episódio.17 アルコの弓
翌日のアルコは、非番であった。
しかし、非番だからというに酒場へ行って遊びほうけるわけでもなく、小半日の前半は野外の射的場で弓術の鍛錬に甲斐甲斐しく励んでいたのである。
啸風子は、その様相を、射座後方の腰掛け石の近傍にてご鎮座あそばされ、興味本位でアルコのトレーニングにつるんでいた。
アルコは、一射目にして、二百尺は離れているであろう遠方の白的の赤い中心をあっぱれながら完璧に射抜いた。期せずして油断さながら間抜けヅラで観覧していた啸風子も、これにはハトが豆鉄砲を食らったようなびっくり凶相になる。
大河をめぐって争奪戦へと発展したあの午天のしのつく雨の日、杉木立の風前で発射された毅然たるアルコの一撃が思い出された。やはりこの下僕、只者ではない。
ところがアルコは、ターゲットのコアを貫いたにもかかわらず、悦に入らずしておぼろげな欣然だにしない。むしろ、平素の爽快な笑顔はどこへやら、今日という日の彼はそこはかとなく悄然として浮かない顔をしているのである。
いわゆる、標的撃破の成功裏に一喜一憂せぬというのが騎士道の精神論なのであろうか。
それにしても、隔靴掻痒としてため息を吐き出すアルコの面様は、とてもオブリゲーションに通じ得た態度ではない。
アルコは、わずか一射目にして疲弊したのか、背後の腰掛け石に座り込んだ。そうしてまた、ため息をついて打ちひしがれるように意気消沈するのである。
啸風子は、いずこか体調が悪いのではあるまいかとやや忖度して、まいて、かなり憂心をいだいた。普通の啸風子が、元気のない友人が一人いたところでこくばく頓着することはない。
だが、アルコのあのくしゃくしゃした破顔を拝めぬのは、ほのかにうらさびしくて、己まで憂鬱になりそうである。
啸風子は、しおれるアルコの膝頭を前足で揺らして気を引いた。さればアルコがこちらへ目を向けたところを、どうかあるのはなにゆえかと、彼を食い入るように見つめてその動機を尋ねるに瞳で訴える。
するとアルコは、この啸風子に胸襟をひらいてなんぞやの本音を明かすか語るまいか、しばし思案して戸惑った。果て、人様の誰ぞに吐露してあれやこれや過干渉なクチバシをはさまれるよりは、黙して無駄口を叩かぬケモノに腹を割るほうがよほど余計な愁腸に暮れずして気軽なのではあるまいかと案出する。
そこでアルコは、たどたどしいながらも、重い口から一言ずつしぼり出すように、啸風子に自分の境涯を打ち明けた。
アルコいわく、己がシェメッシュ聖騎士団の総長に就任できたのは、実は親の七光が招いた好結果に過ぎないのだという。
国内最強の剣豪だった父親は、当時主流でありしタルワールの才能に恵まれずすべなくボーゲンの道に進んだアルコを、ぜひに聖騎士団総長にとドゥルキス国王にゴマをすりにすって媚びへつらったのだ。それはもちろん、父親がアルコ自身の弓術の手腕が人並み以上のスキルである本質をとくと見抜き理解した上で選び執った行為であろうことは容易に想像できる。されども、アルコ本人はみずからの天才性を自覚していない。
とこかく彼は、騎士たる身分の大半が剣を佩用しているのに対し、総長たる自分はたもとを分かちている生きざまに呵責を覚えているようだ。父親を超えるどころかソードすら握れなかったに加えて、さして射撃の実力も半人前以下だと言うのにと自虐するアルコは、さような己が総長をつとめることについてはおおいに疑問だと述べる。
そういえばまさしく、ルンブラン公国忠節国士隊の大将首を射損じたのが類例に当てはまるであろう。あと一歩のところを、ミスをおかした自分のせいで、シェメッシュ小邦は大手柄をのがし、ほぞを噛むこととなった。
ゆえに、単なるシナジー効果で総長にたったアルコは無用の長物でしかなく、自分に自信が持てないとのことであった。
このとき啸風子は、なぜルンブラン公国の軍隊の名称をアルコが知っているのか、不審に思う。長らく対立してどこぞで情報が漏洩したのやもわからぬが、ともかくこなたが忠節国士隊を名乗った事実に根拠はない。
しかしながら、いつぞやか軍事的機密が風のうわさで浮遊していくこともなきにしもあらず。当時の啸風子は、さほど重要視しなかった。
ともかく今は、アルコが不甲斐なきみじめな自分に辟易しつつ憮然として肩を落としている。
反面啸風子は、アルコとはあえて目を合わさず、見事なまでに的心を射当てた鷲矢をもっぱら凝視していた。アルコをなぐさめるわけでもなく、啸風子の示した対応はひたすらの傍聴であった。
ただ内心では衰えるを知らず、アルコの射法八節の技量力量は非凡のテクニックだと、ほれぼれするほど心憎くて両頬が熱を帯びる。
アルコのフィジカル的スタミナの豊富性をたたえているのではない。
弓射からほとばしる真善美、矜持は弱いが一念の闘志だけは不屈たるところに究極の妖美を感じるのだ。
とはいえ、アルコの杉木立の一射を想起するに、「おまえのメンタルはそんなだから鬼の馘首に失敗するのだ」と、ささやかな揶揄を流し目で飛ばす。
そしてこの啸風子の冷ややかなまなざしだけをすくいとってしまったアルコが、さらに落ち込んでがっくりとうなだれる。
啸風子は、かくのごとく苦悩にあえぐアルコの雰囲気が、どこかはかなげでなまめかしかったので、故意にあらずさまつな嗜虐心に駆られながらも彼への庇護欲が炸裂するのだった。
アルコをからかいはした啸風子だが、その嘲謔というは帯刀のできぬ青年を愉快痛快な仁輪加として把捉したことによる愚弄だと思われてしまってはたいそうな語弊だ。
そうでなくば、啸風子は、改めて再度アルコの膝頭を爪を隠した前足で撫ではしなかった。
手触りのいつになく慎重な啸風子を振り向いて、アルコは顔面をくしゃくしゃにして笑った。
「なぐさめてくれるの?」
素直にうなずきはしない啸風子であったが、その双眼がしっかりとがえんじている。
アルコは、従来誰にも告白したことのないひた隠しにしてきた己の胸中を、このトラに寛弘に包容してもらえて、さぞかし嬉しかったであろう。
「ありがとう」
アルコの声帯から、かげひなたのないのんきな鳴謝が発せられる。
されば啸風子の心裏に、あいあいとした和氣が少なかれ満ち満ちた。これというのは、込み上げる加虐性愛を含む情炎ではなく、ごくごく健全な世間一般の知音的敬愛の一種である。
アルコと啸風子との間柄に、春にような友情の芽生えるきざしが見えた。




