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episódio.13 アルコのポトフ

 啸風子のゆうべは、慣れぬエンバイロメントのせいで一睡のできなかった。頭脳は最高に冴えているのだが、引き換えに両目は充血している。


 明け六つの鶏鳴で起床したアルコが、専属の司厨士からたまわった朝食を持ち運んで、啸風子のかたえに腰を下ろす。


「おはよう、ルー。はい、お食べ」


 アルコの右手は、大盛りの猪肉をトッピングしたプラッターを携えていた。対する左手には、香気かぐわしい具沢山のポトフの盛られたディッシュがかかえられている。もちろん、ポトフはアルコの御膳で、猪肉は啸風子のエサである。

 アルコは、啸風子の足元に猪肉のディッシュを配置した。


 啸風子は、己はトラゆえに生肉を食してしかりという摂理は心得てはいるものの、提供された赤々としたシビエのまばらな筋繊維やにおう獣臭をやや生々しく感じていとわしげに案じる。

 猪肉を鼻をひくつかせて嗅ぐに、やはりかなり生臭くて、どうしても食わず嫌いを決め込むのは不可避な遺憾である。


 それはそうと、今にアルコが大口を開けて食べ始めるポトフがやけにおいしそうで、食欲をそそられてたまらない。啸風子は、空きっ腹を鳴らせつつ、アルコのポトフにさりげなく鼻孔を近づける。

 煮込まれた具材と香辛料の馥郁(ふくいく)とした芳香は、まさに絶品ものと予覚する。啸風子はつい、ひげぶくろから舌をちらつかせた。


 すると、それをめざとく察知したアルコが、いったん喫飯(きっぱん)を中断し、啸風子による盗み食いを回避するようにしてポトフを高々と持ち上げる。


「ダメだよ、きみは。これは、僕の。人間の食べ物だぞ」


 アルコは、啸風子の為せる沙汰ではないと優しく諭す。

 それでもなお、啸風子は何度もしたねぶりをしていかにもポトフをよこせと命じるようにアルコの膝頭を前足でつつくのである。猪肉などにはもはや眼中になし、しゃにむにポトフを欲しがった。


 したがって、ついにアルコは諌止(かんし)の意欲が折れて、少量ならばさしつかえなかろうとスプーン一杯にポトフをすくい、啸風子の口中へ含ませた。

 されば、啸風子の黒目に光輝が宿る。


 このポトフ、実に嘉美(かみ)ではないか。

 日頃、公国の町娘から配られる腐れパンを摂取していた啸風子にとっては、とびきり贅沢な味わいである。


 一口のポトフをしっかりと賞味して嚥下(えんげ)した啸風子は、たちまちにますます食い意地が旺盛になって、口福の追加を渇望し始めた。またもやアルコの膝頭に肉球を当てつけて、ポトフの頂戴を粘り強くねだる。

 するにアルコは、やまぬ啸風子の強請についになびいて、惜しみながらもポトフのディッシュごと譲渡するのであった。念願叶った啸風子は、早く満腹になりたいが一心で、焦るように夢中になってポトフを口いっぱいにほおばる。


 このむさぼりようを座視するアルコは、「きみ、かわいくねぇの」とつぶやいた。


 朝方に全精力を傾けて狩り取ったせっかくの猪肉には興味すら示さずイヤがって食べぬし、ポトフをくわえ込みすぎて口周りを汚すありさまは百獣の王らしからず不格好だ。鮮肉を毛嫌いして人間の食糧を好むとは、この啸風子の前世はヒトだったのだろうか。

 アルコは、もう一度「かわいくない」とぼやいて口をとがらせた。


 そんなアルコに、啸風子の両耳がにわかに伏せる。

 己は野郎だからかわいげがなくてさもありなん、しかしアルコの発言は自身のただでさえ卑屈な容姿を愚弄したに同じととらえ、啸風子の心根は不愉快におちいった。せいぜい食事に没入していたのでわざわざ不平をわめきはしなかったが、好感のあったアルコにはいましがた少々失望する。

 そこで、このさきいろいろと世話を焼いてくれるであろうアルコのことを、しっぺ返しついでに「下僕」と呼ぶことにした。


 ところで、みずからの朝食をすべて啸風子に差し上げてしまったアルコは、結果として欠食する羽目になった。

 自分に根負けさせた啸風子には、くれぐれも放恣(ほうし)させるまいと留意する。


 かねて、その部分こそがこの啸風子の魅力であろうとの感慨にひたりつつ、スープにまみれて泥々になったこれの口際を真新しい白妙のてぬぐいで拭き清めた。

 折節の啸風子と言えば、配膳係の下僕が軽はずみにペッティングとは生意気だなどと着想して、わざとらしく大牙を剥き出す。それにしてはいくぶん、その節介を心奥では嬉々として受容している己をささやかに自省した。


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