アンダー ザ ローズ 4
――うぐぅっ! なんだかものすごく眠くなってきたぞ。だがおれには師匠から授かった使命があるのだ。だから……、眠ってはいけないのだぞ……。
そう思いつつ周りを見渡せばテーブルの上には倒れたグラス、そのすぐ横にはずぶ濡れのクッション、さらには水浸しの床というあり様だ。そうしてテーブルからは水が滴り落ちて、ピチョン……、ピチョンと音をさせている。げんなりとした顔をしてピガットがそれを見つめていた。
――これを片付けないと……、レティママの雷はものすごく怖いからなあ。しかも時々赤い何かがゆらゆら見えるからなあ……。
その時、フォークを手に持って黒いしっぽを生やしたピガデビルがつと脳中にやってきた。そうしてこう囁くのだ。
「ケケケッ、そんな片付けなんか放ってしまえ!」
と、その直後に反対側から頭に金色の輪っかをこさえたピガエンジェルが脳中に降臨してきた。
「ダメよ、あなたには崇高な使命があるじゃない」
「使命がなんだ。ほら見ろ、あのふかふかの枕、気持ち良さそうだなあ」
とピガデビル。
「睡魔なんかに負けてはダメ! ちゃんと片付ければレティママには怒られないわ」
とピガエンジェル。
いまピガットの中では良心と、それに対して怠惰が睡魔と手を組み熾烈にして壮絶なる闘いが展開されていた。
――うう……、おれには使命が……、でも……。
こうして闘っているところに睡魔が潮のごとく押し寄せてきて、それは波濤となって全てを飲み込んだ。それでピガットは気づかぬうちにレティシアの顔の横に小さな丸っこい体を横たえてしまった。
翌早朝、日はまだ昇らずにいて辺りは薄暗い。東の空を見ればやっとほのぼのと白んできたぐらいである。起きたレティシアが背伸びをしてピガットを起こさぬようにそっとベッドから降りて洗面台にいく。タオルで濡れた顔を拭きつつ部屋に戻り、寝間着を脱いで深紅のメイド服に着替え、軽いメイクをほどこす。姿見を見て身嗜みを確認する頃にはようやく朝日が昇ってきて日光が部屋を照らした。それでピガットの悪行三昧が発覚した。ふかふかの枕で眠っているピガットにゆらりとレティシアが傍に立った。尋常ではない気配を肌に感じたピガットが恐る恐る瞳を開くと、そこには陽炎のようにゆらゆらと赤い闘気を放ったレティシアがこちらを見下ろしていた。
「ピガちゃん」
レティシアの異様な雰囲気とは対照的な声色にピガットがビクっと体を揺らして凍りつくと、そのあとにレティシアの叱る声が屋敷にこだました。そして朝食用に下ごしらえをした犬さんウィンナーがごっそり無くなっていたのでもう一つ雷が落ちたのは言うまでもない。
* * *
ボルティモアから北東へ進み、小邑ウィルミントンを過ぎるとフィラデルフィアに着く。ここには後に独立記念館が建てられ、さらに司法、立法、行政の機関が連なり、元帥府及び参謀省並びに陸海空軍省が集まる米英の中枢である。さらにここには欧州及び東亜細亜各国、露国の大使館が集まるセクションが橋のように連なっている。その一角にオーストリア大使館があり、一台のリンカーンが正門を通ってエントランスへと続く玄関前に止まった。助手席からデューイが降りて車のドアを開けると燃えるように赤い総髪を後ろに流し、深紅の燕尾服に身を包んだ背の低い男が車から降りてきた。
レウレトだ。例のサングラスを外したレウレトがデューイを伴って玄関へと向かうとそこにはスーツの上からでも分かる屈強な体をした守衛が二人立っていて、そのうちの一人が声を掛けてきた。
「失礼、確認を取らせていただきます」
「レウレト=フォン=ルクレールだ、ウォーレン卿の招きを授かって参上した次第」
「ウォーレン様から話を伺っております。どうぞお通り下さい」
「ご苦労」
赤絨毯が敷かれたエントランスを進み、広間に出る。中は装飾煌びやかに天井にはきら星のごとくシャンデリアが輝き、衣服の美を尽くした人々が歓談している。と、ふいに後ろから声を掛けられた。振り向いて彼は内心驚いた。まさかこの場所で会うとは思わなかったからだ。暗緑色の礼服に相変わらず死人のような無表情をしたアーチが従者を連れてそこに立っていた。すかさずレウレトが歩み寄って握手を交わしつつ言った。




