第十三話 竜王の試練と神光の涙
全てのボーンドラゴンが融合して生まれた、巨大な骨の集合体――『竜怨の集合体』とでも呼ぶべきか。それは、明確な意志を持って、俺たちに敵意を向けていた。
――我ラノ眠リヲ妨ゲル者ドモメ…神ノ狗カ…?
脳内に直接響く、無数の竜の怨嗟が入り混じった声。
『フン、神の狗などと一緒にされるとは心外だな。我は、その神々に反逆する者だ』
俺はエリアナの口を通して、傲然と答えた。
――神ニ反逆スル…?ククク…小サキ者ヨ、ソノ傲慢サ、気ニ入ッタ。ダガ、コノ地ニ足ヲ踏ミ入レタ以上、我ラノ無念ノ一部トナルガイイ!
竜怨の集合体は、その巨大な腕を振り上げ、俺たちに叩きつけてきた。
「うおっ!」
ジンがエリアナを突き飛ばし、俺たちは辛うじて直撃を避ける。岩盤が砕け散り、凄まじい衝撃が走った。
「こいつ、さっきまでの奴らとは桁が違うぞ!」
ジンの言う通りだ。瘴気の密度も、力の規模も、比較にならない。
『エリアナ、聖具を手に入れろ!あれがあれば、奴らを浄化できるはずだ!』
「うん!」
エリアナは祭壇へと駆け出す。だが、竜怨の集合体がそれを許さない。
無数の骨の触手が地面から伸び、エリアナの行く手を阻む。
『――“聖魔双縛の荊棘”!』
俺は光闇の茨を放ち、触手を薙ぎ払うが、すぐに新たな触手が生えてきてキリがない。
――ソノ力…闇ト光…?汝、何者ダ…?
竜怨の集合体の声に、戸惑いの色が混じった。
『我はヴォイド・クロウ!混沌の邪神!そして、こいつは我が光の器、エリアナだ!』
俺は名乗りを上げる。
――ヴォイド…クロウ…?…アア、思イ出シタ。神々ガ最モ恐レタ、原初ノ混沌…。ソノ邪神ガ、ナゼ人間ト共ニ…?
竜の怨念は、神話の時代の記憶を留めているらしい。
『我らには、我らの戦いがある!貴様らの無念は理解するが、道を開けてもらおう!』
俺は、竜怨の集合体と対峙しながら、エリアナに祭壇へと向かわせる。
エリアナが祭壇へとたどり着き、『神光の涙』に手を伸ばしたその瞬間。
竜王バハムートの亡骸から、淡い光を放つ魂のようなものが現れ、エリアナの前に立ちはだかった。それは、竜王の魂の残滓だった。
《――待て、小さき娘よ》
その声は、怨念ではなく、威厳と慈愛に満ちていた。
《そは、神々が残した聖具。だが、同時に、我が同胞の魂を鎮めるための楔でもある。それを持ち去るというのなら、汝にその資格があるか、試させてもらう》
竜王の魂は、エリアナの心の中に、直接語りかけてきた。
そして、エリアナの意識は、過去の幻視へと引きずり込まれる。
それは、神話の時代の、この場所の光景だった。
空は神々の軍勢が放つ光で埋め尽くされ、地はそれに抗う竜族の炎で焼かれている。
そして、竜王バハムートは、たった一体で、神々の王と対峙していた。
神々の王は言った。
『降伏せよ、竜王よ。我らの秩序に従うならば、汝ら竜族の存続を許そう』
だが、バハムートは首を横に振った。
『我らは、誰にも支配されぬ誇り高き種族。自由のために戦い、そして滅ぶことこそ、我らの誇りだ』
壮絶な戦いの末、竜王は敗れ、神々の王が放った聖なる槍に心臓を貫かれた。
だが、彼は最期の力を振り絞り、同胞たちの魂が邪悪なものに堕ちぬよう、自らの亡骸を楔として、この地に満ちる怨念を封じ込めたのだった。
幻視から戻ったエリアナの瞳には、涙が浮かんでいた。
「…あなたはずっと、ここで、みんなの魂を守っていたのですね…」
《…うむ》
竜王の魂が、静かに頷いた。
《娘よ。汝の魂は、闇と光、二つの相容れぬ力を宿している。それは、我ら竜族が求め、そして得られなかった、調和の力。汝がその力を正しく用い、神々の欺瞞に満ちた秩序に抗うというのなら…》
竜王の魂は、ふっと微笑んだように見えた。
《――良かろう。我が同胞たちの魂の未来を、汝に託そう。持っていくがよい、神光の涙を》
竜王の魂は、光の粒子となって消えていった。
エリアナは、涙を拭い、深く一礼すると、祭壇の上の『神光の涙』を、そっと手に取った。
宝石に触れた瞬間、温かく、そして強大な聖なる力が、エリアナの全身を駆け巡った。
「ヴォイド!手に入れたよ!」
『よし!』
エリアナが振り返ると、俺とジンは、竜怨の集合体の猛攻に苦戦していた。
『エリアナ!その聖具の力を、我が力と共鳴させろ!』
「うん!」
エリアナは、神光の涙を固く握りしめた右腕を、天に掲げた。
聖具の聖なる力と、俺の混沌の力が、彼女の魂を中心として、渦を巻くように融合していく。
もはや、闇と光ではない。
それは、全てを始まりへと還す、原初の『無』の力だった。
『――見よ、竜の怨念よ!これぞ、神々の秩序も、世界の法則すらも超越する、我らが絆の力!この一撃で、貴様らの魂を、無念の輪廻から解放してやろう!』
『――喰らえ!“創世と終焉の虚無”!!』
エリアナの腕から放たれたのは、光でも闇でもない、ただ、空間そのものを抉り取るかのような、純粋な『虚無』の波動だった。
波動は、竜怨の集合体を飲み込んだ。
断末魔の叫びはなかった。
ただ、怨念の集合体は、静かに、安らかに、光の粒子へと還っていった。その粒子の一つ一つが、感謝の念を発しているように、俺には感じられた。
やがて、谷を覆っていた紫色の瘴気は、嘘のように晴れ渡り、空には、何千年ぶりかであろう、青空が広がっていた。
後には、静かに横たわる竜たちの骨と、使命を終えたかのように輝きを失った聖なる槍だけが残されていた。