第十七話 代償と新たな決意
無音の衝撃波が過ぎ去った後、宿屋の一室は静寂に包まれていた。
壁に叩きつけられ、意識を失っている三人の『神の代行者』。そして、力の代償として、床に倒れ伏すエリアナ。
俺の意識もまた、風前の灯火だった。
(…エリアナ…エリアナ…!)
俺は必死に彼女に呼びかけるが、応答はない。急激な血流操作と、魂の力の強制解放。彼女の肉体と魂は、限界を超えて疲弊しきっていた。
俺自身も、邪神としての力を半ば放棄し、異世界の知識――物理法則という名の『禁術』を行使した反動で、意識がバラバラに砕け散りそうだった。
(くそ…このままじゃ、二人とも…)
絶望が再び俺の心を覆いかけた、その時だった。
ガシャン!と窓ガラスが割れる音が響き、一つの影が部屋に飛び込んできた。
「おい!一体何があった!この騒ぎは!」
聞き覚えのある、軽薄だが今は焦燥に満ちた声。ジンだった。
彼は部屋の惨状と、倒れているエリアナを見て、目を見開いた。
「エリアナちゃん!?おい、しっかりしろ!」
ジンはエリアナに駆け寄り、その脈を確認する。
「…脈が弱い…!それに、この部屋に残ってる、むちゃくちゃな魔力の残滓はなんだ…!?おい、邪神様!説明しろ!」
『…ジンか…間に合った、のか…』
俺は、途切れ途切れの意識で、彼に状況を伝えた。
教会の暗部の襲撃。そして、俺たちが起死回生の一撃を放ったこと。
ジンは俺の説明を聞きながら、素早く状況を判断していた。
彼は倒れている神の代行者たちを一瞥し、忌々しげに舌打ちする。
「…『神の代行者』か。教会で一番タチの悪い連中だ。こいつらが動いたってことは、教会はもう、あんたたちを『捕縛』じゃなく『消去』する方に舵を切ったってことだ」
彼はエリアナを慎重に背負うと、俺に言った。
「とにかく、ここを離れるぞ。こいつらの仲間が来ないとも限らん」
俺たちは、ジンが裏口に隠していた馬車に乗り込み、夜の闇に紛れて村を脱出した。
馬車が揺れる中、エリアナは未だに意識を取り戻さない。彼女の顔は蒼白で、呼吸も浅い。
『…ジン。ポーションか、何か回復させる手段はないのか』
俺の声には、もはや邪神の威厳はなく、ただの焦りだけが滲んでいた。
「…気休めにしかならねえな」
ジンは懐から小さな小瓶を取り出し、エリアナの唇を湿らせるように、数滴だけ飲ませた。
「こいつの症状は、魔力切れや外傷じゃねえ。魂そのものが、無理な力の使い方で燃え尽きかけてるんだ。普通の回復術や薬じゃ、効果は薄い」
『…どうすれば…』
「方法は、一つだけある」
ジンは、真剣な目で、前方の闇を見つめながら言った。
「ここから西に三日ほど行った先に、『エルフの隠れ里』がある。エルフ族は、魂の治癒に関する、特殊な魔法体系を持ってるんだ。特に、エルフの里の長老なら、エリアナちゃんの魂を癒せるかもしれん」
『…エルフの里…』
「ああ。だが、連中は極端に人間を嫌ってる。特に、あんたみたいな邪神と、それに連なる人間なんて、門前払いが関の山だ。普通に行っても、会ってすらもらえねえだろうな」
だが、他に選択肢はなかった。
『…行くぞ。どんな手を使っても、その長老に会う』
俺の決意に、ジンはふっと口元を緩めた。
「…へっ、お前さん、すっかり変わっちまったな、邪神様。いや…」
彼は、何かを悟ったように、俺をこう呼んだ。
「――それでこそ、エリアナちゃんの相棒だ、ヴォイド」
俺の心に、ジンの言葉が温かく染みた。
そうだ。俺は、もうただの邪神ヴォイド・クロウではない。
エリアナの相棒。彼女と共に生き、彼女を守る存在。
俺は、意識を失っているエリアナの魂に、優しく語りかけた。
(…待ってろ、エリアナ。必ず、お前を助ける。そして、俺たちの旅を、絶対にこんなところでは終わらせない)
俺の新たな決意を乗せて、馬車はエルフの里を目指し、暗い夜道をひた走る。
エリアナの右腕で、かつて呪いの紋様だった聖印が、彼女の命の灯火のように、弱々しく、だが確かに、光を放ち続けていた。