episódio.23 匕首①
三日後の夜半、アルコはいたってラフな口調で、啸風子を黒熊の狩猟に誘った。
ロリカ・ハマタのいでたちがゲテモノらしいのは平常であるし、手に持つは四寸伸の竹弓、肩に担ぐは螺鈿の平胡簶である風采もなんら異変はない。
腰部の革帯には匕首をはさんでいるが、これは捕獲した黒熊の獣皮をさばくための変哲なきナイフだ。
というのは建前で、実際は啸風子と幽明境を異にするための凶器である。
さようとはまるきり知らぬ啸風子は、大好きなアルコからの招待がただただ嬉しいばかりに、夢満開で尊公に扈従するのだった。
城郭裏手の森林へ入山し、カリーノ姫と逢瀬した場所よりもさらに遠い地点へ、人影のともしびのかき消えし閑散とした笹藪の林野に赴く。
なお、目的地に到着して、アルコは途端に啸風子を致死たらしめる闇討ちの即時行動には移らなかった。マタギというからには、論旨明快として黒熊を狩る。
アルコは、荒畑のごときしげみの緑陰に、掘りたての小さなあなぐらをさぐり当て、その中部にはあやまたざること小柄な黒熊一頭が安眠している概況を探知した。
よほど熟睡していると見えて、黒熊の雁首があなぐらの門口からはみ出しており、蛇影のひとかけらもなくして夜間に響く大鼾をかいている。
アルコは、その黒熊を本日のターゲットと決めると、足音を立てぬこと猫のように前進し、甲矢の着弾する射程圏内まで距離を縮めた。そして、竹弓を真横に寝かせ、なめらかなる所作でゆづるに矢筈をつがえて引きしぼり、アンカリングするに鳥打が弧線にしなる。
それから黒熊の頸動脈に照準を合わせることわずか数秒足らずして甲矢は放たれ、ヤジリが放射光の一本のごとくに滑翔する矛先こそまさしくピンポイントであった。アルコのボーゲンが弓返りをする。
対して黒熊は、寝首を掻かれて即死した。
黒熊の絶息たるを遠目で確認してのち、アルコはすみやかにあなぐらへ移動する。そのあなぐらをファイアピットとして使用するに、採取した笹藪を合掌型に組み立て、マッチ棒の頭薬を小箱の側薬にこすりて檠灯を点火した。
火材が笹藪程度では燎火にもならぬが、手足の末端を加温するだけのかがり火としては無難である。
アルコは、とくに発言することもなく緘黙として、人為によって死に絶えた黒熊の頭首を切り落としながら全般の下処理を始めた。
合間の啸風子といえば、捕食獣たるトラのくせに狩人の役目はアルコにまかせきりで、自身は岩影に隠れて自慢の大鉤爪を格納したままである。啸風子は、アルコが黒熊解体を開始した頃合いを見計らってあなぐらへ入洞し、付き添ってかがり火を囲った。
アルコが嘉美なるポトフを料理してまたもてなしてくれるものとの期待ばかりがつのって、胸をふくらませる啸風子である。アルコの調理に専念するもようを見下ろして、なにを手伝うわけでもなしにひたすらポトフの完成を待つのだった。
ただ、今夜は啸風子の想定していたポトフとは異なり、黒熊のさばかれた塊肉を串棒で芋刺しにして、そのまままるごとかがりの火力であぶり焼くのである。
ややもすれば、少しずつ焦げ目の付着するに、脂ぎった肉汁が垂れ落ちる。
ミディアムレアにほんのりと煙の立つ、いかにもジューシーな熊肉を、稚気に富む瞳孔で直視した啸風子は、不意にも口横から一本垂涎した。
黒熊の焼き肉が、まもないうちに焦げつきそうだ。
しかるほどに、そろそろアルコが、ウサギの昼寝のごとく能天気な啸風子への密殺こそいまぞというところを、まだまだ実行にはいたらない。
おそらく彼は、いまだに逡巡しているのだ。眸子の丸々としたつぶらな瞳で秋波を送られては、始末しようにもできぬのは至極当然であろう。
啸風子を狩るためにあえて入峰すればそればかりか現に猟るは黒熊であるし、今や二人ともにかがり火を取り巻いて団欒している。
熊肉グリルの出来栄えに、そそる食欲で心を高鳴らせているような啸風子が、じつにやまわしものなりとも真実とは思えぬ。
いな、愛憐にまどわされてはならない。
アルコは、今晩を親友との最後の晩餐なるぞと覚悟する。
おりよく、熊肉に火が通ってこんがりと焼き上がった。その串棒の一本を、待命姿勢の啸風子の口の中へ運ぶ。
それをいかにも「Bono」と言わんばかりに咀嚼する啸風子の油断を見据え、アルコは影ながらに腰帯に利き手を回して匕首のつかを握りかける。
そのときであった———。




