第75話
「私は、嘘をつく人間が嫌い。」
燈里は足元に残っていた刺客の灰を、無造作に踏み砕いた。
そしてゆっくりと私の前まで歩み寄り、見下ろすように視線を落とす。
私は苦笑し、静かに息を吐いた。
「……やっぱり、この日が来たか」
燈里は何も答えない。
そのまま一歩、さらに距離を詰めてくる。
顎が、ふいに持ち上げられた。
強引に視線を合わせさせられる。
そして――
彼女はようやく、あの目を見せた。
私がよく知っている、獲物を値踏みする捕食者のような、侵略的な眼差し。
「言ったはずよ……来るべきじゃなかったって」
「……」
そうだ。
私は、来るべきじゃなかった。
もし来なければ、この暗黙の嘘は、きっとまだ続いていた。
私は燈里が転生者だと知らないふりをして。
燈里も、自分があの暗殺者ではないふりをして。
私たちは敵ではないふりをしていられた。
何事もなかったかのように。
数日に一度、彼女が私を訪ねてきて。
血を求めるか、あるいは――
ただ、私の背後に立つ。
静かに。
何も言わずに。
ただそこに立っているだけで。
それでも私は――
自分がまだ、生きていると感じられた。
空気が、わずかに硬くなる。
私たちは、どちらも口を開かなかった。
「おい、あれ人類の裏切り者だろ!?」
「そうだ! あいつが高レベル資源地帯を独占して、ボスの九割を奪ったんだ!」
「だから俺たちは原住民との戦争で不利になったんだ!」
「間違いねぇ! あいつだ!」
「全員でやれ!! あのクソ野郎を殺せ!!」
四方から殺気に満ちた怒号が押し寄せる。
次々と戦場へ到着する攻略者たち。
さっきまで戦意を失っていた者たちも、再び武器を構え始めた。
無数の魔法と矢が空を埋める。
それでも私は――動かない。
ただ、その瞳を見つめていた。
世界のすべてが消えて。
残ったのは、燈里の瞳だけ。
赤ワインのように深く、酔わせるような色の瞳。
「……助けて」
私は冷たく言った。
「どうして、私が助けると思うの?」
「なら――死なせてくれ」
燈里が目を細めた。
「……っ、げほ……」
喉の奥から、紫黒色の毒血が吐き出される。
視界が揺れる。
左肩の毒はすでに全身へ広がりつつあり、MPも完全に枯渇している。
力が、急速に体から抜けていく。
私はわずかに口元を歪めた。
そして。
すべてを放棄するように。
前へ――倒れ込む。
燈里の胸の中へ。
燈里の体が、はっきりと硬直した。
「……」
もう、体は動かない。
今の私なら。
レベル1の冒険者にでも簡単に殺される。
まして相手は――
第一の刺客。
「……」
空を覆うほどの攻撃が迫る中。
燈里は、沈黙したまま。
短剣を握る手をわずかに持ち上げる。
もう一方の手の指先が、マントの端をつまむ。
「……」
ばさり。
耳元で、布が翻る音。
世界が一瞬で暗くなる。
まるで蝙蝠が翼を閉じたように。
私は完全に、彼女の檻の中へ閉じ込められた。
暗闇の中。
強引に口をこじ開けられる。
冷たく、甘い液体が喉へ流し込まれた。
「抵抗しないで。解毒薬よ」
「……ぐっ……」
◇
「仲間がいたのか!?」
「逃がすな!!」
ついに攻撃が降り注ぐ。
だがそれらは、すべてマントに弾かれていた。
煙が晴れる。
燈里は無表情のまま、攻撃してきた者たちを見渡す。
「悪いけど」
「この子の血は」
「私のものよ」
突然、腰が持ち上げられる。
足が地面から浮いた。
《潜行発動》
自分の手足が、視界から消えていく。
やがて体そのものが見えなくなり、燈里と共に潜行状態へ入った。
「クソッ、刺客め!」
「神官! 顕現術を使え! 他は……絨毯爆撃だ! 逃がすな!」
私を抱えているせいで、燈里の機動力も反撃力も落ちている。
彼女はすべての攻撃を受け止めるしかない。
「やめてください!! 皆さん、攻撃をやめてください!!」
