第83話
「な、何だって?!」
神像の身体が、みるみるうちに崩れ始めた。
爆ぜるたびに――それは一つのアンカー攻略成功を意味していた。
二つの世界をつないでいた結び目が断ち切られていく。
遥かな深宇宙から地球へと絡みついていた触手が、一本ずつ斬り落とされていく。
残り時間――二時間三十分。
空に表示されたアンカー攻略進捗は、すでに六〇%に達していた。
私は呆然と空を見上げる。
耳元では、世界各地からの攻略報告が絶え間なく響いていた。
……くそっ。視界がぼやける……
白夜のやつ……きっと今も配信を続けてるんだろ?
こんなところで泣くわけにはいかない。
だって私は――人類の裏切り者なんだから。
「う……」
だめ……だめだ……
こんなの、みっともない……
「うぐ……」
泣くな……絶対に泣くな……
「うわあああああああ――!!」
……無理に決まってるでしょ!?
「あなたたち……どうして……どうして分かったの……?
どうして……最初から準備してたの……?!」
目の前で起きていることが理解できない。
まるで見えない手が裏で糸を引いているみたいだ。
私の決断を予測しただけじゃない。
〈災厄の源〉を倒したあとに起きる反撃すら、あらかじめ読んでいた。
そんなことができる人間は――一人しかいない。
私は愕然として燈里を見た。
燈里はいつも通り、淡々とした表情をしていた。
口元だけが、わずかに持ち上がる。
「あなたより、ほんの少しだけ長く生きてたのも……
悪いことばかりじゃなかったみたいね」
こいつ……!
そうだ。
前世で〈災厄の源〉を倒したあと、私は仲間に裏切られて殺された。
燈里はその仇を討って死んだ。
だけど、彼女は私より少しだけ長く生きていた。
だから――
私が死んだあとの世界を見ている。
〈災厄の源〉の反撃も知っている。
すべてのアンカーを攻略しなければ世界分離が成立しないことも……
最初から知っていたんだ!
「燈里会長が持ち帰ってくれた映像のおかげでさ」
白夜が肩をすくめる。
「俺、自分がとっくに死んでたって初めて知ったんだよ。
未来の世界、めちゃくちゃ地獄じゃん」
はぁ??
映像も持ち帰ってきたの?
……さっきまで戦闘に集中してた私が知らないのも無理はないけど。
「私もだよ」
千夏がしみじみと頷く。
「燈里会長の映像を見て初めて知った。
降臨初日に、私もう死んでたんだって」
「だからあの日、突然『藤野屋のラーメン食べに行こう』って言ったんだね。
私を助けるためだったんだ……怖がらせないように、わざわざ理由まで作って」
「ばか凪緒!
一人でそんなに抱え込んでたら、そりゃ疲れるに決まってるでしょ!」
「……」
「うん、私も驚いた」
由衣が苦笑する。
「恒一が死んだあと、私があんな復讐鬼になるなんてね」
「もしあの日、みんなが来てくれなかったら……
私、どんな未来に落ちてたんだろう。考えたくもない」
「本当にありがとう」
恒一が深々と頭を下げる。
「そして俺もだ!」
夜明の副会長が拳を握る。
「……」
白夜が親指を立てた。
「もしかしたら、いつか未来のあの地獄みたいな世界が本当に来るかもしれない。
そのとき、俺たちも変わっちまうかもしれない」
「生きるために何でもするようになって、
歪んで、人間らしさなんて失って」
「――かつてお前を裏切った連中みたいにな」
「でもな」
「少なくとも今、俺たちはここにいる」
「お前が頑張ってくれたおかげで、
俺たちはあんな気持ち悪い連中にならずに済んだ」
「小狐!」
「ずっと一人で背負ってきたんだろ。お疲れさま」
「お前が未来を変えた」
「今度は――俺たちの番だ!」
「突撃だあああああ――!!」
続々と届く勝報!
【ロンドンアンカー――攻略完了!】
【ニューヨーク――攻略完了!】
【広州アンカー――攻略完了!】
【メルボルンアンカー――攻略完了!】
次々と上がる攻略成功の宣言とともに、
空の進捗バーが一気に跳ね上がる。
七五%!
八〇%!
八三%!
残り一時間……!
まだ間に合うのか?!
ただし、アンカー守護者の中には高レベルの存在もいる。
簡単には突破できない場所もあるはずだ。
「まずい!
