第53話
轟いていた声の波が、ふっと途絶えた。
先ほどの出来事はまるで警告のようだった。
陸に生きる、取るに足らぬ存在に向けられた、圧倒的な存在による示威。
だが――ただの警告に過ぎないはずのそれが、都市の四分の一を瓦礫へと変えてしまったのだ。
もし、あれが全貌を現したなら……。
「世界アナウンス:
西フヴニア王都における魔物侵入事件は終了しました」
「西フヴニア王国より通達:
市民および冒険者の皆様は恐慌に陥る必要はありません。先ほどの現象は、海神様の御顕現によるものです。
海神様は我が王国の守護神であり、自ら攻撃を行う存在ではありません。
先ほど海竜湾で発生した異変を受け、国王陛下は海神祭の前倒し開催を決定されました。祭典を通じ、海神様との交信を試みます」
海神祭が……前倒し?
海神祭は西フヴニア王国最大の祝祭だ。通常なら開催は半月後。
前世でも、確かにそうだった。
いったい何が――ここまで世界線を変えてしまった?
「どうやら、あれはしばらく声を上げないみたいだな」
国王の宣言以降、海は静寂を取り戻していた。
津波に巻き込まれた人々の多くも、すでに避難を終えている。
都市の空気が変わっていく。
“復興”と“祭り”へ向けて。
その変化に、張り詰めていた神経がようやくわずかに緩んだ。
「行こう。報酬を交換しに」
私たちは報酬交換所へ向かった。
「6,322ポイント?! あなた方は……まさか、ランキング一位の三名の冒険者様では?!」
交換員の絶叫で、身元を隠していた努力が一瞬にして水泡に帰した。
周囲から向けられる羨望の視線を浴びながら、私たちは慌てて顔を隠す。
「現在、住居がありません。すぐ入居できる家を交換したいのですが」
「ご心配なく! ランキング一位の冒険者様には、王都の住宅が報酬として直接授与されます!」
「え? 三人全員に?」
「予算の都合上、すべての装備報酬を三つずつ用意することはできませんが……住宅に関しては可能です! 立地も自由にお選びいただけます!」
一瞬、海辺の邸宅が頭をよぎる。
だが、あの海の“何か”を思い出し、即座に却下した。
最終的に選んだのは、王都北東部の小さな庭付き住宅。
私と燈里の家はやや外れにあり、静かな環境だ。
千夏は近隣でもっと賑やかな区画を選んだ。
「まさか……いきなりマイホーム持ちになるなんて……」
権利書に署名し、私たちは正式に異世界の住人となった。
「ママ! 異世界で家買ったよー!」
千夏ははしゃぎながら権利書にキスし、高々と掲げて写真を撮ると、そのまま家族へ送信した。
「こちらが住宅の鍵です。お一人につき三本。うち二本は予備となります」
鍵の持ち忘れに備え、私たちは互いに予備鍵を交換した。
「その他のランキング報酬は後ほどメールにて送付いたします。功績値については、交換品が決まり次第いつでもお越しください。有効期限はございません」
期限なし……助かる。
正直、指一本動かすのも億劫なほど疲れていた。
報酬を考える余力などない。
今はただ、眠りたい。
倒れ込むように。
「私は余火と夜明の様子を見てくる……二人も大阪に来たみたい。一緒に行く?」
「無理。もう限界……」
ガウに跨り、ゲームマップを開く。
自宅をマーキングし、オートナビを起動。
「燈里先輩は?」
「用事がある」
「そっか。じゃあ私は一人で行くね。何かあったらフレンド通信で呼んで〜」
……本当に元気なやつだ。
私も体力と筋力に少し振るべきかもしれない。
「私は休む」
「うん」
燈里と軽く言葉を交わし、新しい家へ足を踏み入れる。
庭を眺める余裕すらない。
適当な部屋を見つけ、軽く埃を払う。
持参していた枕と寝具を敷き、そのまま潜り込んだ。
慣れ親しんだ匂いに、瞬時に心がほどける。
「……ん……」
筋肉が緩み、意識が沈んでいく。
◇
――深夜。
どれほど眠ったのかも分からない。
夢の中で私は、丸焼きにした巨竜の脚にかぶりついていた。
次の瞬間。
その焼き竜が寝返りを打ち、私を丸ごと押し潰した。
必死に抗うが、痛む腕は持ち上がらない。
まるで拘束されているように、地面へ縫い留められている。
重い。
猛虎に押さえつけられた小鹿のように。
喉元には鋭い牙の気配。
頸動脈のすぐ上で、ためらうように揺れている。
「……たすけて……焼き竜が……人を食べる……」
寝言が漏れる。
腕を持ち上げ、その重たい焼き竜を押しのけようとする。
だが――
焼き竜が、生きている。
熱い鼻息がかかった。
危険な呼吸が耳元で唸り、毒を含んだ唾液が牙を伝って首筋へ落ちる。
触れた皮膚が、じんと痺れた。
ほんの少し力を込められれば、血液は鼓動に押し出され、そのまま奴の喉へ流れ込むだろう。
「……やだ……」
「……いや……」
「——焼き竜に食べられるなんて絶対いやあああ!!」
私は勢いよく目を開け、悪夢から跳ね起きた。
「……誰?!」




