看病してくれませんか
宿屋を出てまず向かったのは、さっき見かけた八百屋だ。
八百屋の店先にはりんごに近い赤い果物がたくさん積まれていて、とにかく体に良いものを……ということで買おうとしたんだけど、
「この果物を、ふたつください」
「何か用かい。ここにあるものは好きに買っていきな」
「あ、じゃあ……えっと、いくらですか?」
「キズ薬は3ゼンニー、魔力増強剤は4ゼンニー、万能薬は10ゼンリーだよ」
「え?き、キズ薬?どこ…」
店主であろう中年女性との会話がなかなか噛み合わなくて、店に置いてない物の値段を言われても困る…とさっそく買い物するだけなのに躓いた。
何かおかしい気もして、試しに果物をひとつ手にとってみる。そこでようやくハリボテであることに気が付いた。
よく見れば、並べられている果物全てが本物そっくりに作られた偽物で、とてもじゃないけど食べられる品物では無かった。
売られているのはこの場にない“キズ薬”と“魔力増強剤”、それから“万能薬”だけで、どうしようかとひとり頭を抱える。
「あの、キズ薬って……どんな効果があるんですか」
「HPを回復できるよ」
「万能薬は?」
「全ての状態異常を無効化できるよ」
「……ほんとゲームみたいね」
この世界のシステムは、現世でよくあるゲームを連想させる事が多い。それなら、キズ薬や万能薬を飲ませれば神作の具合も良くなるかもしれない。
郷に入っては郷に従え、ということでキズ薬と万能薬をひとつずつ購入して、帰り道にふと気になって自分のステータスを見てみることにした。
「確か…」
神作がやっていたように、見様見真似で手を前に出す。
「ステータスオープン」
言葉を発すると同時に電光掲示板のような文字が浮かび上がって、私にも出来るんだ……と小さな感動を胸に宿した。
「どれどれ……えーと、レベル1。これはまぁ…そっか」
レベル以外にも攻撃力、魔力、俊敏力……etc、いくつかの項目の後に、ステータス値なんだろう数字が羅列されていた。
どれも多いのか少ないのか基準が無いから分からなかったけど、そこまで異様に強いとか、そういうのがないことだけは分かった。つまりは平凡なステータス。
そして、職業と書かれた欄には……
「無職。……私って今、無職なんだ…」
突きつけられた現実に落ち込んだものの、そりゃそうかと思い直す。だって仕事してないし。
スキルの欄は空白で、それもまだ何も習得していないからと考えればおかしくはないから、納得してステータスを閉じた。閉じ方は簡単で、手を下ろせば自然と消えてくれる。
確認して改めて思ったのは、現世ではお嬢様で人生イージーモードだった私もこの世界では何も関係ない平民ということ。
そしておそらく、神作も……今は契約にも何にも縛られていないひとりの人間としてここにいる。
「キズ薬買ってきたよ、神作」
宿に戻ると、彼女は深い眠りについているのか声を掛けても反応がなくて、買ってきたものを机に置いてベッド脇に腰を下ろした。
額に乗せていた濡れタオルはすっかり熱くなっていて、一度トイレで冷たい状態にしてからまた乗せてあげた。ついでに、浮いていた汗を拭う。
「……いつもありがとね」
もうしがらみは何もないというのに守ってくれて、私もそれを当たり前みたいに思ってたけど、違う。
冷静に考えたら、三日間で560体ものスライムを倒したってことは、それだけの時間を寝ずに費やしていたってことでもあって、私が呑気に寝ている間に彼女はずっと頑張ってくれてたんだ。
慣れない土地で、魔法陣まで覚えて……それだけの努力を、今はもう守る必要もない私のために。
頭に浮かぶのは謝罪と心苦しい思いばかりで、今目の前で苦しんでいることさえ自分のせいでそうなってるという自己嫌悪に陥った。
「……李瑠様」
暗く淀んでいく私を救い取るように、伸ばされた手が頬を触る。
「出先で何か、嫌なことがありましたか」
「……ううん。なんでもない」
「もし村の人間に何かされたならお伝えください。皆殺しにしてやります」
「うん、それはやめて?」
「……冗談ではありませんよ」
心配させないようにと取り繕った私の内心を見透かしているのか、殺意を込めた瞳で告げられて苦笑いを返す。
どうしてそこまで私のために?なんて質問はしない。答えは分かりきってる、これまでの人生で仕込まれた奴隷根性故だと。
「あ、そうだ。キズ薬買ってきたの」
「キズ薬……ですか」
「うん。なんかね?ほんとは八百屋さんでりんごみたいなの買おうと思ったんだけど、全部偽物で買えなくて」
「とんだ詐欺ですね」
「そうなの、変な村だよね。……飲む?」
「いえ。薬は嫌いです。飲みたくありません」
「飲みなさい」
「苦いのやだ」
「子供みたいなこと言わないでよ……意外とおいしいかもよ?」
机に置いていた小瓶のひとつを手に取って、ガラスの蓋を外した状態で、起き上がった神作に見せる。
彼女はあからさまに嫌な顔をして受け取ろうとしないから、無理やり持たせて口まで持っていった。
「ほら飲んで。飲みなさい」
「う……ぐぐ。嫌だ、嫌です!」
「わがまま言わないの!まだ熱下がってないでしょ」
「まずかったらどうするんですか!そもそも、そんな詐欺八百屋で買ったキズ薬に効果があるとお思いですか?冷静になってください、毒かもしれません」
「とにかく、飲んでみないと分からないじゃない!」
