第18話
〈余火〉
その名前を見た瞬間――
胸の奥が、わずかにざわついた。
……あまりにも、見覚えがありすぎる。
「ほんとに……妙な偶然ね」
今世では、私は〈余火〉を立ち上げていない。
立ち上げるつもりも、最初からなかった。
それなのに。
――それでも、現れた。
「ふふ……」
自分が何に笑っているのか、分からない。
カップの中の茶は、もうとっくに空になっているのに、
口の中には、なぜか苦味だけが残っていた。
燈里が歩み寄り、私の隣に腰を下ろす。
私は無表情のままカップを置いた。
「向かいに席、空いてるでしょ。
わざわざ隣に座らなくてもいいと思うけど?」
「向かいは、依頼人の席」
……ちっ。
それを言われると、反論できない。
「ギルド、選ばないの?」
燈里は勝手に、私のカップを使って自分の分の茶を注ぐ。
冒険者ホールは、すでに喧騒に包まれていた。
各ギルドが進路を巡って激しい議論を交わし、
転職者たちは、どこに属するべきかという不安に駆られている。
「……それ、私が買ったお茶なんだけど」
冷たく言うと、
「チン」
銀貨が一枚、顔めがけて飛んできた。
私は反射的に掴み取り、そのまま懐にしまう。
「どうぞ」
私は眉を上げた。
……急須、まだ半分残ってる。
儲けた。
「凪緒! しっぽ動いてるよ! すごい!」
背後から、千夏の声が飛んできた。
「……」
「ねえ凪緒、ギルド、入らなくていいの?
ギルドの拠点って、便利な機能がたくさんあったよね?」
千夏が私の左側に座る。
……完全に挟まれてる。
ハンバーガーの中のパティみたいだ。
「まだ急ぐ必要はないわ。
今のギルドは、どこも拠点を持っていない」
「拠点を作るには王室の許可が必要。
……あれは、国王の承認がないと下りない」
現実世界には、課金なんて存在しない。
ゲーム時代なら金を払えば即購入できた
『ギルド拠点』も、
今では国家に認められるだけの
重大な功績がなければ、封地として与えられない。
「皆さん、拠点のことでお悩みのようですね」
重たい影が、私たちの前に腰を下ろした。
冒険者協会の受付嬢が、軽く頭を下げる。
「お待たせしました。
こちらが、今回の依頼主の方です。
どうぞ、ごゆっくりお話しください」
……依頼主?
ついさっきまで、乗ってたけど。
「はははっ。
ガウが喋るの、意外でしたか?」
……うん。
正直、かなり。
向かいに座っているのは、
先ほど私たちが騎乗していた陸行鳥――ガウだった。
「実は、ガウ一族の知能は人間に劣りません。
ただ、森で他の魔獣と資源を奪い合うよりも、
人間と協力し、騎獣として生きる方が、ずっと楽なんです」
なるほど。
「で、でも……
どうして、普段乗ってるガウは喋らないんですか?」
千夏が思わず口を挟む。
「最初の《ガウ便》は、会話可能だったんですよ。
ただ……あまりにもお喋りで。
苦情が殺到しまして」
「それで今は、勤務中は沈黙鞍具を着ける決まりになりました……」
「……」
「本題に入りましょう」
ガウの表情が、わずかに強張る。
「皆さんに、もう一つお願いがあります。
この依頼を達成していただければ、
封地を直接お渡しすることはできませんが……」
「皆さんの功績を、国王へ正式に報告します。
確かな記録として、残るはずです」
「どんな依頼?」
ガウは周囲を見回した。
……特に、冒険者ホールの入口の方を。
そして、身を低くして、こちらへ顔を近づける。
「前の依頼で、皆さんが回収した品を覚えていますか?」
「――あれは、鍵です」
「その鍵を持って、
黒樹迷界へ向かってください」
「森の中心にある凹部に差し込む。
それで、依頼は完了です」
……黒樹迷界!?
――あそこは、青木原樹海だ。
しかも、帝国によって封鎖された禁域だ。
【クエスト受諾:鍵の設置】
【報酬:???】
視界に、クエストウィンドウが自動的に表示される。
ガウは翼をテーブルの下に伸ばし、
そっと袋を渡してきた。
中身は――例の鍵だ。
「お願いします!
この件は……私にとって、
いえ、ガウ一族全体にとって、
非常に重要なのです!」
その瞬間。
冒険者ホールの入口から、
重く揃った足音が響いた。
鉄靴が床を叩く音。
規則正しく、圧迫感のある――兵士だ。
……王国兵が、なぜここに?
冒険者ホールは、冒険者協会の管轄下にあり、
絶対中立区域のはずだ。
王国兵であっても、介入できないはずなのに。
「……すみません。
私は、ここで失礼します!」
ガウは素早く面布を被り、
全身を隠すと、人混みの中へ紛れ込んだ。
あっという間に、姿が消える。
残されたのは、
クエストを抱えた私たちだけ。
「……黒樹迷界って、
暗夜エルフの領域だったよね」
地図に詳しい千夏が思い出したように言う。
「現実のエルフ……どんな姿なんだろ」
私は時刻を確認した。
……午前一時。
この時間に、黒樹迷界へ入る気はない。
夜の黒樹迷界では、
感知を阻害する異常現象が頻発する。
弓使いにとっては、致命的な環境だ。
「凪緒さん!
私たち、河口湖でレベル上げをする予定なんです!
ご一緒しませんか?」
【システム通知:高橋由衣 がフレンド申請を送りました】
【システム通知:佐藤恒一 がフレンド申請を送りました】
……ほう?
承認して、二人を見る。
佐藤恒一はすでに治療職へ転職しており、
深々と頭を下げた。
「まだ、きちんとお礼を言えていませんでした……!
皆さんがいなければ、
さっき、ゴブリンに食べられていたところです。
本当に、ありがとうございます!!」
「気にしないで。
たまたまよ」
その背後には、すでに
〈余火〉の新規メンバーが、数人集まっていた。
「これから河口湖で狩場を押さえる予定です!
富士五湖一帯は初心者向けモンスターが多く、
初期の村も近いんです」
「いろんな組織が、もう動き始めていて……
野外でのソロレベリングは、危険すぎます!」
……河口湖、か。
今夜は黒樹迷界に入る気もない。
準備がてら、悪くない選択だ。
私のレベルは十二。
だが、千夏はまだ五。
先に底上げしておくべきだろう。
燈里は……
レベルを隠しているが、
たぶん千夏と同程度だ。
「行こう。
まずはレベル上げね」
素材も集めて、
倉庫に眠っている成長神器を強化しないと。
……考えただけで、目眩がする。
必要素材、多すぎ。
もう無理。
誰か、私を殺して。
頭が爆発しそう……!
河口湖のほとりで、
私たちは〈余火〉のメンバーと共に、
すぐにモンスターの湧き場を見つけた。
【腕喰い】が十体。
集中攻撃で一掃でき、
一分ごとに再湧きする――
経験値効率は、かなりいい。
……だが。
レベルの重要性に気づいた者が増えるにつれ、
この平穏は、長くは続かなかった。
「チッ……おい」
「ここは、俺たち〈鉄牙団〉が使ってんだ」
「識相に、さっさと消えろ」
「……死にたくなきゃな」




