天才陰謀家 2
貧乏長屋の、しかも夏は蒸し風呂のように暑く、冬は冷凍庫のような寒さになる、狭い屋根裏部屋に家族七人がひっそりと暮らしていた。その一日の食費は僅か二百円ばかりである。幼子のミルクはおろか、その日の食事にありつけるかどうかもあやしい。しかも妻と子供達の着る服はぼろきれというありさまだ。まだ人の心を持っていた彼は、家族を養うべく食事を抜いては子供達に分け与え、深夜まで刻苦勉励して仕事を探した。そうしているうちに彼の顔はさらに冷々死灰となり、体は枯木と化していった。
そんなある日、三歳と一歳の子供が流行り風邪に罹ってしまった。医者に診てもらうにも金が無く、もちろん薬を買う金も無い。滋養をつけようにも一食に困る始末だ。幼子達は日に日に衰弱し、風邪が悪化して肺炎を起こし、栄養失調も重なってぱったりとこと切れてしまった。だが悲劇というのは重なるものだ。今度は三番目の子と、二番目の子が風邪を患い、さらには度重なる苦難に妻が心労で倒れてしまった。アーチは自身の運命を強く呪った。烈火のごとく社会を憎んだ。目に見える世界を呪詛した。そうしてとうとうアーチは悪魔と契約を交わした。それは当時の英国議会でかなりの権勢を誇っていた、当時の父の友人であったウォーレンに懇願し、泣いて土下座をするというものだ。
「家族を救うために、どうかわたくしめを使って欲しいのです。どんな事でもします、やらせて下さい!」
それで彼は殺しや盗み以外のことならなんでもやった。なんとか家族の命を救おうと、必死に仕事をしていたのだ。そうしてウォーレンに仕えるうちに、彼は人の心を失っていった。なぜなら彼が見た政治の世界とは陰謀と裏切りが渦巻くまさに伏魔殿であったからだ。
そういった中でする仕事とはなにか。情報収集だ。ある時はドア越しに、ある時は螺旋階段の下で、まるで狐の狡猾さながらに耳を傾け、そうして得た情報をウォーレンにこっそりと流し、僅かな金銭を得ていた。この時の経験が彼を尋常ならざる非凡なものとした。人間をとことん観察して弱点を見つけるという才能が開花したのだ。そしてここ一番という時にその弱点を有効に使う術を熟知していた。確かにジュストも人間の持っている性格を計る明を持っている。だがそれは感覚で、しかも一瞬で判別できるというものだ。こいつは頭の悪そうな顔をしているな。あいつは頭がそれなりに回るが、どこか抜けている。こいつには隙を見せてはいけないな。そういった天性の勘が抜群に秀でていた。しかしアーチの場合そんな器用なことはできない。そのかわりに研究者が資料を蒐集するような地味なものである。
彼はまず、その人をじーっと見つめて弱点を探し当てた。そしてどのように利用できるかを怜悧な頭脳でじっくりと考え、時機が来るのをただひたすらに待った。時にへつらい、時に媚びを売り、時になだめすかしつつさらには脅したりと、軽業師のように様々な手段を用いて用意周到に陰謀を張り巡らせる。その際には必ず逆艪を用意して自身に危害が及ばないようにすることを怠らない。そしていざその時が来れば、たとえそれが命の恩人であろうとも幼なじみの親友であろうとも、顔の筋一つ変えずに手の平を返すように裏切り一気に襲いかかって相手を寸裂した。これがアーチの一貫する処世術である。
この人間心理の優れた研究者に、ある転機が訪れた。やっと日の目を見る時がやってきたのだ。貧苦の最底辺から脱する機会を得たのだ。とかく戦争は金のかかるものである。雨後の筍のように成金があちこちに蔓延る時代である。直ちに彼の炯眼がこれを看破した。そしてその怜悧な頭脳を持って予見した。これからは王族や貴族ではなく、黄金が支配する金権の時代であると。