そのとき、二つの部隊が戦場へ突入した。
攻略者たちの攻撃を全力で食い止める。
そのおかげで、私たちに向けられていた圧力が一時的に緩んだ。
「夜明ギルド会長、白夜です! どうか攻撃を停止してください!」
白夜は拡声魔法で声を戦場全体へ響かせる。
「夜明だと?」
「ああ知ってるぜ! あの裏切り者の肩を持ってる連中だろ!」
白夜は苦笑した。
わずか一年で。
自分の評価が「救援者」から「人類の裏切り者の共犯者」に変わるとは。
「大手ギルドの連中はみんな同じだ!」
「あの裏切り者と同じで資源地帯を独占してる!」
「だから俺たちはこんな苦しい生活をしてるんだ!」
「こいつらも仲間だ!!」
「攻撃続行!! ぶっ潰せ!!」
白夜は仕方なく盾の後ろへ身を隠した。
「……もう、矛盾は限界だ」
由衣も彼の隣に立つ。
「資源が枯渇した世界では、誰もが生きるために必死になる。大手ギルドが資源を多く持てば、敵視されるのは当然……」
「まして彼女の資源量は、人類全体より多い」
「このバカ……っ、げほ、げほ……」
千夏が森から姿を現す。
煙を吸ったのか、咳き込んでいた。
「説明しても無駄なら、説明する必要なんてない!」
「大手ギルドなら、大手ギルドらしく強気でいく!」
「私は凪緒を信じてる! あの子がこんなことをするなら……絶対理由がある!」
千夏は杖を強く地面へ叩きつけた。
「俺もクレイジーフォックスを信じてる! あいつ、酔っぱらっても人は殺さなかった! 強盗の髪を焼いただけだ!」
夜明の副会長が拳を握る。
「海神祭の日だって、彼女は隠れ続けることもできた。でも私たちを助けてくれた。彼女が裏切り者なはずがない」由衣の瞳は揺るがない。
白夜の目が、わずかに潤む。
「俺は一生、クレイジーフォックス単推しだ!!!」
「予定変更ね」
千夏は周囲を見渡した。
人類裏切り者討伐団が、さらに増えている。
「今日は……彼女を連れ帰るのは無理そうね」
千夏は杖を構える。
「みんな――」
「全力でいくわよ」
「何があっても」
「――二人を止めさせない!!」
◇
背後では、なおも怒号と殺気が渦巻いていた。
千夏の象徴とも言える火炎の竜巻が人波の中で巻き上がり、追撃してきた攻略者たちをまとめて空へ吹き飛ばす。
何人もの身体が宙を舞い、そのまま地面へ叩きつけられて気絶した。
だが――
〈夜明〉と〈余火〉もまた、激しい反撃を受けている。
私は思わず振り返り、背後の戦場を見ようとした。
けれど、顔を上げた瞬間。
無情な手が、私の頭をぐいっと押さえつけた。
再び――燈里の胸元へ。
「見なくていい」
静かな声だった。
「この一年で、みんな強くなってる」
「任せておけばいい」
「……」
カキン――
胸の奥で、何かが割れる音がした気がした。
分厚い壁のようなものが。
ずっと私の中に立ちはだかっていた何かが。
あいつらに思いきり叩き壊されたみたいに――大きな穴が開く。
視界が、少し滲んだ。
毒のせいなのか。
それとも――別の何かなのか。
私は顔を、ぐっと燈里の胸元へ押しつける。
逃げるみたいに。
必死に。
自分の情けない顔を、完全に隠してしまうかのように。
「……どうして」
かすれた声が漏れた。
「どうしてSEEKERなんてものが、この世界に降りてきたの……」
「約束したじゃない……」
「一緒に誓ったじゃない……」
「私はただの高校生なのに……」
「恋愛だって、まだしたことないのに……」
「まだ未成年なのに……!」
喉が震える。
言葉が止まらない。
止められない。
「どうして私の人生は……」
「戦って、戦って、戦って、戦って……」
「全部殺して……」
「最後は自分が殺される……」
「そんなことばっかり……」
「何度も……何度も……何度も……!」
胸の奥が、裂ける。
「どうして……」
「どうしてなのよッ!!」




