一夜の春雨 5
門の横にある守衛に声をかけ、屋敷を管理する人間に一通り案内されたあと、電話を借りた。通話先は彼の故郷アイルランドだ。呼び出し音のあとに交換手が出た。
「トリニティ大学に繋げてくれ」
しばらくしてまた呼び出し音が鳴ったあと、レウレトが言った。
「デューイ講師に取り次いで欲しい。レウレトと言えばわかる」
今度は保留音が鳴って、少しするとやや興奮気味のデューイが出た。
「御屋形様!」
「デューイか、久しいな」
「はい、テレビにて御屋形様の勇姿を拝見しておりました」
「そうか、まあ積もる話は後だ。今すぐ支度してこちらに来てくれ、皆を迎える用意が出来た。旅費はおまえの口座に振り込んでおく、いいな?」
「はい、今すぐ準備致します」
「ああ、ボストンまで迎えにいく。頼んだぞ」
その二日後、レウレトは空港にてデューイとレティシアを迎えた。英姿颯爽とした彼を見つけたデューイがにこやかにして彼の元へと寄っていく。愛児の成長ぶりを久しく見なかったレティシアは今にも泣き出さんばかりだ。無理もない、なにせ八年ぶりの再会なのだから。寝ても覚めても息子の無事を祈っていたのだ。腹を痛めて産んだ最愛の息子が、いまや目の前にいるのだ。夢か幻か、愛する我が子の顔を近くで見ようと、よよとレティシアが傍に寄っていく。しかるにこれは何事ぞ! 彼はにこりともせずに鉄の顔をしているではないか。母子の再会だというに、抱き合うこともしないのか。そうして彼は何も言わずに鷹揚と先を歩いていく。車に乗り込んでも一言も口にしない。
やはり息子はこの私を恨んでいるのだろう。レティシアは深く沈んで黙して語らず、デューイが心配そうにその様子を見つめている。そうこうするうちに車はボルティモアの西門を通り、レウレトに与えられた屋敷に到着した。広いエントランスに三人がゆっくりと入っていく。辺りは閑寂として緩やかに時だけが過ぎていく。デューイとレティシアしか居ないのを確認すると、掛けていたサングラスを外しておもむろに振り返るや双眸に涙を貯めて彼がこう言った。
「母上!」
言うやがばとレティシアを抱きしめて胸に顔を埋める。レティシアも双頬に涙を流しては愛児の頭を撫でていた。
苦節八年、ようやくにしてレウレトは敬愛する母上との再会を果たした。思えば彼が幼少の頃、家族は貧苦のどん底であった。母は爪に火を灯して幼子を育み、子は少しでも母を助けようと地面を這っては小銭を集めていた。それが今やどうだろう。広大な屋敷を与えられ、少佐として俸給を得るようになったではないか。その額しかして十万ドル。レウレトはその孝養を第一として母親を迎えたのだ。
表立ってレティシアを母上と呼ぶことが出来ないことを彼は苦しんでいた。なにしろ当時はシェイン族に対する差別が酷かったのだから。民族の解放を夢見た彼は内心骨を噛む思いでいたに違いない。ともあれ彼にしてほんとうの安息の一時が訪れた。しかしそんなレウレトに対して運命はさらなる試練を波濤のごとく用意する。けれどもレウレトは七里の靴を履いて足取り軽くさっさと嶮難を乗り越えていく。
彼の辞書に後退の文字は無いのだ。




