第八話 王都動乱
警鐘が鳴り響く中、聖騎士たちが禁書庫になだれ込んできた。その先頭に立つロランの瞳は、怒りと神聖な使命感に燃えている。
「そこまでだ、邪悪の源よ!今度こそ、神の光の前に浄化してくれる!」
だが、彼らが突入してきたのは、好都合ですらあった。エリアナの魂が絶望の底に沈み、俺たちの力が最も不安定になっている、最悪のタイミングだったからだ。
『クッ…!この時に…!』
「ヴォイド…」
エリアナは涙に濡れた瞳で俺の名を呼ぶが、その声には力がなかった。彼女の心が折れてしまえば、俺たちの魂の共鳴は途切れ、力は大幅に削がれる。
しかし、事態はさらに悪化する。
聖騎士団とは反対側の、禁書庫の影の中から、新たな一団がぬっと姿を現したのだ。
全員が顔を隠す黒いフード付きのローブを身にまとい、その手には禍々しい儀式用の短剣が握られている。聖騎士とは対極の、粘つくような邪気を放っていた。
「ククク…お探しのものは見つかりましたかな?災厄の器殿」
リーダー格の黒装束の男が、歪んだ声で言った。
「聖騎士団の諸君もご苦労。だが、その御魂、我ら『深淵の探求者』が、我らが真の盟主としてお迎えする!」
ロランが眉をひそめる。
「…貴様らか、近頃王都の闇で嗅ぎ回っていた邪教徒どもは!邪神を崇めるなど、正気の沙汰ではない!」
「正気ですよ。神々が押し付ける偽りの秩序よりも、混沌と自由こそが世界の真理!さあ、器よ、我らの元へ!その身に宿す偉大なるヴォイド・クロウ様を、我らが解き放ち、新たな時代の王として迎え入れよう!」
聖騎士団と、邪教徒『深淵の探求者』。
二つの勢力が俺たちを挟んで睨み合い、禁書庫は一触即発の空気に包まれた。
「やれやれ、とんでもないパーティーになっちまったな!」
ジンが短剣を抜き放ち、俺たちの前に立つ。
「どっちに転んでも、こっちは絶体絶命ってわけか!」
その言葉が引き金だった。
「邪教徒どもは後だ!まずは元凶を断つ!」
ロランが剣を掲げ、聖騎士たちが突撃してくる。
「させるか!邪神様は我らのものだ!」
黒装束たちも、奇怪な呪文を唱えながら、俺たちに向かって駆け出した。
「エリアナ!」
ジンが叫ぶ。
エリアナは、迫りくる二つの狂気に、ただ立ち尽くすばかりだった。彼女の心は、先ほどの真実によって、完全に砕け散っていた。
その絶望が、俺の意識に流れ込む。しかし、それはもはや力の奔流ではなかった。それは、俺の力を蝕む、冷たい毒だった。
だが、その瞬間。
俺の魂の奥底で、影山蓮が叫んだ。
(――ふざけるな!)
(こんなところで、終わらせてたまるか!彼女を、こんな顔させたまま、終われるか!)
俺は、邪神としての本能ではなく、一人の人間としての、純粋な『怒り』に身を任せた。
『エリアナ!聞け!』
俺は、彼女の砕けた心に、力の限り叫んだ。
『まだ終わってなどいない!お前が死ぬ運命だというのなら、その運命ごと、この俺が破壊してやる!だから、顔を上げろ!』
俺の魂の叫びに、エリアナの瞳が、僅かに光を取り戻した。
「…ヴォイド…?」
『そうだ!我と汝は二人で一つ!我らが紡ぐ神話は、悲劇ではない!神々への反逆の叙事詩だ!』
その言葉に呼応するように、二人の魂が再び無理矢理に繋ぎ合わされる。
エリアナの絶望と俺の怒り。
二つの強烈な感情が混ざり合い、これまでとは全く質の違う、暴力的で制御不能な力が奔流となって溢れ出した。
『オオオオオオオオオッ!』
エリアナの口から、もはや人のものとは思えぬ咆哮が迸る。
右腕の紋様から、黒い影が爆発するように吹き出した。それはもはや茨の形ではない。意思を持った津波のように、禁書庫全体を飲み込まんと荒れ狂った。
「ぐわっ!?なんだこの闇は!?」
「精神を保て!飲み込まれるな!」
聖騎士も邪教徒も、区別なく影の津波に飲み込まれ、悲鳴を上げる。本棚がなぎ倒され、貴重な古文書が宙を舞う。
知の聖域が、混沌の坩堝へと変わっていく。
「おいおい、やべえぞ!邪神様が暴走してやがる!」
ジンが煙玉を床に叩きつけ、俺たちの周囲に濃い煙幕を張った。
「今のうちにずらかるぞ!こっちだ!」
ジンに腕を引かれ、エリアナは半ば無意識のまま、走り出す。
背後で、ロランの声が聞こえた。
「待て…!あの涙は…あの叫びは、本当にただの邪悪なのか…?」
彼は、俺たちの姿に何かを感じ取ったようだったが、もはや振り返る余裕はなかった。