第13話
私は、弓弦から指を離した。
放たれたはずの矢は、しかし空中に縫い止められたかのように静止し、
まるで蜗牛の歩みのような速度で、ゆっくりと死霊術師へと迫っていく。
よく見れば、その矢は刻一刻と速度を増していた。
そして死霊術師がどの方向へ逃げようとも、
矢尻は常に、正確無比に――彼の心臓を指し示している。
「時空の矢・デスロック」
「時の神のスキルを……俺を殺すために使うだと!?」
死霊術師は、泣くに泣けない声で叫んだ。
「……俺に、使う必要あるか!?」
「遺言を言う時間くらいは、残してあげるわ」
私は弓を下ろし、もはや彼を見ることすらしなかった。
「虫けらが! 俺を殺すだと?!
俺は――アルセイン帝国の親王だぞ!!」
死霊術師は、完全に錯乱していた。
……はぁ。
それ、確か前は瀕死になってから口にしてた台詞よね。
まさか今回は、満身創痍でもないのに飛び出してくるとは。
「悪いけど――たとえ、あなたが王様だったとしても」
私は淡々と告げる。
「この状態の私を見た以上、死んでもらうわ」
矢の速度が、さらに増す。
時間が経つにつれ、
時空の矢は威圧感も速度も、幾何級数的に膨れ上がっていった。
「ま、待て……!」
死霊術師は、完全に狼狽していた。
「悪かった! 俺が悪かった!!
止めろ! 頼む、止めてくれ!!」
「ふふ……」
私は微笑み、彼を見下ろす。
「さっき、もし私があなたに頼んでいたら――
友達を見逃してくれって、土下座していたら」
「……あなたは、放してくれた?」
「…………」
死霊術師は、答えなかった。
「――シュッ!!」
次の瞬間、矢は空中から消え失せ、
一条の残像となって突き進む。
「時の力だろうが、何だって言う!
調子に乗るな!! お前はまだレベル5だろうが!!
霊骨の盾――防げぇぇぇ!!」
「――ぐっ!」
大地に散らばる骸骨が一斉に引き寄せられ、
死霊術師の正面で融合し、
厚さ半メートルにも及ぶ、巨大な白骨の盾を形作る。
だが――
その蒼白の障壁は、
時の法則の前では、まるで紙細工のように脆かった。
死を弄ぶ死霊の力ですら、
時の車輪の下では、塵芥に過ぎない。
「そ、そんな……こ、こんなこと……」
聖水でエンチャントされた矢は、
一切の抵抗を受けることなく、
正確無比に――死霊術師の心臓を貫いた。
十数メートルにも及ぶ、忌まわしいHPバーは、
瞬きする間にゼロへと消え去る。
「……どう、して……」
死霊術師は、信じられないという表情のまま目を見開き――
次の瞬間、
その肉体は爆ぜ、
床一面を埋め尽くすBOSSドロップへと変わった。
私は装備を解除し、
喉から小さく呻き声を漏らしながら、その場に膝をつく。
さすが神器スキル……威力は本物ね。
その分、消費もとんでもないけど……。
さっきまで全身神器だったから耐えられたけど、
外した瞬間、身体の中身を丸ごと抜かれたみたい。
……ああ、疲れた。
私はそのまま前のめりに倒れ込み、
床に顔を伏せた。
……動きたくない。
指一本すら、動かしたくない……。
また、勝った。
Ledgerたち、そろそろドロップを拾いに来る頃よね。
あれだけ大量に落ちてるんだもの、
きっと狒々みたいに騒ぎながら、戦利品を掲げて大喜びするんでしょう。
Corvinはまた、思いきり背中を叩いてくるんだろうな。
「凪緒! 俺たちの神だ! 最強すぎる!!」って。
……分かってる、それがお前なりの賛辞だって。
でも、本当に痛いのよ。
Aileenは回復薬を差し出してくれるはず。
……そういえば、あの子のポーション、ほんとに不味かったな。
…………
周囲は、死んだように静まり返っていた。
誰も、駆け寄ってこない。
宝の山に伏した悪竜みたいに、
そこにいるのは――私一人だけ。
ああ、そうだった。
私は、もう死んでいたんだ。
心臓を、貫かれて。
――Ledgerに。
私が、自分の手で鍛えた剣で。
Corvinは、それを見ていた。
Aileenは、目を閉じていた。
…………
私はそのまま、死体みたいに床に伏せていた。
どれくらい、そうしていたんだろう。
「……げほっ……げほげほ」
埃を吸い込んで、咳き込む。
……私、何やってるんだろ。
ここで、何を待ってるの?
私は自嘲気味に笑い、身体を起こした。
行かなきゃ。
ここには、もう誰も来ない。
恐ろしいBOSSがいるって分かってて、
戻ってくるなんて――自殺行為だもの。
……うん、行こう。
私は静かに立ち上がった。
その時――
「――凪緒に手ぇ出すんじゃねぇぇぇ!!!
ファイアウォール!! 突撃ぃぃ!!」
暗闇を押し退けるように、
巨大な火炎の壁が前方へと展開される。
その炎を盾に、二つの影が倉庫へ突入してきた。
一人の戦士が高く跳び上がり、
全体重を乗せて地面を叩きつける。
倉庫全体が、地震のように揺れた。
「ウォーストンプ!!
からのォォ……ウォークライ!!
かかってこいよ!! このクソダサい死霊術師ぃ!!」
……え?
由衣?
「グレートヒール!!
凪緒さん、耐えてください!!」
男の声と共に、
温かな白光が天から降り注ぎ、
私の全身を優しく包み込んだ。
「ただの死霊術師がぁ――!
くたばれ!死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇ!!」
呆然とする私の視界の端で、
千夏が完全に人型砲台と化し、
闇の隅々へ向けて、無差別に火球を叩き込んでいた。
「ちょっと、もう撃たなくていいわ。
BOSS、とっくに倒れてるから」
燈里がため息混じりに闇から姿を現し、
千夏の火球をひょいと避ける。
「え? もう死んだの?
私、強すぎじゃない?」
千夏は首を傾げた。
「…………」
「……あ、ちょっと待って」
千夏が、はっとしたように周囲を見回す。
「この床一面のドロップ……どういうこと?
まさか……」
千夏、燈里、由衣。
三人が揃って、私を見つめた。
まるで――化け物を見るみたいに。
「あー……えっと……」
私は視線を逸らす。
「実はその……
あいつ、自分の骨に足引っかけて転んで、
頭ぶつけて死んだの。うん、そう。自滅」
「…………」




