天才陰謀家 1
エスカレットという大巨人が斃れ、ランカスターの威光あって辛うじて米英が一つに纏まっていた時代。烈々たる太陽のごとく武勲赫赫とレウレトは富士山の一人そば立つようにしていたが、なにも誰も人物がいないわけではない。英雄王の寵臣として政界には二人の巨人がいた。この二人が二人ながら剃刀のごとく切れる物凄い男だった。それが義人ドルオールと、いま一人は悪名高きテールノワールである。
ジュスト=ドルオールは前述した通り、ドンカスターの教え子である。平民出身の彼は常に笑みを絶やさずにいて、ハンサムな顔立ちと颯爽とする姿は実に清々しい印象がある。ために民衆の人気は高く、その巧みな弁術と機知に富んだ対応と誠実な活動によって民心を掌握した人物だ。彼は早くから原住民(※特にシェイン族)の奴隷制撤廃を掲げており、その政策を推進するリーダーであった。さらに政治と経済を両輪のごとくにして米英を立て直すなど、その八面六臂の活躍は言語に絶する。そんな彼は改革派の中心人物であり民主党の一大巨頭であった。
その反対勢力に保守派の労働党がある。確かに彼らは表向きには民族解放を掲げている。しかし裏では既得権益を守ろうと結束していた。彼ら保守派の繋がりは強固なもので、――その多くはドッグコレクターであるが――彼らの力は司法、立法、行政からメディア操作にまで及び、その権勢たるやランカスターを駕し、改革派を遥かに凌ぐものである。その中心人物がアーチ=テールノワールその人だ。
レウレトを研究するに当たって、同時にジュストとアーチのことも研究する必要がある。ジュストについてだが、第一統領並びに枢機院議長を兼任する等と歴史の表舞台にいたから、二百余年経過した現在でもその認知度は高い。そのジュストが蛇蝎のごとく嫌っていたアーチについてだが、凡百の史家文人が罵詈讒謗を浴びせては埋葬してしまっている。しかしさすがに一代の巨匠にして文豪のゴールは彼の深刻な性格と鬼才の域に入る外交能力を評価して、それを小説にて見事に描写している。レウレトの生きた時代、百年戦争史中まことに不可思議なるこの人物を我々は一瞥する必要がある。それによって政治家という理想主義者が、いかに恐るべき大陥穽の辺を歩いているのかが垣間見えるだろう。
ジャングルには様々な生物がいて、兎や豹や鷲といるその頂には百獣の王が君臨していて、さながらレウレトは獅子王のごとくである。ただ、彼の棲息するジャングルにも蝮や狐がいる。狐は獅子の後ろをついては甘い汁を吸い、蝮は草むらから赤い目を光らせてはじっと獲物を窺っている。そしてこの狐と蝮の二つの性質を併せ持った奇妙で不思議な生き物がいた。それがアーチである。
ボルティモアの風見、カメレオン的政治家、王様殺し、簒奪者、軽業師にして詐欺師、低劣極まりない山師、犯罪と背徳の権化、狡猾なマキャベリスト等々、彼を一言で表す言葉は枚挙にいとまが無い。そんな彼は実に特色のある居姿をしていた。ほそおもての顔は青白く、ガラス玉を濁らせたような目は常に半分閉じていて、その瞳は魚の死んだ鈍い光を放ち、冷たい印象を人に与える。暗褐色の髪にとがった鼻。ねずみ色の頬。その体つきは骨だらけで、ちょっと見ると大病を患ったあとのようで薄気味悪い。まるで幽霊のさ迷っている感じだ。この死人の顔に悪魔の魂を持った男の生い立ちとはどんなものであったか。
一九四十年十一月十八日、アーチは貴族の子として生まれた。イギリス屈指の大財閥、テールノワール・インダストリー創始者を父に持ち、母は名門貴族の生まれである。生まれつき体が弱く、父の薦めで軍人を志したが断念し、第一身分の出世の登竜門である教会に入門した。そして早々と出世して大僧正の位まで昇る途上、世界恐慌の煽りを喰って父の会社は倒産の憂き目に見舞われた。その自責の念に駆られてか、父は飛び降り自殺を図り、母はそのショックで頓死してしまう。この時、アーチはわずかに二十二である。
酒も煙草もやらず、女色に溺れることもなかった彼は、一夜にして地位と名誉と財産と肉親を失った。だが彼にはまだ年若い醜い妻と五人の子供がいた。そのためアーチは愛する家族――どんな悪人にも美徳があるように、彼は家庭主義者であった――を養うべく弁護士免許を取り、地道に働いていた。だがしかしと言うかやはりと言うか、容貌のまずさと世間の冷笑が重なって、彼に依頼をする人間がいるわけがない。たまにきても、その薄給で家族を養うことができない。当時の経済は酷く落ち込み、各国が休戦協定を結ぶほどの状況である。身の毛もよだつ恐ろしいインフレが嵐のように荒れ狂った。一家はまさに人生のどん底であった。




