第二十四話 聖女の祈り、慈愛の光
ザラキエルが放った、混沌の奔流。
それは、かつての俺が振るっていた力にも匹敵する、純粋な破壊の意志そのものだった。
だが、その絶望的な闇が、俺たちを飲み込む寸前。
エリアナの身体から放たれた黄金の光が、まるで絶対的な守護者のように、俺たちの前に立ちはだかった。
「な…なんだ、あの光は…!?」
自らの身を犠牲にした必殺の一撃を放ったザラキエルが、信じられないという顔で、その光景を見つめている。
エリアナの身体は、ふわりと宙に浮いていた。
その瞳は、慈愛に満ちた金色に輝き、銀髪は光の粒子を纏って、穏やかになびいている。
その姿は、もはや呪われっ子でも、ただの少女でもない。
神話に語られる『聖女』そのものだった。
『エリアナ…!お前…!』
俺は、彼女の内で起こっている変化に、驚きを禁じ得なかった。
これは、俺の力ではない。彼女自身の魂が、俺との絆と、『神光の涙』の聖なる力に触発され、完全に覚醒したのだ。
神の血を引く者として、彼女が本来持っていた、聖なる力が。
「…許しません」
エリアナの唇から、凛とした、だがどこまでも優しい声が響いた。
「あなたが、どれだけヴォイドを想っていても、その歪んだ愛で、誰かを傷つけることは、許しません」
彼女は、ゆっくりと右腕を、天に掲げた。
魂樹の聖紋が、黄金の光と共鳴し、その輝きを増していく。
「――ヴォイド、力を貸して。この人たちの、悲しい心を、救うために」
『…ああ、もちろんだ、エリアナ』
俺たちの魂が、最高の形で一つになる。
俺の、元邪神としての混沌の力。そして、エリアナの、聖女としての慈愛の光。
対極にある二つの力が、彼女の腕の中で、争うことなく、完璧に調和し、一つの奇跡を生み出した。
「――“救済の創世光”」
エリアナの腕から放たれたのは、破壊の力ではない。
それは、温かく、全てを包み込むような、慈愛に満ちた光の波動だった。
光は、ザラキエルの放った混沌の奔流を、いとも簡単に飲み込み、そして、無力化した。
それだけではない。
光の波動は、広大な空洞全体に広がり、洗脳されていた信者たち一人一人を、優しく包み込んでいく。
「…あ…れ…?私は、何を…?」
「…頭が…痛い…そうだ、大司教様に、無理矢理、薬を…」
信者たちは、次々と正気を取り戻し、その場に崩れ落ちていった。ザラキエルの洗脳と、杖による魔力支配から、完全に解放されたのだ。
「…う…そだ…」
ザラキエルは、その光景を、ただ呆然と見つめていた。
自分の全てを捧げた一撃が、無に帰した。信じていた信者たちも、全て失った。
「…ありえない…我らが主が、我を、見捨てるというのか…?こんな、聖女ごっこの真似事で…」
彼は、がくりと膝から崩れ落ち、髑髏の杖を取り落とした。
光の中心で、エリアナはゆっくりと地上に降り立つ。
彼女は、絶望に打ちひしがれるザラキエルの元へ、静かに歩み寄った。
「あなたは、間違っていた」
エリアナは、彼を断罪するのではなく、ただ、悲しそうに言った。
「本当の想いとは、誰かを支配したり、傷つけたりするものではないはずです。ただ、その人の幸せを、心の底から願うこと。それだけのはずです」
エリアナの言葉は、ザラキエルの砕け散った心に、深く、深く突き刺さった。
「…ああ…あああああ……」
彼は、子供のように、その場で泣き崩れた。
長年抱えてきた、孤独と歪んだ信仰が、聖女の慈愛の光の前に浄化され、溶けていく。
「…やれやれ、とんでもねえお姫様だ」
ジンが、その光景を、感嘆のため息と共に見守っていた。
「悪党を、力じゃなく、心でひれ伏させちまうとはな」
こうして、邪教徒『深淵の探求者』との因縁は、思わぬ形で、幕を閉じた。
彼らは、もはや俺たちの敵ではない。ただの道に迷った人間たちに戻ったのだ。
俺たちは彼らに背を向け、大神殿へと続く最後の通路へと歩みを進めた。