あとがき
世界の歴史において人々のブームを占領してやまない戦国の世は、ときに美化され、そこに内在する浪漫という正当性をものがたられます。
反面、近現代における各国の紛争にいたっては、人権の損害にかかる批判がおおいに提示され、国際間の問題となるところであります。
しかしこのご時世も、千年経てば風化し、単なる歴史と化したこの戦跡を、未来人は憧憬を付して美辞麗句を並べるのでしょう。
そうしてまた、いくさの鬼哭啾啾たるを忘るるころに、人類は同じあやまちを繰り返すのです。
さて、ルンブラン公国とシェメッシュ小邦との領地争奪からはじまる本作では、二人のタフガイの深いきずなを通して、国家あるいは親友をかけて戦う男の美学を描いて参りました。
その残酷性が読了後の余韻として活きてくれれば、なお私の理想に近しい完成度と言えます。
手嶌葵『こころをこめて』の歌詞中において、「小さな手が掴めるのはほんのささやかなしあわせと分かりながら人はなぜにその手を放して未来に迷うの」か、そのように問いかけています。
ルンブラン公国国防機関忠節国士隊の将帥であるキドンは、敵対国シェメッシュ小邦聖騎士団総長の美青年たるアルコを一目見て胸中に恋心を燃やしますが、とうとうその手をつかむことはありませんでした。
なぜキドンは、盟友ともあろうアルコの手をにぎらなかったのでしょうか。どうして、そのほんのささやかなしあわせを、手放してしまったのでしょう。
ひるがえってアルコは、キドンの性分を最後まで信じて疑わなかった。アルコの信念は、忘恩の徒とて許容できるほどに寛大であったと言えます。
同歌詞中に、「ささやかな今日という日をこころをこめて。あなたと生きてゆく大きな笑顔につつまれ、ありふれた言葉にいまこころをこめて。あなたに伝えたい、『愛しています』。届きますか」とあります。
上記の言葉は、美青年アルコに一目惚れをしたキドンが失声症でその「愛」を伝えられない、それになぞらえることのできる台詞ともとらえられましょう。
しかし、私の意見としては、これはアルコの心中ではなかろうかとつくづく思うのです。
後半、正気を失ったキドンに、ふたたび「愛」を取り戻してほしかったがために、なかば悲痛な呼号で訴る一面にたとえることができやしまいか、そのように考えます。
ただし、「キドンは憎まれ役のヴィランに相違ないゆえ、それを救おうとしたアルコはまさしく英雄なのだ」と、そう感じてはならぬのです。
キドン、いわゆる人間の「愛」を灰煙へとおとしいれることの元凶こそは一種の戦争にありましょう。アルコは、終戦を求めるべきであったそのいくさに応戦してしまったにすぎない、同じ戦犯の一人なのです。
友情のこじれてしまった二人には、おのおのがそれを自覚していれば、あるいは和平につながる傍流があったのかもしれません。
では、最後になりますが、ここまでご一読いただきましたみなさまにおかれましては、たいへん感謝申し上げます。
この物語が広く読者の目に止まり、私の熱意が伝わることを願っています。
令和7年12月13日 ぽんつく地蔵




