第76話
燈里は、黙ったまま走り続けていた。
戦場の喧騒が、少しずつ遠ざかっていく。
私は彼女に抱きかかえられたまま、どれほどの時間走ったのか分からない。
こんな温もりのある空間を感じたのは、いったいいつ以来だろう。
気づけば――
意識は、ゆっくりと沈んでいった。
そして、再び目を覚ましたとき。
窓の外は、すでに朝になっていた。
◇
「……」
燈里は壁にもたれ、腕を組んだまま立っていた。
漆黒の長い髪が、滝のように背中へと流れ落ちている。
朝日が彼女の前髪の隙間から差し込み、その横顔をかすかに照らしていた。
彼女は何も言わず、ただ天井を見上げている。
何を考えているのかは、分からない。
私は布団をめくった。
そこでようやく気づく。
身体の傷はすべて丁寧に手当てされ、ほとんど治りかけていた。
それどころか――
服まで、きれいに脱がされている。
「……あ……あ……」
私は小さく口を開く。
けれど。
この人に向かって、どうしてもあの言葉が言えない。
何度も息を吸い込んで――
ようやく。
「……ありがとう……」
……声は、蚊の鳴くような小ささだった。
まあ、どうせ聞こえていないだろう。
そう思ったけれど。
燈里は特に反応を示さなかった。
「最終決戦なんだから」
彼女は振り返りもしないまま言う。
「コンディションは万全にしておくべきでしょ」
私の神器はすべて、ベッドの脇に並べられていた。
けれど燈里は、それを一瞥することさえしない。
「……」
「どうして?」
ついに私は、口を開いた。
転生してからずっと胸の奥に引っかかっていた疑問。
「どうして私の仇を討ったの?」
「どうして……私を助けたの?」
朝の風が部屋へ吹き込み、カーテンが揺れる。
その影が、燈里の姿を半分隠した。
彼女は答えない。
「やりたいことをやればいい」
やがて、彼女の声だけが聞こえた。
「災厄の源で会おう」
「……」
災厄の源。
そうだ。
ついに――
この瞬間が来た。
この一年。
狂ったように資源を集め続けてきたのは、
すべて、この悪夢を終わらせるため。
私はもう、一秒だって待ちたくない。
燼天を討伐したことで、最後のピースが埋まった。
私のレベルは一気に100へ到達し。
すべての神器が、レベル100まで強化可能になった。
これは――
質的な飛躍だ。
本来なら九年後に挑むはずだった災厄の源に。
私は今、挑むことができる。
「ヘアバンド、ネックレス、レザーアーマー、マント、グローブ、ブーツ、ベルト、リング……」
私は一つずつ最後の強化を終え、
そして一つずつ、それらの神器を装備していく。
今の私の総合戦闘力は――
かつて災厄の源へ挑んだときの、三倍。
災厄の源には、挑戦人数の制限はない。
だが。
新たな攻略者が攻撃を加えるたび。
あるいは参戦者へ回復を行うたび。
災厄の源のHPは100%増加する。
さらに攻撃速度と攻撃力も上昇する。
つまり――
人数が増えるほど、攻略は困難になる。
理想の編成は、
すべての役割を備えた、五人以下の精鋭パーティ。
だが理論上は――
防御、回復、火力。
すべてを一人で担えるなら。
単独攻略こそが、最適解。
「いける……」
「私は、やれる」
いや。
やらなきゃいけない。
……とはいえ。
燈里の奴、どこへ行ったんだ?
ブーン――
突然、通知欄が小さく震えた。
次の瞬間。
ブーンブーンブーンブーンブーンブーン――!!
大量のポップアップ通知が。
配信チャンネル。
ニュースチャンネル。
さらには世界チャットまで。
一斉に、爆発するように流れ始めた。
「一年ぶりの復帰配信!
最終ボス『災厄の源』攻略戦を現地から完全生中継――
実況:白夜
攻略者:狐塚凪緒
参上!!」
「……は?」