「まだ死にたくない!こんなとこで死にたくないです!」
「死なないために飲むんでしょ!」
顔を逸らして人の手首を掴んでまで逃げる相手の頬を鷲掴みして、小瓶の口を唇に当てる。
最後までジタバタと足を動かして抵抗してた神作だったけど、飲み込んだ後はピタリと動かなくなってしまった。
もしかして本当に毒物の類で、あの詐欺八百屋に騙された?と不安に思うのも束の間、ゴクンと音を立ててキズ薬を飲み込んだ彼女は何度か咳き込んで喉を押さえた。
「え、だ、大丈夫?」
「……い」
「え?」
「おいしい」
自分でも信じられないのか、口元に手を当てて呟いた神作の口調は驚いたもので、小瓶をじっと観察していた。
「ど、どんな味だったの?」
「かき氷のいちごシロップのような……とにかく甘くておいしいです」
「あぁ…」
こう見えて大の甘味好きである彼女には相当刺さった味だったんだろう、次に渡した万能薬は簡単に受け取ってくれた。
だけど、一気に喉へ流し込むように飲んでから、今度はじわじわと苦虫を噛み潰したような表情に変わる。
「くそまずい」
普段の丁寧な口調からは信じられないくらい砕けた悪口を平然と言ってのけた神作は、舌をタオルで拭うくらいには不快感を覚えたらしい。
珍しく表情がコロコロ変わるのが可愛くて、これも異世界に来たおかげと思ったら、ますます帰りたい気持ちは無くなってくる。
現世では常に感情を押し殺して、軽口は言えどこうして思いのまま話すことは少なかったから、純粋に嬉しかった。
「味は最悪ですが、効果はちゃんとあるようです。飲んだ瞬間から体が楽になってきました」
「ほんと?よかった!」
「ありがとうございます、李瑠様のおかげです」
「いやいや……むしろ私が無理させちゃってたでしょ?ここに来てからずっと」
「無理をしていたわけでは……新しい知識を得るのも、スライムをひたすらメッタ刺しにするのも楽しくて、ついやりすぎてしまっただけです」
私も自己管理を怠っていました、そう謝った神作は何も悪くないのに申し訳なさそうな顔をする。
慰めようと頬を撫でたら、万能薬のおかげか随分熱も落ち着いてきてることが分かって、それにはホッと胸を撫で下ろした。
「これからは、私も頑張る。神作も、ふたりで旅していくんだから、ひとりだけで頑張ろうとしないで」
神作は何か言おうとして、すぐに「はい」とだけ小さく答えた。
「汗かいて気持ち悪いでしょ。体拭く?」
「はい、ありがとうございます」
「ちょっと待ってて。新しいタオル濡らしてくる」
さっそく役に立つため、体を拭くためのタオルを用意して渡そうとすれば、首を横に振られてしまう。
なんでだろう?と小首を傾げた私に、彼女は何を考えているのかよく分からない無表情で、タオルを待つ私の手にそっと手を添えながら口を開いた。
「拭いてくれませんか」
神作なりに私を頼ろうとした結果なのか、それとも熱が下がったとはいえまだ辛いからか、どちらにしてもやけに甘えた口調に動揺して言葉を失くす。
「だめですか?」
「も、もも、もちろん!いいわよ」
こんなご褒美みたいなイベント断る理由があるわけもなくて何度も頷けば、神作は自らワイシャツのボタンを外し始めた。
初めてちゃんと見る肌に思わず視線は釘付けになり、それも構わず服をはだけさせた神作は「お願いします」と静かに言ってきた。
白い肌の上に汗が浮いているのはなんだかいやらしく感じて、ドキドキしながら鎖骨の辺りにタオルを当ててみる。
わ、神作って意外と柔らかい……と、布越しに伝わる女性らしい感触に、心臓はいよいよ破裂しそうなほど激しく脈を打つ。
いつもいつもお世話されてばかりの私が誰かの看病をしたのはこの時が初めてで、無防備な人間の体に触れる緊張感が脳裏にこびりついた。
「つ、冷たくない?」
「はい、気持ちいいです」
「そ……そっか。よかった、です」
相手の肌に触れながら伝えられると、なんか変な気持ちになってくる。
年頃の私が悶々とする中、彼女はまだ少し辛そうで、苦痛に耐えるみたく目を細めていた。でも、それさえもえっちな気がしてきた。
「なんか……やらしいね」
「熱で苦しんでいる人間相手に欲情しないでください」
「だ、だって仕方ないじゃない!神作がえっちな顔するから悪いんでしょ」
「うわー……ドン引きです。李瑠様がそこまで変態だとは思っていませんでした。貞操の危機を感じています、私」
「う……う、うるさい!いいから黙って拭かれてて」
「いた……いたた、皮膚がえぐれてしまいます、李瑠様」
恥ずかしさをごまかすために、わざとゴシゴシ強めにタオルで擦る。
痛いと言いながら真顔だった神作はそのうち、私の反応が面白くて仕方ないと言ったように声を押さえて笑っていて、それがまた羞恥心に繋がって早々に拭き終えた。
その後は神作が作り置きしてくれていたらしいスープを温め直して、ここでもまた「食べさせて」と甘えられたから照れつつもあーんしてみたりと人生初の看病を無事に最後までやり遂げた。
寝る時はベッドがひとつしかなかったから、ふたり向き合う形で横並びで寝転んで、
「今日は、本当にありがとうございました」
「いーえ。体調良くなってなにより」
「明日は、必要な物を買い揃えに行きましょう」
「うん。武器とかも揃えないとね」
「おやすみなさい、李瑠様」
「ん、おやすみ」
神作の腕の中、背中をトントンされながら眠りに落ちた。