第二十七話 二人で一つの未来
光が、ゆっくりと収まっていく。
始まりの祭壇に満ちていた神聖なエネルギーは、まるで春の雪解け水のように、穏やかに大地へと還っていった。
俺は、自分の手を見つめた。
確かな肉体の感触がある。エリアナの腕の中にいた頃とは違う、完全な自分自身の身体。
そして、目の前には涙を浮かべながらも、満面の笑みを浮かべるエリアナがいた。
「…ヴォイド…本当に、ヴォイドなんだね…」
「ああ、そうだ」
俺は、彼女の涙をそっと指で拭った。その温かさが、信じられないほどリアルだった。
「もう、邪神様でも腕に宿る意識でもない。ただのヴォイドだ」
「…うん…うん…!」
俺たちは、どちらからともなく、強く抱きしめ合った。
長かった旅。絶望的な運命。その全てが、この瞬間のためにあったのだと、心の底から思えた。
「…やれやれ、お熱いこって」
後方から、ジンの茶化すような声が聞こえた。
振り返ると、ジンと、ロランと、ティターニア、エキドナが、俺たちを温かい目で見守っていた。
ロランは、もう迷いのない、晴れやかな顔をしている。彼は、自分の足で立ち上がり、俺たちに向かって深く頭を下げた。
「…すまなかった。そして、ありがとう。君たちのおかげで、俺は本当の『正義』が何なのか、見つけられた気がする」
「ううん」とエリアナは首を横に振った。「私たちも、あなたと出会えてよかった」
その時、大神殿全体が、ゴゴゴゴ…と、地鳴りのように揺れ始めた。
「おいおい、なんだ!?」
ジンが身構える。
天に立つ光の柱の中から、荘厳で、怒りに満ちた声が響き渡った。
《――何者だ。我が創造せし世界の理を、我が定めし運命の歯車を、狂わせる、矮小なる者どもは》
それは、神の声だった。
この世界を創り、支配する、絶対者の声。
俺たちが、神々の定めた運命を覆したことに、ついに創造主自らが干渉してきたのだ。
《許さぬぞ、人間よ。そして、我が力を盗みし、元邪神よ。その罪、消滅をもって償うが良い》
光の柱から、神罰の雷が、俺たちに向かって、放たれようとしていた。
誰もが、その絶対的な力の前に、身動きが取れずにいた。
だが、俺とエリアナだけは違った。
俺たちは、お互いの顔を見合わせ、ふっと笑うと、二人でしっかりと手を繋いだ。
「――お断りします」
エリアナが、凛とした声で、天に向かって言った。
「私たちの未来は、私たちが決めます。あなたの作った物語の、登場人物なんかじゃない」
「――そうだ」
俺も続けた。
「あんたが神様だろうが、創造主だろうが、知ったことか。俺たちは、俺たちのルールで生きていく。文句があるならかかってこいよ。今度の俺たちは、二人なんだからな!」
俺たちの宣戦布告に、神はさらに激しい怒りの波動を放った。
だが、その神罰が俺たちに届くことはなかった。
俺とエリアナが手を繋いだ瞬間。
俺の魂に眠っていた元邪神としての力の残滓と、エリアナの魂に宿る聖女としての聖なる力が共鳴し、俺たちの周囲に、淡い虹色の障壁を展開したのだ。
それは、混沌でも秩序でもない、二人の『愛』と『絆』が生み出した、全く新しい第三の力。
神の力すらも、優しく弾き返す究極の守護の力だった。
《…な…!?我が力が通じぬだと…!?混沌と聖性が混じり合い、新たな理を…?…ありえん…!》
神の声に初めて動揺の色が混じった。
その光景を見て、ティターニアとエキドナは、顔を見合わせて愉快そうに笑った。
「…どうやら、神々の時代も、いよいよ終わりが近いようじゃな」
「ああ。ここからは、あの子たちの時代だ」
神は、しばらく沈黙していたが、やがて諦めたかのように、その気配を消していった。
自分の力が通じない、新たな理の誕生を前に干渉を諦めたのか。あるいは、彼らの未来を見届けることにしたのか。
それは、誰にも分からなかった。
神の気配が消え、大神殿には再び静寂が戻った。
俺たちは、顔を見合わせ、そして、今度こそ心の底から笑い合った。
俺たちの、長い長い戦いは、本当に、終わったのだ。