episódio.29 忠義①
紫宸殿にて、高御座に腰掛けてふんぞりかえるタイラント国王は、物憂いげな顔でなげいていた。
というのは、国王タイラントの後継者となる嗣子の誕生が叶わぬままで、内心焦っているのだ。亡き妻モーティナ王妃をよくよく愛さなかったわりには、己の血を引き継ぐ子息だけはつねづね欲しがっていた。
さようなタイラント国王の嘆息を、近傍に控えるキドンは、無音に徹して淡々と右耳から左耳へと受け流す。
ところがおもむろに、タイラント国王があらぬ戯言を吐き始めたのだ。それがどうやら本気であるようなので、キドンもしだいに看過できなくなった。
「あの小邦の姫御子、なかなかのべっぴんさんだと言うではないか」
タイラント国王いわく、シェメッシュ小邦大君ドゥルキスの愛娘カリーノの美貌を、ささやかれるちまたの風評で聞き及んでいたらしい。カリーノ姫は生粋の処女ともうたわれており、なおさら関心の高まるタイラント国王は是非に我が皇妃として娶りたいと言うのだった。
もっとも、アルコという恋人を持つカリーノ姫が生娘であろうはずがない。
ともかくタイラント国王は、大河における灌漑工事の一件を引き合いに出して、交換条件としてカリーノ姫との婚姻に父君ドゥルキスが承諾すれば、シェメッシュ小邦かねてよりの用水路の撤収に応じようとのたまうのである。それは、ルンブラン公国がシェメッシュ小邦を落城のうえ吸収することを意味している。
いずれにせよ、一国の重要な水源となる灌漑施設造営を断念してでも、カリーノ姫を渇望するタイラント国王であった。
言うまでもなく、キドンは焦燥した。
いくらシェメッシュ小邦が敵国とはいえ、つちかったアルコとの友誼は矜持をもって守らねばなるまい。ましてや、アルコの愛人たるカリーノ姫のこいふらくを袖にしてはならない。
自分とて、アルコにときめき、カリーノ姫との逢瀬のときにはやきもちを焼いたが、ゆえにこそ強く共感する彼女の慕情は尊重されねばならぬ。
キドンは、たどたどしく手話を用いて、「もしカリーノ姫に意中の男性がいたとして、それを引き裂くのは博愛に反するのではないか」と、彼女が恋着のただなかである事実をさりげなく伝えた。口調が婉曲的であるのは、キドンが敵国シェメッシュと通じていた内幕が自身にとっての秘事であったため、タイラント国王にうっかり露呈しては不都合だったからである。
キドンは、用水路に関しては別口の交渉材料を要求した。
ところが、もはや灌漑建設よりもカリーノ姫のとりこになっているタイラント国王は、まったく対応しない。
しかも、手話の自演するようなてさばきを見て、キドンがシェメッシュ小邦となんらかの接点のあらんことをめざとくも嗅ぎつけたのだ。さらには、キドンの言うカリーノ姫の「意中の男性」とやらはまさかキドン本人ではあるまいなと、冤罪にもほどがあるよからぬ疑念をいだく。
さすればタイラント国王は、いきなり高御座から立ち上がってキドンに急接近すると、佩用のサーベルを抜いてその刃先を将帥の首筋に押し当てた。国防のかなめでありながら腹心の仲としても重宝するキドンの逆心をあやぶみ、かまをかけたのだ。
だが、キドンのつらがまえにありがほなる変色はなく、サーベルを目前にしてもいたって臆面もなかった。
かたやキドンは、よもやタイラント国王に内情を勘付かれてしまったのではないかと一瞬脊椎に電撃が走るも、他人事をよそおって真顔を貫く。
するに、疑惑が晴れたのか、タイラント国王の鋭鋒はやおら下ろされた。
しかれども代わりに、タイラント国王はサーベルを真逆に持ち変えて鎬地を握るに、この長柄をキドンへ向けて差し出す。
「これで娘の情人とやらを殺してこい。されば私も、心置きなく姫を妃にできる」




