第11話
「ヒュッ――!!」
私が言うまでもなく、燈里はすでに異変に気づいていた。
彼女は瞬時に身を伏せ、その場で転がって攻撃範囲から離脱する。魔法弾が頭上を掠めて飛び去った。
「……魔法使い?!」
違う。
地穴ゴブリンの知能レベルで、魔法を扱えるはずがない。
天堂の連中が、こんな厳重な警戒を突破して、先回りして待ち伏せする――それもありえない。
じゃあ、今のは何だ!?
「ドンドンドンドン――ドンドンドンドン――」
私は息を呑み、瞳孔がぎゅっと縮む。
この音……このリズムは――
まさか。そんなはずが……!
「燈里!!! 逃げて!! 早く!!!」
ありえない!
最終ボス《異変の源》の戦闘BGMが、どうしてここで流れる!?
この、腹の底に沈み込むような重苦しくて恐ろしいテンポを、私は絶対に忘れない。
相手はレベル150の最強魔物だ。
地穴ゴブリンの巣なんていう初心者エリアに出てきていい存在じゃない。どうして!? なんで!?
冷や汗が一気に背中を伝い落ちる。
私は絶望的な気分で、燈里と千夏を見た。
たとえ事前に神器を全部買い占めていたとしても、レベル5の時点で勝てる相手じゃない。
まさか――。
「もしもし」
そのときだった。
燈里がポケットからスマホを取り出し、当然のように通話ボタンを押した。
――次の瞬間。
恐怖のボス戦BGMが、ぴたりと止まった。
「…………?」
「すみません、買いません」
燈里は通話を切り、怪訝そうに私を見る。
「どうしたの?」
「……頭おかしいの!?
誰が最終ボスの恐怖BGMを着信音にするのよぉぉ!?」
なんなの、その悪趣味なセンス……!
「それより! さっきの魔法の矢は何だったの!?
あんた、確実に攻撃されてたでしょ!」
「ん? ただの魔法トラップだよ。もう壊した」
燈里はスマホをポケットに戻し、何事もなかったみたいに倉庫の扉を押し開ける。
「…………」
もう無理。
私はいつか絶対、この女に血圧で殺される。
「お願いだから、その呪われた着信音、変えて!」
「変えない」
「変えて!」
「変えない」
「じゃあ戦闘中はスマホの電源切って!」
「あー……それなら、まあ」
「…………」
だめだ。気が逆立って頭が爆発しそう。こめかみがドクドク脈打ってる。
まだ心拍が落ち着いてないのに……!
この野郎……!
私は足早に倉庫区画へ向かった。
見上げると、そこはもう狭い坑道ではない。
長い通路の両脇に、大小さまざまな庫房がびっしり並んでいた。
庫房の中には雑多な物が山積みだ。
壊れたスマホ、錆びた鍵束、そして下水道でよく見るようなゴミの山――。
「宝物があると思ったのに……」
千夏ががっくりと肩を落とす。
「ここ、倉庫っていうより廃品置き場じゃない?」
「ゴブリンの理屈は単純。見たことのない物ほど“価値が高い”って思い込む」
私は胸に手を当て、深く息を吸い込む。
「――すぅ……」
そして吐き出しながら、心拍を無理やり落ち着かせた。
「――はぁ……だから人間社会のゴミは、あいつらにとっては新鮮な“未知の道具”ってわけ」
「えっ?」
千夏が何かを思いついたように目を輝かせる。
「じゃあ、人間の物で取引できたりしないの?」
「前提として、あいつらが契約を守るって概念を持ってればね。
でも、あいつらに“物々交換”の発想はない。殺して、奪うだけ」
「……だよね」
私は由衣を見た。
倉庫に入ってから、由衣の表情は明らかに強張っている。視線が落ち着かず、夫の姿を探して彷徨っていた。
「どうして生きてる人がいないの……どうして、恒一がここにいないの……」
由衣の声が震える。
「焦らないで。ここは普通の物を保管する区画よ。生鮮区はこの先――しっ。隠れて!」
石槍を握った地穴ゴブリンが二体、倉庫内を巡回していた。
こちらの潜んでいる場所へ、まっすぐ向かってくる。
「恒一……あれ、恒一のマフラー……!」
由衣が絶望したように指差す。
一体のゴブリンの腰に、血のついた茶色いマフラーが巻かれていた。腰帯代わりに、無造作に。
「それ……それ、私が恒一のために編んだマフラー! 間違えるはずない……!」
由衣の頬を涙が伝い落ちる。
「この緑の畜生……! 恒一に何をしたの!?」
「待って! マフラーがあるからって、何かあったって決まったわけじゃない!」
私は慌てて由衣を引き止める。
「地穴ゴブリンは獲物を捕らえたら、まず服を剥ぐの。……落ち着いて。冷静じゃないと恒一は助けられない」
由衣は必死に頷き、息を殺した。
巡回兵が、すぐそこまで近づく。
――今だ!
左右から、私と燈里が同時に飛び出した。
二体の口を押さえ、声を出させないまま影へ引きずり込む。
私は弓弦を絡めて喉を締め上げ、弓の腕に矢を添え、逆手に放った。
「プシュ――」
地面に小さな矢孔が残る。
巡回兵は音もなく消え、経験値とドロップへと変わった。
燈里の方も終わった。――終わった、はずだった。
「……おかしい。どうして……」
私の視線が、落ちていたアイテムに釘付けになる。
「魂晶石……?
地穴ゴブリンがこれを落とすなんてありえない。幽霊森林の産物よ……」
淡く光る水晶。内部には黒い霧のようなものが閉じ込められている。
「……死霊術師の触媒ね」
燈里も眉をひそめた。
地穴ゴブリンは魔法を使えない。まして死霊魔法と繋がるはずがない。
……錯覚?
妙に寒い。周囲の空気が、急に十数度下がったみたいだ。
「ドンドンドンドン――ドンドンドンドン――」
「また鳴った!?」
私はびくりと肩を震わせ、苛立ちを込めて燈里を睨む。
「だからその着信音、変えろって言ってるでしょ!?」
燈里は無言でスマホを持ち上げ、真っ黒な画面をこちらに見せた。
「……もう電源、切ってる」
私の身体が、硬直する。
……じゃあ、どうして。
どうして――BGMが、まだ流れてるの?




