蛟竜池を出ず 3
陽春五月、とある休日の出来事だ。十八になったばかりのレウレトは日課である早朝トレーニングを終え、散歩がてら外をぶらついていた。
――さすがに本ばかり読んで休日を過ごすのは良くないよな。かといってチェスをしようにもピガットはまだ寝ているし……。うーむ……、暇だ。なにか面白いことがないものか。
そう思って外を歩いていると、ふと彼の隻眼――両眼異色の瞳は目立つと思い、金色の右目をアイパッチで隠している――にある光景が映ってきた。見ると買い物かごを持った妙齢の女性が男三人に絡まれているではないか。それで機会を得たりと彼がほくそ笑んだ。
――うん、これは面白そうだぞ。困っている人を助けるのは当然のことだ。さらに実戦を経験して勘を養うことができて一石二鳥ではないか。しかし、一般人相手に剣を使うのは大人気ないから手加減してやらないとな。これは決して弱い者いじめなんかではないぞ。
そう彼がものの数秒足らずで考えを纏めると、身長が一六○センチあるかわからない、赤髪の小人島がのっそりと巨人達の輪の中に入っていった。そうして、
「ミス、彼等は貴女のボーイフレンドかな?」
と出し抜けにレウレトがそんなことを尋ねてみる。ミスと呼ばれた当人も含めて、皆が呆気に取られてしまった。それに構わず彼が続ける。
「もしそうでないのなら、オレが彼等を追っ払ってやるが」
言われていかにもチンピラといった三人が一斉に睨む。が、レウレトは意にも介さずにこんなことを言った。
「そんなに熱い視線を送るな、勘違いするじゃないか」
「うるせえ、チビは引っ込んでろ!」
と、やにわにチンピラの一人が左拳を振り下ろす。その刹那、つとレウレトが男の懐に入って拳を躱すや腕を取って投げ飛ばしてしまう。次いで振り向き様に右足を深く踏み込んでは体を沈めて、呆然としているもう一人に右肘をめり込ませる。そうしておもむろに残り一人の方へ体を向けると、恐怖で顔を歪ませたチンピラが震えていた。レウレトが足を一歩進めると、
「く、来るなあ!」
と絶叫して胸元から取り出したナイフをつらと突き出す。
「ほう、そんな玩具を出してどうするのかね?」
そう言いつつ彼がまた一歩進むと、チンピラは発狂したかのように叫び声をあげながら突っ込んできた。だが彼にとっては想定内である。予定調和と言ってもいい。半歩だけ体をずらして突進してくるチンピラを躱し、同時に持ったナイフを右手でいなして腕を取るとそのまま体重を乗せて、その勢いで肩を外してしまった。
「手慰みにもならんな」
息一つ切らさずに身嗜みを調えていると、数人の警官が駆け付けて来た。
「見ての通り不良共が襲ってきたから反撃したまでだ、正当防衛だよ」
「事情聴取のため、御同行願えますか?」
「ああ、もちろんだ」
それで近くの警察署でレウレトは事情聴取を受けていたのだが、ものの十五分も掛からないで自由になった。彼が士官学校の軍服を着ていたのと、ルクレールの名を聞いた刑事がすぐにお咎め無しと判断したからだ。警察署の表玄関を出た時、彼を呼ぶ者がいた。振り向くと自分より少し背の高い、先程の妙齢の女性がそこにいた。ウェーブが掛かった暗緑色の髪を全て後ろに纏め、褐色のつぶらな瞳に秀でた眉、少し生意気そうな小鼻と遠慮がちな唇、空色のワンピースに白のエプロンを身に付けたこの女性は名をユーリと言った。
「あ、あの、助けて頂いてありがとうございます」
「礼には及ばん、当然の事をしたまでだ」
「いえ、とんでもないです。ちゃんとお礼をしないと……」
「気にしなくていい」
「ですが……。あ、よければお名前を……」
「レウレトだ」
「レウレト様……」
「呼び捨てでいい、"様"はいらない」
「あの、よければお店に来て頂けませんか? 私のお店は酒場をやってまして、夕方に開くのですが……、お礼をしたいのです」
珍しくレウレトが考え事をしている。と言うのも女性に対しては奥手なのだから仕方ない。こうして考えている時、彼はいつも無意識に右手を髪の中に入れて、耳の名残を触っている。
「わかった、善処しよう」
「ほんとうですか! 嬉しいです」
とユーリが笑顔の花を咲かせてみせる。
「あ、お店の名前は"ハッピー・エンジェル"です。ではお待ちしてますね」
そう言って彼女は足早に去っていった。