王国軍が動いた!アンカー戦場に向かってる……敵意ありだ!」
そうだ。
SEEKER降臨には、裏で糸を引く王国勢力がいる。
連中が黙って見ているはずがない。
「大丈夫だ」
白夜が落ち着いた声で言う。
口元に笑みが浮かんだ。
「そろそろ――頃合いだ」
その瞬間。
各アンカー戦場の遠くの丘に、影が現れた。
最初は一人、二人。
それが十人、百人と増えていき――
やがて、
無数の攻略者が津波のように怒号を上げて突撃してきた!
大地が足音で震える!
「忘れるな」
「今の地球には――」
「八十億人いるんだぞ!!!」
八十億。
後方支援から最前線まで。
飢餓にも不信にもまだ壊されていない――
ほぼ無限の援軍!!
「これが――配信の力だよ!
ははははは!!」
彼らは余火でも夜明でもない。
その多くは――
かつて「人類の裏切り者」を討とうとしていた攻略者たちだった。
白夜の配信は、
弁解のためじゃない。
最初から目的は一つ。
すべてのアンカーを攻略すること。
夜明と余火だけでは足りない。
地球のすべての力を集める必要がある。
八十億人を一つの目標に向かわせるなんて――
普通なら不可能だ。
だが、
全員が気づけばいい。
今この瞬間が――
人類の存亡を決める戦いだと。
その瞬間は――
今だ!!
「させるか……!
絶対にさせるか!」
かつての「人類裏切者討伐隊」のリーダーが叫ぶ。
「全部終わったあとで!
善人を誤解してた罪悪感抱えて一生生きろだと?!」
「冗談じゃねえ!!」
「俺は償う!!」
「戦わせろ!!」
「俺は――」
「“人類の裏切者”単推しだ!!!」
進捗バーの上昇がさらに加速する!
八五%!
八九%!
九二%!
九五%!
九九%!
……
一〇〇%!!
成功した!!
「ば、馬鹿な……!
こんなことが……!」
〈災厄の源〉の絶叫が世界中に響く。
進捗が一〇〇%に到達した瞬間。
二つの世界は急速に分離した。
鎖を解かれた巨大船のように、波に押されて離れていく。
異界に侵食されていた地球の景色が、
波紋のように広がりながら――
次々と戻ってくる。
高層ビルが光の中で立ち上がる!
懐かしい森が山を覆う!
かつて見飽きて吐き気がするほどだった景観植物やコンクリートの建物が、
今はどうしようもなく愛おしい。
あの地獄の未来を見たあとだからこそ。
「うう……」
「帰ってきた……」
「本当に帰ってきた!!」
「会いたかった……!」
「地球ぅぅぅ!!」
白夜が地面に膝をつく。
道端の小さな桜の木を抱きしめて、
幹に顔をこすりつけながら号泣した。
「三時間で……
どうしてそんなことができる……?!」
〈災厄の源〉の声に恐怖が混じる。
「寄生虫ども……!」
「この忌々しい寄生虫め!」
「私を殺すなど……不可能だ!」
「やめろ……やめろ……!」
「……」
ドォン!!
神像が完全に爆散した。
二度と再生できない破片となって散る。
終わった?
本当に――終わったの?
……
私は呆然とその光景を見ていた。
頭の中が真っ白だ。
喜びもない。
解放感もない。
ただ、
空っぽだった。
何も感じない。
「……」
こんな結末、想像したこともなかった。
私は、
きっと一人で死ぬんだと思っていた。
世界はずっと最悪のままだと思っていた。
「……」
「う……」
〈災厄の源〉が完全に消滅した瞬間。
胸が、鋭く痛んだ。
世界が分離するのと同時に、
心臓から強烈な引力が生まれていく。
【世界分離成功】
【SEEKER世界は世界樹消滅により崩壊予定】
崩壊……?
「凪緒!!
やっと帰れる!!」
「凪緒ーー!!」
千夏が転移してきた。
攻略を終え、転送陣が消える前に真っ先に飛んできたのだ。
瞳をきらきら輝かせ、
全速力で私に向かって走ってくる。
「言ったでしょ!
絶対に連れて帰るって!」
「やっと……」
「やっと……!」
「……」
「うわああああん!!
やったよ凪緒!!このバカ!!」
「私たち勝ったんだよ!!」
次の瞬間。
とんでもない力で抱きしめられた。
ぐえっ――
久しぶりだ。
トラックに轢かれたみたいに息が詰まるこの抱擁。
「……」
【選択してください】
【世界樹の力を使用しSEEKER世界を維持しますか】
【選択した場合、あなたは新たな世界樹の主となりSEEKER世界に残ります】
【選択】
【YES / NO】




