李瑠の過去①
神作と私が出会ったのは、今から十一年前。
五歳になった“誕生日プレゼント”として、専属のメイドを配属された時だ。
「今日からお前の奴隷となる人間だ、好きに使うといい」
父の説明の意味をよく理解していなかった私は、人見知りが災いして母の足に隠れたところ、神作は膝をついてしゃがみこんで目線を合わせてくれた。
「お初にお目にかかります。神作使と申します」
当時まだ十二歳、中学生になったばかりの彼女は子供らしさのない無表情で、大人びた言葉を選んで言っていたと思う。
幼かった私の目には、どうしてかそれが恐ろしく見えて、無機質とさえ感じる瞳の奥に潜む冷たさに怯えた。
その日から、否応なしに与えられた神作との日々が始まった。
「おやすみなさい、李瑠様」
母と眠る夜は無くなって、代わりに神作が寝るまでそばにいて、絵本の読み聞かせなんかもしてくれた。
落ち着いていて、透き通った声は聞き心地が良くて、彼女の言葉に耳を傾けているうちに意識は暗転し、そのおかげで母がいなくても寂しくなることはなかった。
「おはようございます、李瑠様」
起きてからも彼女の姿はそばにあって、はじめはロボットみたいで怖いと思っていた存在も、次第に恐怖心が薄れるようになっていた。
この頃、学校に通っていた神作の仕事は主に朝と夜のお世話だけで、日中は居ないことがほとんどだった。
彼女が居ない間は習い事や、小学校が始まる前の予習なんかを専門の先生に教えてもらっていて、夕方近くなると迎えに来る神作と部屋に戻る。そんな生活を、何度か繰り返した。
「きょうは、学校おやすみなの?」
「はい」
ある時、昼間に彼女の姿を見つけて、驚き半分に駆け寄った。
「りるもね、ピアノの勉強おやすみなの!」
「はい」
「かくれんぼしようよ」
「はい」
広い屋敷の中、退屈を持て余していた私が年の近い神作を遊びに誘うと、彼女は快く頷いてくれた。
そういう事には付き合ってくれないと思っていたのと、同年代の友達も居なかったから素直に嬉しくて、はしゃぎまわって色んな所に隠れては探してもらう単純な遊びは、飽きることなく夕方まで続いた。
どこに隠れても、数分と経たず見つけ出してくれる神作は、私の姿を視界に映すたび安堵した表情を見せた。
そんな顔もするんだ、と。
親近感が湧いた瞬間だった。
「次は、りるが鬼ね!」
「はい」
最後の最後、今度は探す側となって十秒間目を瞑りながら数えた。
彼女は隠れるのが上手で、屋敷を走り回ったけど見つからなくて、後半はもう泣きそうになりながら探していた。
屋敷内にはいないのかも?と庭に出たら、日が沈みかけた夕陽が目に飛び込んで、西日の眩しさに思わず瞼を閉じる。
「……李瑠様」
そこで堪えきれず泣き出した私の元へ、静かな顔をした神作がどこからともなく現れた。
不安で仕方なかった心が安心すると共に、体が勝手に動いて抱きついた私を受け止めて、彼女は表情ひとつ変えず呟いた。
「私の勝ちですね」
思えば昔から、神作は負けず嫌いだった気がする。
子供相手でも手加減をしてくれない大人気ないところには、何度腹を立てたか分からない。
でも、一緒に過ごす重ねるにつれ、それも悪くない……むしろ好ましいことだと思うようになった。
知らない一面を知るたびに、彼女も私と同じ人間なんだってことを認識できて、自然と距離は縮まっていった。
「りるはおねえさんのこと、なんて呼んだらいい?」
「……お好きなように」
私から話しかけると、彼女はいつも簡潔に答えた。
「かみさくは、いつも笑わないね」
「笑う必要がありませんから」
「りるのお世話、いやだ?」
唯一、言葉を詰まらせたのは出会って一週間余りが経った頃にした、些細な質問だった。
聞いちゃいけないことだったのか、はたまたなんて返そうか悩んだだけか、少しの沈黙の後で神作は眉を垂らしてこちらを向いた。
「李瑠様のために命を捧げることも、厭いません」
覚悟と、嘘の混じった言葉だと、幼いながらに感じ取った。
本当は嫌々やってるんじゃないか、疑念は確信に変わり、内心はちょっと傷付いた。距離が縮んだと思っていたのは、私だけなんだって。
「かみさく」
「はい」
「りると、おともだちになろうよ」
悔しくて、寂しくて、本来は許されない事を口にした。
真行寺家に生まれた時から、私には絶対的な主という立場があり、召使いと必要以上に仲良くなることは禁じられていた。
特に男女関係にだけは発展しないようにと、間違いが起きないために、必ず同性を専属するという決まりもあって、神作が選ばれたのも彼女が女だったからだ。
厳重に縛り付けられた関係性故に、これまで現役の召使いと友達になったという真行寺家の人間はいない。
「友達……ですか」
「うん!りるちゃんって、呼んでみて」
未熟さが招いた失態は、当時の私にとっては革新的な発想だった。
主従関係を壊してしまえば、もっともっと神作のことを知ることができると思ったし、深いところまで繋がれると浅はかに考えていた。
「……李瑠ちゃん」
主の命令には逆らえない彼女が名前を呼んでくれたことに、まだまだ幼く愚かだった私は純粋な気持ちで喜んだ。
それが、神作を苦しめているとも知らずに。