第五話 王都ヴェリタスと蠢く影
ジンが仲間(自称)に加わってから、俺たちの旅は劇的に変化した。
彼は驚くほど多くの裏街道や獣道を知っており、賞金稼ぎや騎士団の巡回部隊と遭遇することなく、俺たちは順調に王都へと近づいていった。
「ま、表街道を塞いでるってんなら、裏から行けばいいだけの話さ。どんな壁にも、抜け道ってもんはあるもんだ」
ジンはそう言って、軽やかに笑う。彼がどこでこれほどの知識と経験を得たのかは謎だが、その有能さは認めざるを得なかった。
そして数日後、俺たちはついに目的の地、王都ヴェリタスの城壁を望む丘の上に立っていた。
「…すごい…」
エリアナが、息を呑んで呟いた。
眼下に広がる光景は、圧巻の一言だった。巨大な白い城壁がどこまでも続き、その内側には無数の建物がひしめき合っている。中央には天を突くように壮麗な王城がそびえ立ち、その隣には、荘厳な大神殿が陽光を反射して輝いていた。
人の営みが凝縮された、巨大な坩堝。それが、王都ヴェリタスの第一印象だった。
『フン、人間が蟻のように集まっているだけではないか。我が旧き支配の時代には、これしきの都市など、一夜にして闇に沈めてやったものを…』
俺は感嘆を押し殺して嘯くが、その規模と、渦巻く膨大な人間の魔力の流れには、内心驚きを禁じ得なかった。
「さて、と。正面から行けば、手配書のお嬢ちゃんは一発で御用だ。ここは、俺の顔を使わせてもらおう」
ジンの案内で、俺たちは正門を避け、城壁の薄暗い一角にある、目立たない水門へと向かった。そこには、怠惰そうな衛兵が一人いるだけだった。
「よう、ボルさん。いい天気だねぇ」
ジンが気さくに声をかけると、衛兵は面倒くさそうに顔を上げたが、ジンの顔を見るなり、にやけた。
「おお、ジンじゃねえか。また厄介ごとか?」
「人聞き悪いなぁ。ちょっと親戚の子を連れてきただけだよ。ほら、これで美味い酒でも飲んでくれ」
ジンが衛兵の手に数枚の銀貨を握らせると、衛兵は手早くそれを懐にしまい、重い鉄格子を少しだけ開けた。
「…さっさと行けよ。見つかったら俺の首が飛ぶ」
「恩に着るぜ」
こうして俺たちは、いとも簡単に王都への潜入を果たした。
王都の内部は、外から見た以上に活気に満ちていた。石畳の道を、様々な身なりの人々が行き交い、露店の威勢のいい声が飛び交っている。エリアナは初めて見る光景の数々に、目を白黒させていた。
ジンはそんな俺たちを、人通りの少ない裏路地へと導いた。
「さて、邪神様と姫君。まずはこの王都のルールを教えておこう」
彼は壁に寄りかかり、指を折りながら説明を始めた。
「この王都は、大きく分けて三つの勢力が睨み合ってる。一つは、大神殿に巣食う聖光教会。あんたたちを目の敵にしてる聖騎士団はここの犬だ。二つ目は、王城にいる王族と、それに仕える貴族ども。そして三つ目が、あっちに見える高い塔…王立魔術師ギルドさ」
ジンの指差す先には、他のどの建物よりも高く、黒曜石で作られたかのような異様な塔がそびえていた。
「教会と王家は、表向きは仲良くやってるが、裏じゃ主導権争いでギスギスしてる。魔術師ギルドは、政治には興味なし。ひたすら知識と魔法の探求に明け暮れる変人たちの集まりだ。だが、連中は『災厄の器』や邪神の力に、別の意味で興味津々だろうな。研究対象として、喉から手が出るほど欲しいはずだ」
三つ巴の勢力図。どこもかしこも敵だらけ、ということか。
『…それで、我らが求める『情報』は、どこにある?我が封印を解くための手がかりだ』
「そいつがあるとしたら、十中八九、魔術師ギルドの管轄下にある『王立大図書館』だろうな。この国中の、ありとあらゆる知識が集まる場所だ。古代の文献や禁断の魔術書なんかも、腐るほどあるはずさ」
『ならば、そこへ行くぞ』
「お待ちっと。そう簡単に行ける場所じゃないぜ」
ジンは首を横に振った。
「大図書館は、王都の中でも特に警備が厳しい場所だ。なんせ、国の最高機密や、使い方を間違えれば国が傾くような魔術書も保管されてるからな。入館するには、貴族か、ギルドに所属する魔術師の身分証がいる。おまけに、そこら中に魔術的な防護結界が張り巡らされてる。あんたみたいな邪神様が行けば、警報が鳴り響いて、即お縄さ」
それは、厄介極まりない。
(どうしよう、ヴォイド…)
エリアナが不安そうな声を上げる。
『…フン、神の叡智を独占するとは、人間どもの浅ましさよ。だが、我が前には如何なる城壁も無意味。結界ごと、この闇で飲み込んでくれるわ』
「まあまあ、そう熱くなるなって。ちゃんと手は考えてある」
ジンは懐から、羊皮紙でできた一枚のカードを取り出した。そこには、どこかの地方貴族の紋章が刻まれている。
「偽の身分証さ。これを使えば、正面から堂々と入れる。ま、結界の問題は残るが…それは、邪神様の力でなんとかしてもらうしかねえな。自分の気配を、極限まで抑えるんだ。あんたほどの存在なら、赤子の手をひねるより簡単だろ?」
ジンは俺の力を試すように、挑発的に笑った。
『…ククク、面白い。その挑戦、受けて立とう。我が力の真髄は、破壊と混沌だけではない。万物すら欺く、深淵なる静寂にあることを教えてやる』
俺はジンの挑発に乗り、エリアナに意識を集中させる。彼女の腕の中で、自らの禍々しい気配を、まるで存在しないかのように、虚無の奥底へと沈めていく。
こうして、俺たちの次なる目標は、王都の中枢に位置する知の聖域「王立大図書館」に定まった。
巨大な都市に渦巻く、いくつもの悪意と好奇の視線を感じながら、俺たちは光と影が交錯する王都の奥深くへと、その歩みを進めるのだった。