蛟竜池を出ず 1
「おい、知ってるか?」
「なんだ?」
「ルクレール家の御曹子が編入したそうだ」
「本当か?」
「ああ、教官達が話してるのを聞いたし、この目で見たから間違いない」
「どんな奴なんだ?」
「赤い髪の毛をしてたな」
「それで?」
「右目にアイパッチをしていた」
「ずいぶんとキザな野郎だ」
「しかも俺達より二つも年下だ」
「なんだ、まだお子様じゃないか」
「そうそう、背丈は初等科生並のチビだ」
「誰がチビなんだ?」
その声を聞いて立ち話をしていた男二人はぎょっとして凍りついてしまった。
「今度からは誰も居ない所で話すようにしたまえ。噂をすればなんとやら、だ」
そう言い残して、不格好な褐色の軍服を着た赤髪の少年は鷹揚に去っていった。
「ただいま」
主の声を聞いて、ピガットがぴかぴかと点滅しながら返事した。
「おかえり、なんかやけに嬉しそうだな」
「今日は身体計測があってな。なんと去年より背が二センチも伸びた」
「なあんだ、そんなことより腹へったぞ。なんか食わせろ」
「そんなこと、とはなんだ。とりあえずこれでも舐めてろ」
「うん? いつものより黒いな」
「コーラ味だ、うまいぞ」
言ってレウレトが包み紙を剥がして飴玉を手の平に置く。それをぱくっと口に入れると、ピガットが激しく点滅して震え始めた。
「どうした?」
あまりの眩しさにレウレトが顔をしかめながら訊く。
「シュワシュワが……、すごいぞ!」
とピガットがあわあわとしている様子を見て、レウレトは腹を抱えて笑っていた。
エンパイアステートにある士官学校の寄宿舎にて、レウレトはピガットと生活していた。通常ならば、一つの部屋に三~四人が一緒になって生活を共にするのが習わしである。だがこの学校に編入する際、受けたテストの結果がほぼ満点であったこと、ルクレールという金看板が輝いていたから、そのために彼は一人でこの部屋を使っている。しっぽの付いている彼にしてみれば願ってもない環境であった。身体計測の段で彼は逡巡していたが、ブーツを脱ぐだけだったので内心ほっとしていた。と同時に背格好に合わない軍服は彼にとって都合がよかった。多少はしっぽを動かしても傍目には分からないからだ。
しかしながらそのしっぽがあることが他の人間に露見されるのを内心恐れていただろう。欧州と干戈を交えている米英はシェイン族の奴隷解放という大義名分を掲げていたわけだが、軍高官のほとんどを白人が占めているからだ。自身がシェイン族であると知られた途端、彼の野望が破滅の音をたてて瓦解するのは火を見るより明らかであった。そのために彼は一度も水泳の授業に参加していないし、一度も共同浴場を使ったのを見た者がいない。そんな彼の士官学校時代の生活はどんなものだろう。
彼は背の低い、頬の痩せこけた蒼顔の少年であった。給費生であった彼は軍服と軍帽、腕時計、下着といった現物支給の他に現金が支給され、月に必要な食費や雑費(※ピガットの食費も含む)を差し引いた分をデューイ宛ての手紙に入れてレティシアに送っていた。また衣服の美、食膳の贅といった奢侈を嫌い、倹素にしていた。一日に三食のうち一食を減らし、そのメニューは一個のパンと一欠けらのチーズと、背丈を伸ばすための牛乳だけである。そうして余計な服を買わず、外出時には一張羅の軍服を着て過ごし、就寝前には毎日欠かさず一張羅にブラシを掛け、軍靴を磨いていた。その当時のレウレトを知っている人間がこう証言している。
「彼は非常に神経質な人間だった。特に匂いや他の人間からの視線に関しては、女子か芸術家みたいだ」




