episódio.2 邂逅
すると、その不意を打つかのように、敵方のどこぞから負け惜しみの征矢が一筋気流を切って飛来する。鷹の目ですら追えなかったそれは非常に美しい弧線を徹するも、鋭い慧眼をもって軌道を見抜いたキドンにあえなく直前でかわされてしまった。
ただ、いくら野に放たれたトラとも称される貫禄のむっつり将帥とて、まさか蟷螂の斧がここかなたまで届くとは思わず、いささか肌のあわだつ感触を覚えたらしい。キドンの瞳が、わずかに揺らいだ。普段眉の一つも動かさぬキドンが稀有は一驚を見せたのだから、征矢を放った敵方の射手はかなりのエキスパートなのだろう。
負け犬の反撃をもろに受けた屈辱こそ痛々しく身に染みるが、その名手とやらに対する感服のほうが俄然キドンの心を奪った。
———誰。
強い関心に惹かれるキドンの双眸は、おのずと逃げまどう残党の中を探していた。
されば一人、陣営の落魄しゆく中央に毅然とたたずみ、射りし直後と思しき優美な残心を保つ、ロリカ・ハマタの人物に目が止まる。四寸伸の竹弓を握り、さきの一本で底を突いたのであろう螺鈿の平胡簶をかついでいた。
そやつは、打ち損じた大将首と視線がぶつかるなり、嗤いたまえと言わんばかりに顔面をくしゃくしゃにして盛大に苦々しい笑顔を咲かせるのだった。嫌味はないものの、散華を免れたこちらのようがかえって体裁悪く感じるほどの、あまりにもまぶしい花模様であった。やがて射手は、両頬を軽く叩いてゆるみきった口角を引き締めると、きびすを返してそそくさと戦場を離脱していく。
その姿が見えなくなれども、キドンの鼓動はしばらく早鐘を打つばかりである。
白皙に映える青い目をした、鼻染の通るバタくさいかんばせの青年だった。上背があり、亜麻色のちぢれた寝乱れの長髪を風になびかせるようなやさ男だ。
正味なところ、惰弱な印象を受ける。あれほどほとばしるような一射を披露するのだから、さぞかし侠客であろうと期待すれば、片手間に同情を誘うような風采でやや拍子抜けしそうにもなる。
しかしキドンは、込み上げる憫笑を封じ込み、決してささやかな莞爾のひとつたりともこぼすことはなかった。嗤えと自嘲する英雄の面目に晴れがましく泥を塗る作法こそ、仁義に精通する気高き戦士として沽券に関わると直感したからだ。
あるいは単純に、彼の艶麗なる和顔施に琴線が震えて、図らずも情にまんまとほだされただけなのかもしれない。ただ、それを素直に自覚するのははなはだはばかられ、キドンの自尊心はかたくなになって芽生えかける嗜好を拒むのである。一等のつわものがやすやすと手玉に取られるようでは情けない、やつの破顔を思い出すと胸の奥がくすぐったくて不快極まりなかったがゆえだ。
ともあれ、接点がなければ再会の機会もない相手である、キドンは己の内懐に重くフタをして今日の記憶を除去しようとこころみるのだった。
だが、もはやすっかりキドンの脳裏に焼きついた元凶はことのほかてごわく、いっこうに忘れられなかったのは言うまでもない。
それからというもの、例の大河付近にはシェメッシュ小邦の聖騎士団が常駐するようになり、区域一帯はつねに臨戦態勢同様の緊張感がただようこととなった。
とはいえ実際、彼らが直接的な加害行為に及んだ事例は皆無であり、無闇に騒動を起こさぬあたり勝機のない立場を自認しているのだろう。
しかし、こちらの動向をさぐるかのように、対岸にて再開される灌漑工事の様子を鋭い眼光を放ってにらんでくるというので、公国の町民大工たちの中には怯えて出勤を嫌がる者も多かった。
いつ爆発してもおかしくはないあまりの緊迫感に、ひとまず国民の安全第一を考慮して工員の派遣は断念される。
だが、ときの王宮内ではどうしても大河を諦めきれない財閥であふれかえり、進展しない状況に対する不満とシェメッシュ小邦への反感をふつふつとつのらせ、果てには折衝なしの軍事侵攻でもって敵国をまるごと植民地化すべしとの話題を沸騰させた。それについては、防戦一方に陥る無抵抗な人民の虐殺こそ隣人ながら倫理をそこなう戦犯に値するとして、大河の横領には肯定的だったくせしていまさらのような偽善を発揮する大衆の反論が数多く寄せられてしまう。
やむなく、これに押し負けた財閥は、憤慨を見せつつも闘争心旺盛な態度を改め、はやばやと前言を撤回するのだった。
一方、この期に及んで蛮族の圧力にだけは絶対に屈したくないという意地を見せる国王陛下は、綸言を呈して灌漑工事の継続をいったん保留とし、いつまでも界隈を巡警している聖騎士どもの挫けて立ち退く兆候が訪れるまでしぶとく待機する姿勢を示した。
作りかけの井路が、やがてルンブラン公国の執念を宿す象徴となって、シェメッシュ小邦をひしひしとねめつける。むろん、それに耐え抜く聖騎士団の度胸も遜色ない。
以降、両者一歩とも譲らぬにらめっこがしばらく続き、膠着状態は日々悪化の一途をたどる。このまま収拾がつかねば、とどのつまり無益な戦火再発の防止も難しい。両国のゆくすえに、仲良く手を取り合う未来など見えなかった。
ましてや、自国に命を捧げし忠犬たるキドンこそもっぱら強硬派で、反面心の隈は敵国の美しい射手にとらわれっぱなしであることなど誰も予想だにしなかった。




