第十九話 魂の泉と影山蓮の記憶
世界樹の根本には、月光を溶かし込んだかのように、青白く輝く泉があった。
『魂の泉』。エルフ族が、傷ついた魂を癒し、先祖の記憶と交感するための、聖なる場所だ。
エリアナの身体は、ティターニアの指示で、ゆっくりと泉の水に浸された。
「これより、娘の魂の治癒を始める」
ティターニアは、泉のほとりに座り、目を閉じて詠唱を始めた。それは、古代エルフ語で紡がれる、魂を揺り起こすための歌。
彼女の歌に呼応するように、泉の水が光を放ち、エリアナの身体を優しく包み込んでいく。
『…どうなるんだ…?』
俺は、固唾を飲んで見守っていた。
ティターニアは、目を開けることなく、俺の心に直接語りかけてきた。
《…案ずるな。娘の魂の核は、まだ消えておらぬ。だが、お主の無茶な力の使い方のせいで、魂の器に無数の亀裂が入っておる。今、泉の力で、その亀裂を修復しているところだ》
ティターニアの言葉に、俺は少しだけ安堵する。
だが、彼女は続けた。
《…だが、問題は、お主だ。邪神ヴォイド・クロウよ》
『…俺が、どうかしたのか』
《お主の魂もまた、先の戦いで大きく傷ついている。いや、それだけではない。お主の魂は、極めて不安定な状態にある。まるで、二つの異なる存在が、一つの魂の中で、無理矢理に同居しているかのようだ》
ティターニアは、俺の魂の本質を、完全に見抜いていた。
邪神ヴォイド・クロウと、人間・影山蓮。
《このままでは、娘の魂が回復しても、お主という不安定な存在が、再び彼女の魂を蝕むことになろう。…お主、何者なのだ?その魂の奥に見える、別の世界の記憶は…けたたましい鉄の塊の記憶は、一体…?》
ティターニアは、俺の深層意識――影山蓮の記憶にまで、触れようとしていた。
俺は、一瞬ためらった。
だが、もう、隠す必要はない。俺は、俺自身を、受け入れる覚悟を決めたのだから。
俺は、ティターニアの問いに、正直に答えた。
俺が、異世界から転生してきた魂であること。
影山蓮という、平凡な高校生だったこと。
そして、エリアナと出会い、彼女を守りたいと願うようになったこと。
その全てを、俺は、彼女に伝えた。
俺の告白を聞き終えたティターニアは、しばし、沈黙していた。
やがて、彼女の口から、驚くべき言葉が紡がれた。
《…そうか。やはり、お主も『漂流者』であったか》
『…漂流者?』
《遥か古より、稀に、お主のように、別の世界から魂が流れ着く者がいる。我らエルフは、それをそう呼ぶ。彼らは、この世界の理に縛られぬ、特異な知識や力を持つ。ある者は英雄となり、ある者は魔王と呼ばれた…》
ティターニアの言葉は、衝撃的だった。俺のような転生者は、他にもいたというのか。
《…ならば、話は早い。邪神ヴォイド・クロウよ。いや…影山蓮とやら》
彼女は、初めて、俺の本当の名前を呼んだ。
《お主は、選ぶが良い。邪神として、この世界に混沌をもたらす道か。それとも、一人の人間として、この娘と共に、運命に抗う道か》
《もし、後者を選ぶというのなら、わらわがお主の魂の『調律』を手伝ってやろう。邪神の力を、捨てるのではない。人間・影山蓮の魂を主とし、邪神の力を、その魂に従属させるのだ。さすれば、お主の魂は安定し、二度と暴走することはないだろう》
それは、俺にとって、最大の選択だった。
邪神としての、無限の可能性を捨てるのか。
だが、俺の答えは、もう、とうの昔に決まっていた。
『…頼む。俺は、影山蓮として、エリアナの隣にいたい』
俺の決意に、ティターニアは、満足そうに頷いた。
《…それでこそ、面白い。ならば、目を閉じよ。我が魂の歌が、お主らを、新たな存在へと生まれ変わらせるだろう》
ティターニアの歌声が、一層、力を増していく。
その歌声は、俺の意識の奥深くまで染み渡り、混沌としていた邪神の力と、影山蓮の魂を、優しく、解きほぐしていく。
そして、まるでパズルのピースをはめ込むように、二つの存在を、新たなる一つの形へと、再構築していく。
俺の意識は、遠のいていった。
最後に聞こえたのは、エリアナの、穏やかな寝息だけだった。