格が冷静に一枚の紙を胸ポケットから取り出した。
「捜査令状です、御確認下さい」
ウォーレンがそれを奪い取ると赤い顔をみるみるうちに蒼くした。なぜならそこにはレウレトの名と最高裁判事の判が押されていたからだ。わなわなと持っていた紙を放り投げてウォーレンは携帯を取り出した。連絡先はアーチへの直通電話である。
「アーチか?」
「これはこれはウォーレン卿、おはようございます」
「いったいこれはどういうことだ!」
「どうしたのです? どうか落ち着いて……」
「どうもこうもない! これが落ち着いていられるか! 税務局の人間が、私の所に来ているんだぞ!」
「ほう! それは一大事ですな」
「ふざけるな! 事前に貴様の所にも情報がいってるはずだ、なぜそれを私に知らせない!」
「いやあ、いっこうに存じませんで」
「もういい! 後でどうなるか覚えていろ!」
それで電話が切れた。受話器を置いたアーチが憐憫の情を込めてこう言った。
「もう自分には命令する力が無いことが分からないのかなあ」
一方ウォーレンの屋敷では、
「くそっ!」
とウォーレンが吐き捨てるように言って携帯を床に叩きつけた。とその時、税務局とは別の集団がずかずかと部屋に入ってきた。
――今度は誰の差し金だ?
そう思いウォーレンがじろと集団を睨む。その途端彼の顔がいっぺんに凍りついた。なぜなら彼らは皇帝直属機関である上役審議会の徽章を付けていたからだ。
「ロベルト=ウォーレンだな。貴公はオーランド事変に加担して国家を転覆しようと計った準陰謀幇助、国家反逆罪、収賄と特別背任の容疑が掛かっている。御同行願おう」
「な、な、な……、私は認めないぞ! 私は枢機院議員で外相だぞ! 拒否権を行使する!」
「残念だがそれは出来ない」
「なんだと!」
ウォーレンは先の声がする方を見た。そこには赤髪を七対三に分け、赤いサングラスを掛けた、深紅のスーツを身に包んだ男が立っていた。
「ルクレール!」
「いかにも」
返事してレウレトがつかつかとウォーレンに近寄る。そうして白筒からうやうやしく紙を取り出してそれを広げてこう告げた。
「陛下からの勅書である。ロベルト=ウォーレンの議員及び外相の職を解き、一切の権限を行使不可とする。また爵位、財産を没収する」
「バ……、バカな!」
「わかりやすく言うとだな、君は議員ではなくなったから拒否権を失い、爵位を失ったから上級裁判を受けることができない」
「そんな……」
悪夢でも見ているような顔をするウォーレンにレウレトが近づいていく。そして彼の耳元にゆっくりと顔を寄せてこう囁いた。
「ロクサーヌをずいぶんと可愛がってくれたな。これはその礼だ、遠慮無く受け取ってくれたまえ」
それを聞いた途端、全身の血の気が引くのを感じつつウォーレンはその場に崩れ落ちた。
「連行しろ」
レウレトの言葉を合図に引きずられるようにしてウォーレンが部屋を出ていった。
――やっと清々したな。そうだ、すぐに奉公人の手続きをしよう。ロクシーの喜ぶ顔が早く見たいものだ。そのあとにジュストと会わないとな……、アーチの驚く顔は見物だぞ。
そう思いつつ鉄のような顔をしたレウレトが屋敷をあとにした。




