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第六話 王立大図書館の番人

王都の心臓部に聳える王立大図書館は、知識の殿堂というより、もはや一つの要塞だった。

白亜の壁には、魔力に反応して起動する守護ゴーレムが埋め込まれ、荘厳な大扉には、邪な意志を持つ者を退けるという『破邪の紋章』が銀で刻まれている。


「いいか、エリアナ。ここではお前は、辺境伯の令嬢『リリアーナ・フォン・シルヴァスタ』だ。古代魔法の研究のために、遠路はるばるやってきたって設定でいく」

ジンは図書館へ向かう道すがら、エリアナに偽りの役柄を叩き込んでいた。

「邪神様は、くれぐれも気配を消しといてくれよ。結界に触れたら、一巻の終わりだ」

『フン、我を誰と心得る。我が深淵の気配を、矮小な人間の仕掛けが見抜けるものか』

俺は尊大に答えつつも、意識の全てを自己の気配を抑制することに注いでいた。エリアナの右腕の紋様も、今はただの黒い痣のように、その禍々しい光を完全に潜めている。


ジンの用意した偽の身分証は完璧だった。図書館の入口に立つ厳格そうな衛兵は、身分証を一瞥し、軽く敬礼すると、俺たちを中へと通した。

一歩足を踏み入れた瞬間、エリアナは小さく息を呑んだ。

そこは、想像を絶する空間だった。

吹き抜けになった巨大なホールは、ドーム状の高い天井まで、壁一面が本棚で埋め尽くされている。何層にもなった回廊が複雑に交差し、無数の書物が静かな威圧感を放っていた。空気は古紙とインクの匂いで満たされ、わずかな囁き声すら許さないような、荘厳な静寂が支配している。


「…すごい…こんなにたくさんの本、見たことない…」

『フン、知識とは力。人間は、その力を紙の束に閉じ込めることで、支配しようというのか。愚かしいことよ』

俺はそう評したが、この知の集積地が持つ力には、ある種の敬意を感じずにはいられなかった。


「さて、お目当ての『禁書庫』だが…普通に探しても見つからねえだろうな」

ジンが声を潜めて言う。

「まずは、手がかりを探す。古代史か、神話関連のエリアだ。行くぞ」


俺たちは、図書館の奥へと進んだ。一般の司書に『災厄の器』について尋ねてみたが、皆一様に、そんなものは知らないと首を振るばかり。まるで、その言葉自体が存在しないかのように。


(…情報が統制されているな。やはり、公にはされていない知識か)


『エリアナ、右だ。三階の西回廊。そこから、微かに古く、強大な魔力の残滓を感じる』

俺は、この図書館に張り巡らされた魔力の流れを読み、隠された場所の気配を探っていた。

俺の指示に従い、三人は人のいない回廊の奥へと進む。やがて、行き止まりの壁の前にたどり着いた。そこには、他の場所とは明らかに雰囲気の違う、黒檀で作られた重厚な扉があった。扉には鍵穴すらない。


