第七話 禁書庫の真実とエリアナの涙
禁書庫の中は、外の世界とは完全に隔絶された空間だった。
空気はひんやりと冷たく、時の流れが止まっているかのように静かだ。蝋燭の魔導具が放つおぼろげな光が、天井まで届く巨大な本棚の列を、ぼんやりと照らし出している。
「すげえな。ここにある本一冊で、城が一つ建つって言われてるぜ」
ジンが、感嘆と警戒の入り混じった声で呟いた。
『フン、我の封印に関する書物はどこだ。この膨大な紙の墓場から、どうやって探し出す』
俺がそう言った瞬間、エリアナの右腕の紋様が、ぴくりと脈動した。
「…あ…」
エリアナが、吸い寄せられるように、ある方向を指差した。
「…あっちから…呼ばれている、気がする…」
『…共鳴か。器と、その器に関する記述が引き合っているのか』
それは、俺たちにとって幸運なことだった。
エリアナの感覚を頼りに、俺たちは禁書庫の奥深くへと進んでいく。やがて、一番奥まった場所にある、鎖で厳重に封印された一角にたどり着いた。
そこには、黒い革で装丁された、一際禍々しい気を放つ分厚い書物が、台座の上に鎮座していた。
『…これだ。間違いない』
俺の魂が、この書物に対して強烈な反応を示している。
ジンが器用に鎖の錠を外すと、エリアナは恐る恐る、その古文書に手を伸ばした。
表紙には、古代神聖文字でこう記されていた。
『――星辰喰らいの封印儀典』
エリアナがページをめくっていく。羊皮紙に書かれた文字は、現代の言葉ではなく、俺の知識がなければ解読は不可能だっただろう。俺は、その内容をエリアナの意識に直接語りかけ、伝えていった。
『…「原初の邪神ヴォイド・クロウ。星々を喰らい、因果を歪める混沌の化身。神々の軍勢をもってしても、その魂を完全に滅ぼすことは叶わなかった」…』
『…「故に神々は、邪神の魂を縛るための『生きた牢獄』を創り出した。それが『災厄の器』。神の血を僅かに受け継ぐ、特別な人間の血族である」…』
エリアナは、自分の出自を知り、息を呑んだ。彼女の一族は、俺を封じるためだけに、神々によって創られた存在だったのだ。
俺はさらに読み進めていく。
『…「器の魂そのものが、邪神を縛る最強の枷となる。だが、その封印は不完全であり、邪神の禍々しい気は常に器から漏れ出す。故に、器とその一族は、代々、周囲に不幸を振りまく『呪われっ子』として忌み嫌われ、短命の宿命を背負う」…』
「…だから、私は…村の人たちから…」
エリアナの声が震える。彼女が受けてきた理不尽な仕打ちは、すべてこの呪われた宿命のせいだったのだ。
そして、俺たちは最も重要な記述にたどり着いた。封印を解く方法。
『…「邪神の封印を完全に解き、器をその宿命から解放する方法は、ただ一つ。対となる聖具『神光の涙』を用いること。聖具の神聖な力は、邪神の混沌の力を中和し、その魂を器から安全に引き剥がすことができる」…』
「…聖具…!それがあれば、ヴォイドを自由にできる!私も、この呪いから…!」
エリアナの顔に、希望の光が差した。だが、その光は、次の文章によって、無慈悲に打ち砕かれることになる。
『――「しかし、心せよ。封印より解き放たれし邪神は、完全なる力を取り戻し、再び世界を深淵の闇で覆い尽くさんとするだろう。そして、魂の楔となっていた邪神を引き剥がされた器は、その存在を維持する核を失い、光の粒子となって、この世界から完全に消滅する」』
「…………え?」
時が、止まった。
エリアナの碧い瞳から、急速に光が失われていく。
ジンも、言葉を失って立ち尽くしている。
俺の意識もまた、絶対零度の虚無に叩き落されたかのようだった。
封印を解くことは、俺の完全復活を意味する。
だがそれは同時に、エリアナの『死』を意味していた。
俺を自由にするために、彼女は、消滅しなければならない。
「…そん…な…」
エリアナの唇から、か細い声が漏れた。
「…私…死んじゃうんだ…。ヴォイドを、自由にしたら…」
彼女は、自分の運命を、その絶望的な真実を、完全に理解した。
一筋、また一筋と、彼女の碧い瞳から大粒の涙が零れ落ち、古文書のページに染みを作っていく。
それは、悲しみや絶望だけではない。あまりにも残酷な神々の選択と、自分の無力さに対する、静かな、静かな涙だった。
『……エリアナ……』
俺は、彼女に何と声をかければいいのか分からなかった。
邪神としての尊大な言葉も、元・影山蓮としての励ましの言葉も、この残酷な真実の前では、あまりにも無力で、空虚だった。
ただ、彼女の魂から流れ込んでくる、張り裂けそうなほどの悲哀が、俺の意識を、俺の存在そのものを、鋭い刃のように切り刻んでいた。
その、まさにその時だった。
禁書庫の外から、甲高い警鐘の音が鳴り響いた。
そして、あの聞き覚えのある、冷徹な声が聞こえてきた。
「――見つけたぞ、災厄の器!神聖なる図書館を穢すとは万死に値する!」
禁書庫の扉が破壊され、ロラン率いる聖騎士の一団が、白銀の鎧をきしませながら姿を現した。