第26話
「……死にました」
治療役の男が、その場に膝をつき、かすれた声で現実を告げた。
命を失ったその瞬間、
湖面はもはや弓使いの身体を支えず、
そのまま深い水底へと呑み込んでいった。
無念に歪んだその顔には、憎悪と絶望が貼り付いている。
湖面を睨みつけるその眼差しは、
まるで“上にいる者たち”をも道連れにしようとするかのようで――
やがて、
その亡骸は幽暗な湖水の奥へと、完全に姿を消した。
「隊長……」
「気にするな!!」
神代明人が、怒号を上げる。
「たった一人減っただけだ!
九人残っていれば、火力はまだ優位だろ!
それに、進行度はこちらが上だ!
首位攻略は問題ない!!」
「で、でも……死んだんですよ……」
治療役は信じられないという表情で彼を見つめた。
「人が……死んだんです……!
それでも、平気なんですか……?」
「人の命がどうした!!
昨日から今日までで、何人死んだと思ってる!!」
神代明人は怒鳴り返し、湖の底を指差した。
「アイツみたいになりたくなければ、
全力でこのダンジョンの首位攻略を取れ!!
首位報酬と最終ボスの撃破報酬には、
ステータスポイントと、序盤最強クラスのエピック装備が出る!
それがあって初めて、
この時代を“安全に”生き残れるんだ!!
今日を生き延びたとして、明日はどうする?
明後日は?
トップクラスのレベルと装備がなければ、結局は死ぬ!!」
「…………」
〈システムメッセージ〉
〈第二フェーズを完了しました〉
〈最終フェーズに移行します〉
「小休止だ!
第三フェーズ、準備して挑むぞ!」
神代明人は白夜の配信画面にちらりと視線をやり、
わずかに息をついた。
「進行度はおそらく最速だ。
時間を無駄にするな、優位を維持するぞ!」
――――――
優位、ね。
私は視線を引き戻し、その配信画面から目を逸らした。
こちらは、まだ第二フェーズの中盤に差し掛かったところだ。
「いやぁ、今のヒール最高だな!
助かったぜ!」
濃霧の向こうから、副会長の快活な笑い声が聞こえてくる。
進行は遅れている。
だが、パーティの空気は驚くほど軽かった。
「ははっ、こういう“飽和回復”大好きだ!
安心感が段違いだな!」
どんな小さな擦り傷であっても、
即座に治癒が飛んでくる。
治療役が三人いることで回復負荷は完全に分散され、
MP不足を心配する必要は皆無。
回復速度は消費を大きく上回り、
ほぼ常時フルMP状態を維持していた。
周囲の環境は不気味で、敵も異様だ。
それでも――
受けたダメージは瞬時に消える。
痛みを感じるより先に、傷が塞がることすらある。
恐怖は、いつの間にか心から消えていた。
心理的な圧迫がなくなったことで、
操作にミスが出ることもない。
結果として、
皆が積極的に新しい戦術を試し始め、
戦いながら成長していく。
進行速度は、加速度的に上がっていた。
「……あそこに鳥居が見える。
出口かしら?」
由衣が前方を指差す。
湖の中央に、朱色の鳥居が立っていた。
その向こうから、光が差し込んでいる。
「間違いない!
あそこだ!
第三関門はもうすぐだ!」
一同の士気が、一気に高まった。
「もう第三関門?
第二関門、経験値美味しすぎて全然飽きてないんだけど!」
副会長が笑う。
侵入時の平均レベルはLv10。
今ではLv12に到達していた。
……私に至っては、Lv14だ。
「急ごう!
神代明人って奴、もう第三関門ボスの体力を四分の一削ってる!
向こう、相当速いぞ!」
白夜が先頭を切って鳥居をくぐる。
鳥居を越えた瞬間、
周囲の濃霧は嘘のように消え去った。
振り返ると、
湖面には明るい陽光が降り注いでいる。
微風が波紋を広げ、
湖の上には、鳥居と小島を結ぶ“見えない橋”だけが残っていた。
風に乗って、
島の方角から風鈴の音が流れてくる。
あまりに唐突な静けさに、
呼吸さえ自然と落ち着いていく。
私たちはゆっくりと透明な橋を渡り、
小島へ上陸し、神社の前へと辿り着いた。
「ゴォォォ……」
突如、
空を切り裂くような轟音が響いた。
まるで隕石の落下――
巨大な影が、一直線に島の中心へと降下してくる。
「衝撃に備えろ!!」
「――轟ッ!!」
黒紅の炎を纏った巨大な物体が、
島の中央に叩きつけられた。
――剣だ。
無数のルーンが刻まれた、
漆黒の大剣。
それは島の中心に深々と突き刺さり、
放射状に走る亀裂が島全体を覆っていく。
亀裂から噴き上がる黒紅の炎が神社を包み込み、
周囲の注連縄は一瞬で焼き尽くされた。
大地が震え、
神社の地下から、禍々しい力が蠢き始める。
「……三千年……」
土中から、一本の手が突き出した。
そのまま、大剣の柄を強く握り締める。
「この湖の底に、
三千年も……押し潰されていた……!!」
手が地面を押し、
轟音と共に、全身が瓦礫を撒き散らしながら引き抜かれる。
「私の背後へ!
――光輝障壁!」
由衣と副会長の背後に身を寄せ、
私たちは辛うじて飛び散る瓦礫をやり過ごした。
「……誰が、私を目覚めさせた?」
現れたのは、
首のない騎士。
重厚な鎧の内側には、濃霧のような身体が渦巻いている。
頭部は存在しない。
それでも――
確かな“視線”が、こちらを値踏みしていた。
「……貴様らか?
いや、違うな。
貴様らには、その力がない」
――当然だ。
私たちはまだLv12。
封印を破れるはずがない。
私は内心で、そう突っ込む。
ダンジョンの定型展開なら、
このLv130の無頭騎士は、
やがて空を見上げ、雲間に潜む“黒幕”に気づく。
そして黒幕と共に去り、
代わりに、私たちが対処可能な石像系ボスが残される――
……さっさと行ってくれ。
無駄な時間は使いたくない。
こちらも首位撃破を狙っているんだから。
「……ん?」
暇つぶしに時間を数えていた私は、
なかなか来ない“次の台詞”に違和感を覚えた。
顔を上げると――
無頭騎士の身体が、
こちらを……向いている。
――私を?
恐るべき存在は、
ゆっくりと私の前まで歩み寄ってきた。
しばらく、沈黙のまま凝視される。
やがて、
鎧の奥から、低く困惑した声が響いた。
「なぜだ……
貴様の気配は……
なぜ、これほどまでに……懐かしい……?」