そして、その扉の前には、一脚の古びた椅子に腰かけ、分厚い本を読んでいた一人の老婆がいた。

白髪は無造作にまとめられ、深く刻まれた皺が、彼女が生きてきた長い年月を物語っている。しかし、その背筋は驚くほど真っ直ぐで、本を持つ指先には力がみなぎっていた。


ジンが、ごくりと喉を鳴らした。

「…『静寂の魔女』エキドナ…。まずいな、最悪の番人だ」

その名には、彼が持つ情報網をもってしても近づきたくない、という響きが込められていた。

俺たちが近づくと、老婆――エキドナは、本から顔を上げることなく、静かに口を開いた。


「…偽りの名を持つ者、盗人の技を持つ者、そして…腕に深淵を隠す者。知の聖域に、何用かな?」


その声は静かだったが、俺たちの正体をすべて見抜いていた。

ジンは冷や汗を流し、エリアナは身を固くする。

『…ほう。我が気配を看破するか。ただの人間ではあるまい』

俺は感心し、エリアナの口を通して問いかけた。


エキドナは、そこで初めてゆっくりと本を閉じ、その顔を上げた。彼女の瞳は、まるで古井戸の底のように深く、全てを見透かすような光を宿していた。

「わらわは、この図書館の過去と未来を見守る者。禁書庫の番人、エキドナ。お主らの魂の色くらいは、手に取るように分かるわい」

彼女はエリアナの右腕に視線を移す。

「…なるほど。『災厄の器』か。久しぶりに見たわい。その腕の邪神とやらも、随分と窮屈そうじゃな」


俺は驚愕した。彼女は、俺たちの目的すら見抜いている。

「わ、私たちは…」

エリアナが何かを言おうとするのを、エキドナは手のひらを向けて制した。

「知を求める者に、わらわは身分を問わぬ。だが、この禁書庫の扉は、それにふさわしい『問い』を持つ者にしか開かれぬ。お主らが、ただの破壊者か、あるいは新たな理を紡ぐ者か…それを見極めさせてもらう」

彼女は、まるでゲームを楽しむ子供のように、目を細めた。

「さあ、わらわを納得させる『問い』を聞かせてみよ。もし、その問いがわらわの知的好奇心を揺さぶるものならば、この扉を開けてやろう」


それは、あまりにも理不尽で、あまりにも魔術師らしい試練だった。

ジンは頭を抱え、エリアナは途方に暮れる。

だが、俺の意識の奥底で、かつて影山蓮として蓄えた無駄知識と、邪神として持つ根源的な叡智が、火花を散らして融合した。


『ククク…面白い。ならば、我が万象の理への挑戦、受けてみるが良い』

俺はエリアナの口を借り、不敵に笑った。

『我が問いは三つ。一つ、神々がこの世界を創造した際に用いた『原初の言葉』。その文法構造における、因果律を歪める禁断の接頭辞とは何か?』

『二つ、魔力の源泉たるマナは、魂の代謝物であると同時に、世界の記憶を刻む媒体でもある。ならば、完全な無からマナを生成する『虚数魔法』の理論は、どの次元法則を応用すれば構築可能か?』

『そして三つ…』

俺は一呼吸置き、最後の問いを投げかけた。

『神々はなぜ、我が如き『邪神』を、滅ぼさずに『封印』したのか?完全な消滅が可能であったにもかかわらず。その行為に隠された、神々の『矛盾』あるいは『恐怖』とは、一体何なのかを、汝は識るか?』


俺の問いに、図書館の荘厳な静寂が、さらに深く沈んだように感じられた。

ジンは、何を言っているのか分からないという顔で、ぽかんとしている。

だが、エキドナの目は、これまでになく大きく見開かれていた。その深い瞳の奥で、驚愕と、歓喜と、そして畏怖が入り混じった光が揺らめいていた。


彼女は、長い沈黙の後、椅子からゆっくりと立ち上がった。

「…ク…ククク…アハハハハハ!」

老婆は、腹を抱えて笑い出した。その笑い声は、この静寂の殿堂に、何十年ぶりに響いたのではないだろうか。

「…見事じゃ。見事な問いじゃ、腕の中の邪神よ!その問いの答えは、このわらわにも、そしておそらくは神々自身にすら、完全には分からぬものじゃろう!」

彼女は黒檀の扉に手を触れる。

「良いだろう!その知的好奇心、その傲岸不遜なる魂!気に入った!汝らになら、この扉を開ける資格がある!」


エキドナが呪文を唱えると、鍵穴すらなかった扉に、複雑な魔法陣が光を放ちながら浮かび上がり、ギィィ…と重々しい音を立てて、内側へと開いていった。

扉の向こうには、埃と時間だけが満ちた、深淵のような闇が広がっていた。

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