第7話
時刻――
SEEKERと現実が融合してから、二時間後。
政府はついに、この荒唐無稽な現実を受け入れざるを得なくなった。
テレビ、スマートフォン、そして街中に設置された巨大広告スクリーン――
あらゆる情報伝達手段を通じて、かつてないほど不穏な避難通告が発表される。
【緊急避難通告|第一次】
こちらは、政府緊急災害対策本部です。
本日16時20分頃より、
静岡県東部・山梨県南部を中心とした広範囲において、
既存の災害類型には該当しない、重大な異常事象が確認されています。
地方自治体、自衛隊の各地方部隊、ならびに警察庁による合同確認の結果、
当該区域内に出現した対象は、
通常の警察装備および自衛隊の制式火力では有効な対処が困難であることが判明しました。
■ 異常災害が確認されている地域(現時点)
以下の地域では、継続的な危険状態が確認されており、
人的被害および行方不明者の報告が増加しています。
【静岡県】
・富士市
・富士宮市
・御殿場市
【山梨県】
・富士吉田市
・鳴沢村
・山中湖村
【神奈川県】
・箱根町
【東京都】
・奥多摩町周辺の山間部
※上記は確認済みの一部であり、
異常現象は現在も拡大・調査中です。
■ 避難指示
該当地域の住民の皆さまは、
ただちに現地での滞留を中止し、
自身の安全を最優先に、指定された安全区域へ避難してください。
・政府指定の避難ルートを優先して使用してください
・森林、地下施設、視界の確保が困難な場所への立ち入りは避けてください
・異常対象への接触・観察・撮影は行わないでください
・未確認情報の拡散は控えてください
自力での避難が困難な場合は、
現地で建物内に留まり、後続の指示を待ってください。
■ 重要なお知らせ
現在確認されている異常現象は、
いかなる既知の自然災害、事故、犯罪形態にも該当しません。
政府はすでに、関係省庁による横断的な緊急対応を開始しており、
今後もNHK、緊急速報メール、地域放送を通じて続報をお伝えします。
落ち着いて行動してください。
公式情報を信頼してください。
ただちに行動を開始してください。
以上です。
政府の避難通告は、街の混乱をさらに加速させた。
「……冗談でしょ?!」
人々は、どこかで軍が救援に来てくれると期待していた。
だが、通告には軍による避難支援については一切触れられておらず、
求められていたのは、あくまで自己判断による避難だけだった。
地下鉄もバスもすでに運行を停止している。
人々は徒歩か、自家用車で移動するしかなく、
道路は完全に麻痺状態に陥っていた。
そして――
私たちが向かう委託目的地は、池袋駅の地下トンネルだった。
混雑した道路では、一歩も前に進めない。
「ここに留まっていても、時間の無駄だわ」
燈里は、記憶にある通りの、冷静で切れ味のある声で言った。
敵というものは、往々にして自分を一番よく理解している。
だからこそ、私は彼女の言葉が出た瞬間に理解した――
戦略を切り替える合図だ。
彼女の策は、いつも危険を伴う。
けれど、結果的には必ず効果を上げ、
いつも私の予想を裏切ってきた。
私は近くの地下鉄駅に目を向け、
彼女の狙いを即座に読み取る。
(要町駅から地下に入る。
池袋までは一駅分。
仮に魔物と遭遇しても、消耗は最小限で済む……いける)
「出発」
「出発」
私と燈里の歩調が、ぴたりと揃う。
千夏は呆然と、私たちを見つめていた。
「凪緒、どうして燈里先輩が要町駅に行くって分かったの?!
もしかして、二人でこっそり個チャしてた?!
もう、全然ついていけないんだけど!」
「地下トンネルは暗くて、はぐれやすい。
それに魔物の数も地上より多い。
千夏、私と燈里の間を歩いて。後方は私が見る」
「……」
千夏は、もはや抵抗する気力もない様子で現実を受け入れた。
要町駅の入口には、立ち入り禁止の規制線が張られている。
だが、管理人は逃げ出したのか、
ここを止める人間は誰もいない。
その規制線は、まるで存在しないかのようだった。
私たちはそれをくぐり、駅構内へと足を踏み入れる。
――その瞬間。
地上の喧騒は、嘘のように遠ざかり、
駅構内には、背筋が凍るほどの静寂だけが残った。
まるで別の世界に入り込んだかのようだ。
耳に響くのは、自分たちの足音だけ。
照明は点いている。
だが、改札員も、乗客の姿もない。
電線が時折、火花を散らし、
電子広告スクリーンが規則的に点滅しながら、
最後の避難通告を繰り返し映し出している。
床には、何かを引きずったような血痕が残っていた。
それはホームから線路へ、
そして光の届かない闇の奥へと、ずっと続いている。
池袋駅へ向かうには、
この闇を抜けるしかない。
「……やっぱり……べ、別の道にしない……?」
千夏が、今にも泣き出しそうな声で言った。
だが、彼女が迷っている間に、
燈里はすでに迷いなくトンネルへと踏み込み、
夜行用の刺客装束に身を包んだその姿は、
闇に溶けるように消えていった。
「なんで毎回、恐怖心ゼロの非人類なの……!」
千夏は絶望しながら、後を追う。
私は最後尾についた。
トンネルの中は、完全な闇。
手を伸ばしても、指先すら見えない。
私たちは線路沿いに、慎重に歩みを進める。
――だが、おかしい。
数分進んでも、
魔物の影は一切ない。
要町駅の灯りは、どんどん遠ざかり、
前方には、完全な闇だけが広がっていた。
背後の光が、完全に消えた、その瞬間。
――闇の中から、
凄惨な悲鳴が響き渡る。
「ぎゃあああああ――衡平会長……!
言われた通りにした……!
お願いだ、助けて……やめて……!
ああああああ――!!」




