第67話
「違う……逃げて!!」
「これは海神じゃない……」
「逃げてぇぇぇ!!」
私は肺が裂けるほどの力で叫んだ。
巨大な翼の下で、〈余火〉と〈夜明〉のメンバーは、ただ呆然と立ち尽くしている。
誰も、何が起きているのかすら理解していない。
逃げる? どこへ?
腐敗した竜の翼は十数キロにも及び、人の足でどうこうできる規模ではない。
時間が、この瞬間だけ凍りついたかのようだった。
◇
「必ず……必ず、私たちの世界を取り戻す! あの災厄を地球から追い出すんだ!」
前世。
極光が揺らめく雪山の頂で、私とLedger、Aileen、Corvin……そして最初の〈余火〉の十二人は、星空に向かって誓いを立てた。
凍りつく涙を頬に張りつかせながら、胸に滾る熱を抱え、私たちは空へと叫んだ。
SEEKERに完全に覆われた地球。
原住民に地球の居住圏を奪われたことで、多くの地球人は住処を失い、野外で魔獣と隣り合わせに生きるしかなかった。死傷者は膨大だった。
同時に、突如として現れた七十億の人類は、異世界に凄まじい人口衝撃を与えた。
原住民は「異世界難民」の排斥を開始し、追放運動が広がり、流血沙汰が頻発する。
彼らは吐き捨てるように言った。
――あいつらは強盗だ! 家に押し入り、箱を漁り、衣服も食料も金も奪っていく!
だが地球人にも言い分はある。
――RPGってそういうものだろ? しかもそこは元々、俺たちの家だった! 奪ったのはお前たちだ!
衝突は、もはや修復不可能だった。
世界は明確に派閥へと分裂した。
占領派――原住民の都市を奪い、地球勢力の領域を築くことを主張する者たち。
生存派――領土争いに関わらず、野外で細々と生き延びることを選ぶ者たち。
剥離派――二つの世界が融合した根本原因を突き止め、再び分離させることを目指す者たち。
私が立ち上げた〈余火〉は、剥離派の中核だった。
十年に及ぶ全力攻略の末、私たちは世界融合の源を特定し、あと一歩で成功という地点まで辿り着いていた。
――その日のことだ。
「会長、俺たち、もう十分強いじゃないですか。そろそろ楽しんでもいいんじゃないですか?」
「本気になれば、国の一つや二つ、いつでも支配できる! 本物の王になれるんですよ? なんで地球に戻ってローンなんか払わなきゃいけないんですか!」
攻略後の酒場で、Ledgerは酒杯をテーブルに叩きつけ、感情を爆発させた。
私は、ただ驚いて彼を見つめた。
CorvinがLedgerの背を叩き、眉を寄せる。
「会長……Ledgerの言うことにも、一理あります」
「あなたたち……」
揺れる蝋燭の灯りの中、私は目の前の仲間たちに、かすかな違和感を覚えた。
「誓いを……忘れたの?」
「忘れてはいません」Corvinは首を振る。「ですが……人は成長の過程で目標を修正するものです。あの頃の理想は、変わっていく」
「そうだよ。異世界は悪くない。政府もない、仕事もない。ここでは俺たちは英雄だ。なぜ剥離する必要がある?」
Ledgerは肩をすくめた。
「何を言ってるの!?」
私は彼の襟を掴んだ。
「全員が私たちみたいに強いわけじゃない! 冒険者になる勇気も力もない人だっている……食べ物もなく、物乞いのように生き、魔物の餌になった人もいるのよ!」
パキン――
「だからこそ、目標を変えるべきなんだ!」
Ledgerは酒杯を握り潰した。
「なぜ原住民だけが俺たちを追い出せる? 侵略したのはあいつらだ! 地球を覆い尽くしたのはあいつらだろう! 皆殺しにして奪い返す、それが正義だ!」
「あなたたち……」
視界が揺れた。
「エギルやカレン、ルナを忘れたの?」
「……」
「彼らは原住民だった。でも、私たちの攻略を助けるために命を投げ出した……
世界融合の真実なんて知らなかった。ただ私たちを助けたかった。帰らせたかった。
彼らも侵略者なの?」
酒場は沈黙に包まれた。
やがて私は弓を手に取り、吹き荒ぶ吹雪の中へ歩き出した。
「剥離する。彼らの世界を彼らに返し、私たちは地球へ戻る。
ここがどれほど良くても、ここは私たちの家じゃない。
戻りたければ、技術を発展させればいい。宇宙へ手を伸ばせばいい。
いつかまた来る。その時は――胸を張って、久しぶりの友として」
◇
あの日、すでに兆しはあったのだ。
胸の奥が鈍く痛む。
けれど、恨みは湧かない。
理解している。
攻略世界の英雄から、ただの人間に戻ることを、誰が望むだろう。
私だって、望まない。
でも――自分のものではない世界は、やはり自分のものにはならない。
狐は、夜と荒野に帰るものだから。
「あなた……」
燈里と視線が交わる。
一瞬で、彼女は私の魂の奥まで見透かした。
それでも何も言わず、手首を掴む。
「座標を」
「竜翼の真下、中心点」
私は神器を一つずつ身に纏う。
身体がふっと軽くなり、燈里の空間能力が発動する。
次の瞬間、私は竜翼の真下に立っていた。
人は変わる。
誓いを立てた仲間でさえ、時間と共に離れる。
やがて神器の所有者は、全員の敵になる。
それでも。
私は弓を引き絞り、天を覆う巨大な翼へと狙いを定める。
「……それ、報われるの?」
燈里の声が風に溶ける。
私は笑った。
「だって、みんな私を仲間だって思ってる」
彼女は小さく息を吐く。
「……明日にはもう敵なのに」
「明日のことは、明日考える」
弦を放つ。
万神の力よ――今、降臨せよ!




