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episódio.10 トラになったキドン

 翌晩、モーティナ王妃は陰間のキドンを己の閨房に招き入れる。

 一人の間男が令閨に入室するのは、脛に傷を持っているのだからしかるべく切実にためらうキドンであるものの、モーティナ王妃はあれやこれやと理屈をこねて強引に連れ込んだ。


 キドンがモーティナ王妃のさりげない強要にやむをえず屈服したのは、なんのかんので安眠に効く睡眠薬があるからなどと口説かれたために、イノセントの安直な判断でうっかり承諾してしまったのである。

 こなた、そもそもやんごとなき御前のおねだりを、無下に謝絶しようものなら自身の首が飛びそうだ。


 キドンは、モーティナ王妃の指示されるがままに、文机の席に正座した。


 昨晩のみそかごとが看破されるのを恐れるキドンがやや浮き腰になっているうちに、モーティナ王妃があらかじめドレッサーの台座上に用意していた白陶のソーサーのチャイグラスを据えた水物を持ち運んで文机にお出しする。

 チャイグラスの中身がほのめくに、注がれている飲料は鉄のように黒々としていて、一見してとても飲めるような液体ではない。それは周知のとおり、キドンを食人鬼のトラに変える毒薬なのである。

 さようとは知らぬキドンは、飲料のあからさまに毒々しい色調を見て、一貫して顔色は無反応だが、内心では少々嘔気をもよおして青ざめている。


 だがモーティナ王妃いわく、これは確実に安眠に効果があるとの一点張りである。

 かえりみればキドンは、最強戦士の代償にPTSDをかかえており、日々のたうつような不眠症に悩まされていた。近頃は、愛用の眠薬も効かなくなっていたところである。

 なればこそ、このタイミングでのモーティナ王妃の勧誘は、キドンにとって垂涎の商機であった。


「さあ、どうぞ。今夜はぐっすり眠れるわよ」


 完飲の催促もぎょうぎょうしいモーティナ王妃に猜疑(さいぎ)をいだかぬわけでもなかったが、まずもって安心して爆睡したいという純朴な欲念にはどうしても勝てぬ。

 この湯水がどんなに渋くて口に合わなかろうと、キドンは躊躇なくチャイグラスを手に取って、口縁にワニのように吸い付いて毒薬を一気に飲み干した。


 液剤の風味と言うに、歯にきぬ着せずに申さば、なみなみならずアク臭かった。

 キドンは、吐きかける曖気(ゲップ)をひたすらしのぐ。


 一大事が起こるのはまさにそのとき、とつぜん、摩天楼が崩壊したかのような大爆発の轟音がこだました。かく音響が己の身から爆ぜた炸発なりと認識するころには、キドンの母体は視界一面をおおう耿々(こうこう)たる眩耀(げんよう)に包まれていた。

 とりたてて苦痛はなかったが、卒爾(そつじ)たる状況の解釈には及ばず、さしむき事態がおさまるまでうずくまる。


 ややしてようやく閃光のおさまったおり、さきの爆音を聞き敢へし守衛兵数人が各自武具を携えて、なにごとかあらんと閨房へ馳せ参じた。

 するとモーティナ王妃は、丸めた腰を伸ばさんとするキドンをいきなり指差してかくかくしかじか啖呵を切ったのである。


「トラよ!あの人喰いトラよ!早く退治して!」


 彼女は、かくのごとくに叫んだ。

 モーティナ王妃の妄言を聞いたキドンははじめ、ますます現状のよめぬままになんたる失敬なことよと心底唖然とした。


 ところが、ふと部屋奥に置かれていた姿鏡を見れば、我が身は黄褐色の縞模様の毛皮をかぶり、鉤爪の分厚い肉球と、尖耳に犬歯の正真正銘なる獣相で、おまけに臀部には長い尻尾まで生えている。

 それはまるで、いなとよ四足野獣の啸風子(しょうふうし)ではないか。


 だがキドンに、自分のさまがわりに驚愕して居すくんでいる暇はない。


 ぬれぎぬの啸風子を駆除せむとして、逃げられぬようドアをふさぐ数人歩哨が、笹穂槍のひかめく鋭利な機鋒をあてがう。

 啸風子は、自分こそは将帥キドンなるぞと弁明しようとするも、ケモノの唖者(あしゃ)であるからして発声ならずに、いよいよ釈明どころではなくなってしまった。


 モーティナ王妃に嵌められたとの思考にさえいたらず、ともあれ逃げねばとまっさきにへそを固める。

 ともかく、攻め突きてくる笹穂槍をかたっぱしからかわしぬき、攻撃を回避せんがために室内中を走り回ったので、壁紙は破れて剥がれるわ各種シェルフは倒壊するわの散乱惨状となった。


 一寸、信服する国王に援助を求めようとも思ったが、タイラントは究極のトラ嫌いであるし、このなりゆきを叙説したところで啸風子のなにを信じてくれようか。


 このままでは殺されてしまうと直感した啸風子は、臥榻(がとう)ぎわのケースメントに前額から突進して割り砕き、高度のあるドンジョンから身を投げるようにして飛び降りた。


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