第二十六話 夜明け、反逆の儀式
ロランの剣が、エリアナに届く、その寸前。
彼の動きは、ぴたりと止まった。
剣先は、エリアナの喉元、数センチのところで震えている。
だが、彼はそれ以上、剣を進めることができなかった。
「…くっ…」
ロランの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「…斬れない…。俺には、お前たちのその想いを、斬ることは、できない…」
彼は、その場に膝から崩れ落ち、握りしめていた剣を、カランと音を立てて手放した。
「…俺の、負けだ…」
彼の正義は、エリアナの純粋な想いの前に、敗れたのだ。
エリアナは、崩れ落ちたロランに、そっと手を差し伸べた。
「…ありがとう、ロランさん。あなたの想い、確かに、受け取りました」
その時、広間に、パチパチという拍手の音が響いた。
見ると、広間の入口に、エルフの長老ティターニアと、禁書庫の番人エキドナが、いつの間にか立っていた。
「…見事な幕切れじゃな」
エキドナが、満足げに笑っている。
「神の正義も、人の想いの前では、形無しというわけか」
ティターニアも頷いた。
「ロランよ。お主は、己の正義に敗れたのではない。己の魂に、正直になっただけのこと。それは、敗北ではない。新たな始まりじゃ」
二人の言葉に、ロランは、ただ、嗚咽を漏らすだけだった。
彼の長かった戦いは、終わったのだ。
そして、俺たちの、最後の戦いが始まろうとしていた。
「さあ、始めようぜ。世界で一番、イカした反逆をよ!」
ジンが、俺たちの背中を叩いた。
エリアナは、こくりと頷くと、始まりの祭壇の中央へと歩みを進めた。
俺もまた、彼女と共にその場所に立つ。
エリアナは、懐から『神光の涙』を取り出し、祭壇のくぼみにそっと置いた。
そして、羊皮紙に書かれた古代の儀式の詠唱を、静かに始める。
詠唱に呼応し、祭壇の幾何学模様と、神光の涙が、眩い光を放ち始めた。
光は、天に立つ光の柱と共鳴し、広間全体を、神聖なエネルギーで満たしていく。
「…ヴォイド、準備はいい?」
『ああ。いつでも来い、エリアナ』
儀式が、最終段階に入る。
エリアナの身体から、俺の魂が、ゆっくりと、光の粒子となって、引き剥がされていく。
だが、それは、苦痛を伴うものではなかった。
まるで、一つの川が、二つに分かれるかのように、自然な流れだった。
俺の魂は、光の粒子となり、エリアナの目の前に、人型を形成していく。
それは、邪神ヴォイド・クロウの姿ではなかった。
黒髪でどこにでもいるような、平凡な、だが、強い意志を瞳に宿した青年。
影山蓮の姿だった。
そして、神光の涙の力が、俺の魂から、邪神としての混沌の力を綺麗に濾過し、純粋な魂のエネルギーだけを残していく。
同時に、エリアナの魂からも、器としての呪いの楔が、完全に解き放たれていく。
俺たちはついに、別々の独立した存在になったのだ。
俺は、初めて自分の足で立ち、自分の目でエリアナを見た。
エリアナも、初めて腕の中にいる意識としてではなく、目の前に立つ、一人の人間として俺を見た。
「…ヴォイド…?」
彼女の瞳から、涙が溢れた。
「…ああ、俺だ、エリアナ」
俺は、少し照れくさかったが、彼女に向かって手を差し伸べた。
儀式は、まだ終わっていない。
最後に、俺たちの魂を永遠に、この世界に定着させるための仕上げが必要だった。
俺とエリアナは、手を取り合った。
そして、二人で、最後の詠唱を口にする。
「「――我らは、ここに誓う。神々の運命に抗い、我らの意志で、共に生きることを」」
その言葉と共に、祭壇の光が最大になった。
俺たちの身体は、眩い光に包まれ、そして――。
世界は、光に満ちた。