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第二話 聖騎士と黒き戯れ

「…その声…貴様、その娘に憑依している邪霊か!」


リーダー格と思しき、精悍な顔つきの騎士が剣を抜き放ちながら叫んだ。その剣身は、魔を祓う聖なる銀で鍛えられているのか、鈍い光を放っている。


(邪霊、だと?ククク…この我を、その程度の矮小な存在と一緒にするでないぞ)


俺は内心でせせら笑う。だが、状況は笑っていられるものではない。

相手は明らかに手練れ。それも、俺のような『闇』の存在を専門に狩る連中だ。今の俺は封印のせいで、力のほとんどを制限されている。真正面からぶつかれば、万に一つも勝ち目はないだろう。


『エリアナよ、聞こえるか』

俺は意識の内で、震える少女の魂に語りかける。

(…うん、聞こえる…ヴォイド…)

エリアナの声は、恐怖でか細く震えていた。無理もない。ついさっきまで村人に石を投げられていただけなのに、今度は国家権力と思しき武装集団に囲まれているのだから。


『案ずるな。我が傍に在る限り、汝の魂に傷一つ付けさせはせん。だが、我が力は未だ封印の(くびき)にある。故に、汝の協力が必要だ』

(わ、私が…協力…?)

『そうだ。我が指示に従い、動け。さすれば、絶望の闇夜にも、活路という名の月は昇るであろう』


俺の芝居がかった言葉が、彼女の恐怖を僅かに和らげたようだった。エリアナはこくりと頷き、その碧い瞳に覚悟の光を灯した。


「問答無用!邪悪なる者よ、神の御名において、その少女から立ち去れ!」


リーダーの隣にいた、若い血気盛んな騎士が叫びながら突進してきた。その速度は、常人の比ではない。鍛え上げられた肉体が、重い鎧を感じさせないほどの瞬発力を生み出している。


『――右へ跳べ!』

俺の指示と、エリアナが地面を蹴るのが、ほぼ同時だった。

ひゅっ、と風を切る音が耳元を通り過ぎる。先ほどまで彼女が立っていた場所を、聖騎士の振り下ろした長剣が、石畳を砕きながら通過していった。


「なっ…!?」


攻撃を避けられたことに、若い騎士が驚愕の声を上げる。

だが、彼の驚きはそれだけでは終わらない。


『ククク…神の光も、我が深淵の前では無力な蝋燭の灯火に過ぎん。触れることすら許さんぞ、矮小なる者よ。我が器は、至高の聖域なり!』


俺はエリアナの口を借りて、高らかに宣言する。

同時に、彼女の右腕の紋様から、再び黒い影が滲み出した。それは先ほど村の女たちを脅した時よりも、さらに濃く、深く、路地裏全体を夜の闇で塗りつ潰すかのように広がっていく。


「うわっ!なんだ、この闇は!?」


若い騎士が、突如として視界を奪われ、狼狽する。

リーダー格の騎士が叫んだ。

「気をつけろ、アルフォンス!ただの闇ではない!精神に干渉する邪法だ!」


(ほう、見抜くか。さすがに場数を踏んでいるようだな)


俺の影は、物理的な攻撃力を持たない。その本質は、精神への干渉と幻惑。影に触れた者の心に、最も根源的な『恐怖』を植え付けるのだ。

突進してきた騎士――アルフォンスは、広がる闇に完全に飲み込まれた。


「くっ…どこだ!どこにいる、化け物め!」


彼は闇雲に剣を振り回すが、その刃がエリアナを捉えることはない。

なぜなら、彼の見ている世界は、既に俺が創り出した悪夢にすり替わっているからだ。彼の目には、無数の化け物が四方八方から迫ってくる様が見えているのだろう。


「ひっ…く、来るな!来るなァァァ!!」


悲鳴を上げ、彼は味方であるはずの壁に向かって剣を突き立てた。


『クハハハハ!無様なり、光の使徒よ!汝が心の内に巣食う闇こそが、最大の敵であると知れ!』


俺の哄笑が、エリアナの口を通して響き渡る。

残る二人の騎士は、同僚の無様な姿を見て、動けずにいた。


「ロラン隊長!アルフォンスが…!」

「落ち着け、マルク!奴の術中に嵌るな!聖なる祈りを捧げ、精神を保て!」


リーダー格の騎士――ロランは、冷静に状況を分析していた。彼は剣を構え直し、その鋭い視線で、闇の中心に立つエリアナを射抜く。


「…なるほど。『災厄の器』に封じられた古の悪魔か。その力、確かに厄介だが…」

ロランの全身から、淡い金色の光が立ち上り始めた。それは聖なる気のオーラ――神聖力(マナ)の輝き。


「我ら聖騎士団が、神の敵を見逃すことはない!」


ロランが詠唱を始める。それは、邪を祓う浄化の術式。

まずい。このまま術を発動させれば、俺の影は打ち払われる。そうなれば、身体能力で劣るエリアナに逃げ場はない。


『エリアナ!奴の詠唱を止めろ!石でも何でもいい、投げつけろ!』

(えっ、でも…!)

