episódio.35 笑わぬ虎は、青瞳を愛する④
ところが、アルコのその行動をさき読みしたキドンが、あにはからんやサーベルを引っ込めたのである。
ゆえにアルコは、匕首を握る右腕を伸ばしたまま、前方へつんのめった。
そこへキドンが、腹案通りとばかりに焦点をしぼり、サーベルを下方から振り上げて、アルコの手前に張り出た上腕を冴え味抜群として切除するのだった。
アルコの、匕首を握りしめた右手が、無慈悲にも泥沼に転がった。
アルコは、むせびかけた悲鳴を押し殺して、切断された右腕を押さえて激痛に耐えるも、止まらぬ出血と冷える流汗で視界がかすみ、佇立すらままならしてとうとう地面に膝を落とす。
敗北にして命運尽きたりとはまさに今をうたう表現なるぞと感じ入るアルコの目前にて、アガペーのことごとく忘れ去ったような眸子のキドンがその醜態をたたずみ見下ろしていた。
さてもなお、アルコは一筋の希望を捨てなかった。
すっかり青くなった口唇を震わせて、アルコはもう一度、キドンに問いかける。
「ぼくたち……、親友だったじゃないか……」
だが無念にも、キドンからの返答はなかった。
キドンにしてみれば、その一言はもはや、自分の確固たるして揺るがぬ忠義をたゆたわせる決定的な呪詛であった。もう二度と、まがいもののような「親友」などどいう言葉等は聞きたくはない。元来、敵同士だったではないか。
殺気も頂点に達したキドンのオーラは、それはそれはまがまがしく抑制しようのない気迫であった。
アルコが、キドンを見上げる。そのまなざしたるや命を乞うているようで、騎士ながらにぶざまな姿だ。
キドンは、サーベルの長柄を逆手に持ち替え、その鋭鋒をうずくまるアルコの僧帽筋へと向けた。
二人の隙間を、涼風が通る。
アルコを寂滅たらしめる凶行への眩惑は、朝霧の晴れしキドンの意識にはみじんもない。
首級をあげるによって、敬愛なるエンペラーの色褪せつつある冀求を回天させる私利私欲しかなかった。
ほどこそありけれ、キドンのサーベルがひと刺しふた刺し、アルコのトラペジウスに深々と風穴を通す。それを幾度と重ねること、ロリカ・ハマタの履穿なるにとどまらず、キドンはこころゆくまでアルコへの攻手をゆるめない。
アルコがたびたびなにか言わんと声をうならせるが、そのいずれもが呻吟の一端にすぎなかった。アルコの辞世の句は、すべて燎原の火の中に掻き消える。
キドンが、アルコに惜別する機会を与えなかったせだ。そうでなくば、自分もまた愛別離苦を味わうことになろうからである。
アルコに人を喰うかと問われて否定した啸風子の自分は、まぎれもなく大嘘つきであった。
アルコの征矢は晴天の霹靂、ポトフに舌鼓を打ったことにはいつわりなし、御金蔵で頬をくっつけ合いながら望遠鏡をのぞき見て、かわくだりでは大河の超自然的霊性を眺め幻想にひたり、襲い来る伯都の大牙を協力して追い払った。アルコの恋人がカリーノ姫だと知って嫉妬心を燃やしても邪魔立てを我慢し、狩猟の夜には狩り名人のトラのくせして彼の腕前に任せきりだった。
そして、啸風子の正体がキドンたることを知られたとき、自分のまやかしを笑って許してくれたのも、アルコただ一人だけだった。
さようなノスタルジックが懐古の日々が、しだいに赤黒く血塗られていく。




