第14話
やわらかな光が、頬に触れた。
思わず、目を細める。
夜の東京の灯りが街路に降り注ぎ、ところどころ異界化した木造の建物と高低差をなして混じり合っている。
私はまるで、二つの世界の境目に立っているかのような感覚を覚えた。
「ちょっと、通してください!」
深夜の街は、異様なほど慌ただしい。
交差点にはすでに臨時キャンプが設営され、次々と負傷者が担架で運び込まれ、焚き火のそばでヒーラー職に引き渡されていた。
ラジオから、途切れ途切れに放送が流れてくる。
『本異常事象の影響範囲が確認されました――
富士山を中心に、半径150キロメートル。
当該区域内では、すべての飛行体の通行が不可能、熱兵器は無効化されています。
オンラインゲーム《SEEKER》に登場する魔物の出現が確認されています。
異常影響区域は、《SEEKER》内における
アルセイン帝国南部・ドラゴンマウンテンレンジに対応しており、
地形および魔物の分布は、ゲーム内と完全に一致しています。
現在も融合は継続中であり、新たな危険が発生する可能性があります。
影響区域内の住民の方々は、不要な外出を避け、
転職者救援隊による指示に従い、順次避難してください。
通信が不安定な場合は、視界左下に表示されているゲームのチャットウィンドウをご利用ください。
【チャンネル121】が救援用チャンネルに指定されています。
数字は「1・2・1」です。必ず覚えてください。
救援要請は、以下の形式でお願いします――
場所、状況、人数。
簡潔な発言を心がけ、連続投稿は控えてください。
本救援活動は、《SEEKER》ゲーム配信者・白夜が発起人となっています。
該当配信チャンネルからも、救援要請が可能です。』
白夜……あいつ。
前世の頃と、まったく変わらない。
聞き覚えのある名前に、思わず胸の奥がきゅっと締めつけられた。
懐かしさが、じわりと滲み出る。
「緒……この、バカ……!!」
わずかに顔を向けると、千夏が下唇を強く噛みしめ、全身を震わせて立っていた。
ずっと、ずっと堪えていたのだろう。
ようやく地上へ戻った瞬間、感情が決壊したかのように、彼女は大声で泣き出し、勢いよく私に抱きついてきた。
ちょ、ちょっと……!
骨が……締め落とされる……!
これ、本当に魔法使いの腕力なの……?
もしかして、この子、ステータスポイント全部【筋力】に振ってない……?
「バカ! バカ! バカ!!
もう二度と会えないかと思ったじゃない!
うわあああああ――!!」
「…………」
私は何も言えず、ただそっと千夏の背中を叩いた。
「ごめん……私……」
……ただ、慣れてるだけ。
「なんで謝るのよ! 悪いのは私でしょ!!」
千夏は顔を上げ、声を張り上げた。
「私が弱かったから!
あんたを一人で残して、あんなのと戦わせて……!
でも、よかった……本当によかった……!
あんたが無事で……無事で……!
もし何かあってたら、私、一生自分を許せなかった……!」
……そうだね。
私も、同じだ。
千夏。
あなたが生きていて、本当によかった。
「あー、その……」
気の抜けた欠伸をひとつしながら、燈里が口を挟んだ。
「このタイミングで水を差すのもどうかと思うんだけどさ……
私たちの依頼、そろそろ期限切れじゃない?」
「えっ!!!」
しまった!
これ、世界級クエストの隠し前提条件だったじゃない!
逃したら、文字通り大損だ!
「あと30分ある。
今から駅舎でマウントを借りれば、まだ間に合うよ」
燈里は顎をわずかに上げ、かつての池袋駅の方角を見やった。
そこには、巨大なテントがそびえ立ち、
元の駅舎は跡形もなく姿を消していた。
プラットフォームはそのまま獣舎へと作り替えられ、
内部には様々な魔物の騎乗用マウントが並んでいる。
切符売り場だった場所では、レンタルや購入の手続きができるらしい。
「ガウを三頭、ドラゴン前哨地までお願いします」
ドラゴン前哨地――
《冒険者ギルド》から最も近い駅舎だ。
「かしこまりました。
合計で銀貨30枚になります。こちらがレンタルカードです。
安全ベルトを必ず装着してください。
ガウは自動で最適ルートを選択し、目的地までご案内いたします」
エルフ族の係員が、丁寧に一礼しながら、三枚のレンタルカードを差し出した。
「ガ……ガウ?!
うそでしょ、私、本物のガウに乗れるの!?」
千夏は涙を拭いながら目を輝かせ、勢いよくガウの背に跨った。
私と燈里も慌ててそれぞれのガウに乗り込み、ベルトを締める。
ガウは巨大な陸行鳥型の魔物で、飛行こそできないものの、
走行能力と登攀能力はいずれもAランク。
禁空区域においては、最適解とも言える移動手段だ。
『レンタルカードを、背部の魔法ポケットに挿入してください』
座席から、無機質な音声が響く。
『認証完了。
ガウは目的地を登録しました。
現在、ルートを計算中――』
『ルート確定。
手綱をしっかり握ってください。
3、2、1――』
「うわあああああ――!!」
三頭のガウは、まるで放たれた矢のように駆け出した。
道路を進むことなく、迷いなく一棟の高層ビルの壁へと突っ込む。
次の瞬間、鋭い爪がコンクリートの外壁を易々と貫き、
ほぼ垂直の角度のまま、一直線に屋上へと駆け上がっていった。
「ガウ――!!」
爽快な鳴き声とともに、強烈な浮遊感。
ガウは高層ビルと異界の参天大樹のあいだを、跳ねるように飛び交っていく。
疾風が耳元をかすめ、
魔力の粉塵が星屑のように背後へ散っていく。
まるで月を踏み台にして、世界を見下ろしているみたいだ。
「きれい……!
凪緒! 燈里! 見て!
すっごくきれい――!!」
千夏は両腕を広げ、夜風を抱きしめるように叫んだ。
夜の闇は流れる光の帯となり、
都市の隙間からは巨大な異界樹が生い茂り、
枝葉の間から、細くやわらかな光の房がいくつも垂れ下がっている。
東京のネオンと、異世界の魔法光が溶け合い、
ガウの羽毛が、くすぐるように私たちの頬を撫でた。
……思わず、見とれてしまう。
前世では、前へ進むことだけに必死で、
こんなふうに立ち止まって世界を見る余裕なんて、なかった。
そうか、この世界は……
こんなにも、美しかったのだ。
もしかしたら――
《SEEKER》がもたらしたものは、
災厄だけではないのかもしれない。
私は、視線の端で燈里を見る。
けれど彼女は、遠くの夜景には目もくれず――
その氷のように冷たい瞳で、
下方で刻々と変化していく、ひとつの光点を追い続けていた。
私はその視線を辿る。
《天秤の瞳》があれば、
千メートル以上離れていても、その姿をはっきりと捉えられる。
「……Ledger?」




