第17話
「……生き残るためなら、手段なんて選ぶな!
〈天堂〉に入れ――!!」
白夜が異変に気づき、慌てて相手を配信カメラの前から引き離した時には、すでに手遅れだった。
振り返った彼の視界に映ったのは、
人々の顔に浮かぶ――迷い、そして揺らぎ。
《SEEKER》の出現は、あまりにも唐突すぎた。
誰もが、この新しい世界にどう向き合えばいいのか分からないまま、
ただ旧世界の惰性に従い、助け合い、逃げ惑い、
無意識のうちに法律や秩序を守ろうとしていただけだった。
他人に対して、明確な敵意を向ける者は、まだ少なかった。
……それどころか。
地震や津波のような、
「よくある災害」の延長線上で考え、
いずれは収束し、元の日常に戻れるのだと――
どこかで、そんな幻想すら抱いていたのだ。
だが。
あの殺し屋の言葉は、
かろうじて残っていた秩序の感覚に、
真正面から刃を突き立てるものだった。
「……そうだ。資源は有限なんだ」
誰かが、ぽつりと呟く。
配信のコメント欄も、
熱気に満ちた救援ムードから、
次第に――もっと恐ろしい現実を語る場へと変わっていった。
「今回の降臨区域は、富士山周辺の半径150キロだけだ。
でも、だからといって、これ以上広がらない保証はない」
「他の地域で、同じことが起きないなんて誰が言える?」
「科学じゃ説明できない現象だぞ。
最終的には、地球全体が書き換えられる可能性だってある!」
「人類が誇ってきた兵器も、政治秩序も、
全部、オンラインゲームの競争ルールに置き換わるんだ!」
「装備、レベル、ギルド……
それが新しい力の基準になる!」
「そうなったら、全員が資源争奪戦に参加させられる……!」
「最強のギルドが、最強の国家だ!
最強のプレイヤーは――核兵器みたいなもんだろ!!」
「その通りだ!
これはゼロサムゲームだ!
他のプレイヤーは、全員が競争相手!」
「救援なんて、敵を増やしてるだけじゃないか!」
「……もしかしたら、〈天堂〉こそが未来なんじゃ……?」
……本当に。
考えもせず、誰かの言葉に流される連中ばかりだ。
私は湯気の立つ茶杯を手に取り、
のんびりと、この見慣れた光景を眺めていた。
前の人生では、白夜が刺殺されたのは今日じゃなかった。
おそらく、あれだけ強く刺激されたせいで、
衡平が予定を早めたのだろう。
それでも――
人々の反応は、驚くほど前と変わらない。
このままいけば、救援システムは急速に機能不全に陥り、
やがては、意図的な妨害行為すら始まる。
せっかく形成されかけた
救援チャンネル【121】も、
罵倒と中傷で埋め尽くされ、
本当に必要な情報は、すぐに流されて見えなくなるだろう。
〈天堂〉の勢力は、雪だるま式に膨れ上がっていく。
――混乱は、ここから始まる。
「……でたらめだ!!」
突如として、
冒険者ホール全体に響き渡る、
強く、揺るぎない反論の声。
「?!」
なに――!?
思わず、手にしていた茶杯がわずかに揺れた。
声の主は、白夜ではない。
彼はすでに言葉を失い、
木偶の坊のように、その場に立ち尽くしている。
じゃあ、今の声は――
……由衣?
前の人生なら、
この時点の由衣は、まだ夫を失った痛みに沈み、
〈天堂〉に利用されるだけの存在だったはずだ。
最終的には、
復讐に身を投じる戦士になる――それだけの結末。
……私が彼女を助けたことで、
流れが変わった……?
「私、池袋駅から逃げてきたばかりです!」
由衣は声を震わせながらも、
人混みの中央へと一歩、踏み出した。
「〈天堂〉の連中が、何をしていたか……
あなたたちには、想像もできない!」
「地下鉄で一般人を拉致して、
その人たちを“盾”にして戦っていたんです!」
「モンスターを倒して、経験値を稼ぐために……!」
「……あなたたち、本気で思ってるんですか?」
「〈天堂〉に入れば、
自分だけは、ああならずに済むって?」
「違う!!」
由衣は、はっきりと否定した。
「そんな連中の言葉を信じたら――
次に“消費される”のは、あなたたちです!」
彼女の言葉に、正義のスローガンはなかった。
ただ、
生き延びた者だけが持つ現実が、
そのまま突きつけられただけだ。
だが、それで十分だった。
〈天堂〉に心を揺らしかけていた人々が、
はっと我に返る。
由衣は拳を強く握りしめ、
赤くなった目で、まっすぐ前を見据えた。
「……ええ。
さっきの人の言うこと、間違ってません」
「この世界は、もう変わってしまった」
「いずれ、レベルやゲーム内通貨が、
軍隊や円よりも価値を持つ時代が来るでしょう」
「資源を奪い合わなければ、生き残れない」
「……それでも」
彼女は、一拍置いて続ける。
「私たちには、
世界を選ぶ資格はありません」
「でも――」
「誰と一緒に生きるかは、
選べるはずです」
「MMORPGで、独りきりじゃ、長くは生き残れない」
「背中を預けられる仲間なら、
弱い人を盾にしたりしない」
「役に立たなくなったからって、
背中から刃を突き立てたりもしない!」
冒険者ホールは、静まり返っていた。
誰もが、由衣を見つめている。
スポットライトなんてない。
けれどこの瞬間、
彼女はまるで、世界の中心に立っているかのようだった。
……そして。
由衣の視線が、こちらへ向く。
「……ちゃんと、お礼を言えていませんでした」
「助けてくれて……本当に、ありがとうございます」
「……」
ああ、もう。
なんで、今こっちを見るのよ……!
私は慌てて茶杯を持ち上げ、
袖で顔を隠しながら、飲むふりをした。
「あなたたちがいなかったら……
今の私は、どうなっていたか分かりません」
「……」
「でも、私は生き延びました!」
由衣の声が、はっきりと響く。
「だから――
同じ悲劇を、
自分や、身近な人たちに、
二度と繰り返させません!」
壁炉の火の揺らめきが、
由衣の瞳に映り込む。
彼女は、ただ、まっすぐに立っていた。
「もし……
誰を信じればいいのか分からないなら」
「私は、ギルドを作ります!」
「〈天堂〉でもない!
〈夜明〉でもない!」
「――〈余火〉です!」
その名を聞いた瞬間。
私は、
茶杯を握る手を――
完全に止めてしまった。