『躊躇うな!これは戯れではない、生存を賭けた闘争だ!汝がやらねば、我らが滅ぶのだぞ!』


俺の叱咤に、エリアナははっと我に返った。彼女は足元に転がっていた、先ほど騎士が砕いた石畳の欠片を拾い上げると、震える腕で、力の限りロランに向かって投げつけた。

放物線を描いた石は、しかし、ロランの数メートル手前で不可視の壁に阻まれたかのように、カキンと音を立てて弾かれた。


「無駄だ。聖なる結界の前では、如何なる物理攻撃も意味をなさん」

ロランが冷たく言い放つ。詠唱は止まっていない。彼の周囲に満ちる神聖力が、ますます輝きを増していく。


『…チッ、小賢しい真似を!』


ならば、と俺は思考を切り替える。

もう一人の騎士、マルク。彼の方が動揺している。崩すなら、こちらからだ。


『恐怖せよ、そしてひれ伏せ!これぞ原初の闇が紡ぐ、悪夢の戯曲、第二幕なり!』


俺は影の操作をさらに集中させる。

闇の中から、黒い触手のようなものが無数に伸び、マルクと名乗られた騎士に襲いかかった。


「な、なんだこれは!?」


マルクは剣で影の触手を薙ぎ払おうとするが、物理的な実体を持たない影は、彼の剣をすり抜けて体に絡みつく。

先ほどのアルフォンスと同じく、彼の精神もまた、俺の創り出した悪夢の世界へと引きずり込まれていく。


「隊長!助け…がはっ…!」


マルクは膝から崩れ落ち、喉を掻きむしり始めた。彼には、影の触手が自分の首を絞めているように感じているのだろう。

だが、ロランは動じなかった。彼は同僚の苦しむ姿に一瞬だけ眉をひそめたが、詠唱を中断する気配はない。むしろ、その瞳には冷徹な決意が宿っていた。


「…哀れだが、これも聖戦における名誉の犠牲だ。マルクよ、お前の魂は神の御許に召されるだろう」


非情な言葉。彼は仲間を見捨ててでも、俺たちを祓うことを優先するつもりらしい。

そして、ついに彼の詠唱が完了した。


「――神の威光、遍く地上を照らし、邪悪なる闇を滅ぼさん!『聖光爆閃(ホーリーバースト)』!!」


ロランが掲げた剣の先から、太陽が爆発したかのような凄まじい光が放たれた。

その光は、俺が展開していた闇を一瞬にして消し飛ばす。まるで、インクで汚れた紙を強力な漂白剤で洗い流すように。


「ぐっ…!」


闇が掻き消された瞬間、強烈なフィードバックが俺の意識を襲う。封印された身には堪える一撃だ。

エリアナもまた、光の奔流に目をくらませ、よろめいた。

俺の影から解放されたアルフォンスとマルクは、ぜえぜえと荒い息をつきながらも、憎悪に満ちた目でこちらを睨みつけている。


「はぁ…はぁ…よくも、よくも俺たちを…!」

「許さん…!この悪魔め!」


状況は、最悪だ。

俺の切り札だった影の術は破られた。力の消耗も激しい。もはや、彼らを幻惑するほどの力は残っていない。

そして、三人の聖騎士が、じりじりと包囲網を狭めてくる。


(…万策、尽きたか…?いや、まだだ。まだ奥の手は…)


