アンダー ザ ローズ 1
上空を見やると闇夜を縫うようにして渡り鳥の群れが陣を成して飛んでいく。そして彼らの眼下には煌々と明かりを燈している豪壮な町並みが広がっていた。ボルティモアだ。今宵も紳士淑女の貴族たちが一夜の夢を過ごそうと遊興と歓楽に耽溺している。そうした中の一つにぽつねんと明かりの消えた邸宅がある。レウレトの住まうルクレール邸だ。広大な敷地内には小さな山と、その麓には鬱蒼たる森林と清澄たる小川が流れ、こじんまりとした池が静かに波音を立てている。その池の水を引いて少し離れたところに野菜を育てる畑と桃や葡萄がなる果樹園と彼の好きな薔薇園といった豊かな田園風景が展開されている。
深更の頃、ルクレール邸には静けさが横たわっていた。レティシアの眠る枕の横には真ん中に穴が空いた小さなドーナツ型のクッションが置いてある。その穴に収まりがいい形にしてピガットがうつぶせに眠っていた。鼻を詰まらせているのか、時折スピーという音を洩らしては小さな鼻ちょうちんを作っている。ふいにピガットがもぞもぞと動きだし、寝返りをうって仰向けになった。しかしどういうわけか体全部が先の穴にすっぽりと嵌まってしまった。その拍子でピガットは目を覚ましてしまった。
――うん? なんだこのヒラヒラは? いつもならレティママが見えるのに……。
そう思いつつピガットがくあと一つあくびをする。
――そうだ、レティママは……。
と横を見ようとするがなぜか体がびくともしない。それで今度は反対側に身をよじってみるがそこから根っこを生やした具合でやはり動かない。
――なんだ、これは、体が、動かない!
ひとしきり体をねじってみたが、まるでうんともすんともしない。ふとピガットの脳裏に夕食の風景が蘇ってきた。それはレウレトとデューイが夜会に行っているためにレティシアとピガットだけで食事をしていた時のことである。ふとレティシアがちらと見るとピガットが右前脚を器用に使ってちょいちょいとグリンピースを弾いているではないか。それでレティシアがお行儀の悪い我が子を諭すように注意した。
「ピガちゃん、好き嫌いはダメよ」
「レティママ、ぼくこの豆のパサパサが苦手だぞ」
「ピガちゃん知ってる?」
「なに?」
そうピガットが見上げるとレティシアが紅玉の瞳を妖しく光らせて言った。
「食べ物を残すと、その日の夜、金縛りにあうのよ」
「金縛りって、なんだ?」
「体が動かなくなるの」
ピガットがゴクリと唾を飲み込んで、それからまた聞いた。
「それで……、どうなるんだ?」
「動けなくなった体の上にね……、もったいないお化けが現れるの……、そしてね……」
レティシアが低い暗い声でなおも続けた。
「もったいなーい……、もったいなーい……、って囁き続けるのよ……」
「ふ、ふん……。もったいないお化けなんて、ちっとも怖くないぞ! ごちそうさま!」
身震いしつつ捨てぜりふを吐くとピガットはひゅーっと食卓を出ていってしまった。
そうしていまに至っている。
――もしかして、これが金縛りか? じゃあ……、この上には!
この時、開いていた窓から一陣の風が吹いて天蓋のカーテンを揺らした。なのでピガットにはそれがもったいないお化けに見えた。
――きおおおおおおおおおおおおおおお!
と心中にてピガットが絶叫して激しく点滅を繰り返しては短い手足をじたばたさせている。そうしてしばらくするともったいないお化けと思っていたものがただのカーテンであるのが分かってきた。
――な、なんだ、カーテンじゃないか……。
ふう、と小さくため息をつく。そのあまりにも小さくて狭い額には玉の汗ができている。ようやく落ち着いてきたのか、ピガットは自身の置かれている状況がなんとか分かってきた。
――なあんだ、ドーナツの輪っかに嵌まっていたのか……、どれ。
それでピガットが体を宙に浮かせるのだが穴にしっかりと体が嵌まっているためにクッションも一緒に浮かび上がってしまう。脚を地面に向けているので傍目には円盤がふわふわと浮いているように見える。