だが、その奥の手を使うには、力が足りない。もっと強烈な感情の奔流が、封印を揺るがすほどの何かが――


その時だった。

エリアナが、震える足で一歩、前に出た。


「…もう、やめて」


か細い、しかし凛とした彼女自身の声。

ロランは眉をひそめた。

「小娘、まだ邪悪に与するかっ。お前もろとも、浄化してくれる!」

「違う!」


エリアナは叫んだ。

「この人は…ヴォイドは、私を守ってくれた!村の人たちに石を投げられた時、助けてくれた!あなたたちみたいに、問答無用で私を殺そうとなんてしなかった!」


彼女の言葉に、俺は息を呑んだ。

恐怖と絶望ではない。それは、俺を庇うための、純粋な『怒り』と『感謝』。

その清冽で力強い感情が、濁流となって俺の魂に流れ込んできた。それは封印のダムに亀裂を入れる、新たな衝撃。


『…エリアナ…!』


俺の意識が、僅かに浮上する。力の奔流が、封印の底から湧き上がってくるのを感じた。


『ク…ククク…クハハハハハハ!』


俺の哄笑が、再び路地裏に響き渡る。それは先ほどまでの虚勢ではない。真の力が伴った、歓喜の雄叫びだった。


『聞いたか、光の狗どもよ!我が器の言葉を!彼女の魂は、我が至高の領域!汝ら如き塵芥が、その領域を侵すことは、万象の理に反するのだ!』


エリアナの右腕の紋様が、これまでとは比較にならないほどの禍々しい黒光を放ち始める。


ロランの顔色が変わった。

「な…なんだ、この邪悪な力は…!?さっきとは比べ物にならん…!」

彼は咄嗟に、防御の構えを取る。


『褒めて遣わすぞ、エリアナ!その魂の輝き、我が力を見事に解き放った!』

『ならば、見せてやろう!混沌の片鱗を!我が力の、真髄の一端を!』


俺は解放された力を、一点に集中させる。

もはや小賢しい幻惑ではない。これは、限定的ながらも、物理世界への直接干渉。


『――喰らえ!深淵よりの招待状!“虚無の顎(ヴォイドジョー)”!』


エリアナの足元の影が、再び濃密な闇と化す。だが今度の影は、ただ広がるだけではなかった。

影が、まるで巨大な獣の顎のように、立体的に隆起したのだ!

影でできた巨大な顎が、三人の聖騎士をまとめて喰らわんと、凄まじい速度で襲いかかった。


「ぐおおおおっ!?」


ロランは咄嗟に聖なる結界を最大まで展開し、アルフォンスとマルクは悲鳴を上げて後方へ跳んだ。

影の顎は、ロランの結界に激突し、バチバチと火花を散らす。聖なる光と原初の闇がせめぎ合い、空間が軋むような音を立てた。

結界は数秒持ちこたえたが、やがてガラスのように砕け散る。しかし、その一瞬の抵抗が、ロランに回避の時間を与えた。彼は後方へ大きく跳躍し、直撃を免れる。

影の顎は、聖騎士たちがいた場所の石畳を、まるで巨大な怪物がかじり取ったかのように、抉り取っていた。


「…今の、は…」


エリアナは、自分の足元で起きた信じられない光景に、息を呑んだ。

俺もまた、力の消耗に意識がくらみそうになるのを感じていた。今の一撃で、エリアナから得た力のほとんどを使い果たしてしまった。


『…はぁ…はぁ…見たか、これが我が力だ…』


虚勢を張りつつも、内心は冷や汗ものだ。これ以上は、もう何もできない。


ロランは、抉り取られた地面と、息を切らしているエリアナを交互に見比べ、厳しい表情で呟いた。

「…今の、は、まぎれもなく神話級の魔術…。こんなものを、あの少女が…いや、彼女に封じられた存在が使ったというのか…」

彼は剣を握りしめ、苦渋の決断を下したようだった。

「…撤退する!マルク!アルフォンスを担いで退くぞ!」

「し、しかし隊長!奴らをこのまま!」

「奴を仕留めるには、我々だけでは力が足りん!一度教皇庁に戻り、本隊の派遣を要請する!これはもはや、我々一部隊で対処できる案件ではない!」


ロランの判断は迅速だった。彼らは負傷した仲間を担ぎ、憎々しげにこちらを一度振り返ると、足早に去っていった。


嵐が過ぎ去った路地裏で、エリアナはその場にへなへなと座り込んだ。

「…行っ、た…?」

『…ああ。だが、奴らは必ずまた来る。しかも、次はこの程度の戦力では済まないだろうな』


俺は消耗した意識の中で答える。

「…私たち、どうなっちゃうの…?」

エリアナの瞳に、再び不安の色が浮かぶ。


『…案ずるなと言ったであろう。我と汝は契約したのだ。この程度の苦難、我らが紡ぐ神話の序章に過ぎん』

俺は彼女を励ますように言う。

『行くぞ、エリアナ。この村に長居は無用だ。奴らが戻ってくる前に、ここを離れる』


「…でも、どこへ?」

『どこへでも良い。だが、まずは情報を集める必要がある。聖騎士が言っていた“災厄の器”という言葉…それが、我が封印を解く鍵やもしれん。そのためには、人の集まる大きな街へ向かうのが得策だろう』


エリアナはこくりと頷くと、ふらつく足で立ち上がった。彼女もまた、この戦いで心身ともに疲弊しているはずだ。

それでも、彼女は前を向いた。その碧い瞳には、自分の運命から逃げず、立ち向かおうとする強い意志が宿っていた。


俺たちは誰にも見咎められることなく、静かに村を後にした。

背後には、忌まわしい記憶しかない故郷。目の前には、何が待ち受けるかわからない、広大な世界が広がっている。


(クハハハ!見ているがいい、世界よ!この邪神ヴォイド・クロウと、我が愛しき器エリアナが織りなす、反逆の黙示録は、今、始まったばかりなのだからな!)


西の空が、血のような夕焼けに染まっていた。

それはまるで、俺たちの前途多難な旅路を祝福する、禍々しい篝火のようだった。

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