生き返りの条件
神作と男の前に、阻むように立つ。
汗が滲む手で、ピコピコハンマーを握った。
「なんだ?姫直々に相手してくれるのか」
私を見下ろして鼻で笑った男は、椅子の隣に置かれていた自分の身長くらいはあるだろう細長い剣を手に持つ。
それだけで負ける予感がありありと浮かび上がって手足が震えたけど、なるべく表に出さないよう気丈に振る舞った。ここで気弱なところを見せたら、きっと神作が前に出て戦ってしまう。
「か、かかってきなさい。このピコピコハンマーでボコボコにしてやるんだから」
「……気の強い女は嫌いじゃない。私の名は、シュブ・アックス。貴様の名はなんだ?名乗れ、聞いてやろう」
「神作使です」
「そっちじゃない。でしゃばるな」
「お前ごときに、我が主の名を教える価値もないという意味です」
「なんだと?」
私の肩を掴み、後ろへ追いやった神作は、日本刀の先を男――アックスの前へ突きつける。
庇うように広げた肩腕からは血が滴り落ちていて、イフリートとの戦いで負った傷がまだ癒えていないことを教えていた。
「あ。神作……キズ薬あるよ」
「そうだ、渡してましたっけ」
「うんうん。飲む?」
「助かります、いただきます」
そこで貰ったキズ薬の存在を思い出して、ボックスから取り出した物を神作に手渡す。
受け取ってすぐ飲み干した神作を止めることもせず眺めていたアックスは、小馬鹿にした笑みを見せた。
「回復したところで雑魚は雑魚。無意味だ。キズ薬をひとつ無駄にしたな」
「それは、戦ってみなければ分かりません」
口元を拭い、日本刀を構えた神作とアックスが見つめ合う。
数秒の沈黙の後、先に動き出したのは神作だった。
彼女は日本刀と剣を交差させるようにして振り下ろし攻撃を仕掛けるも、長剣によってあっさりと受け止められてしまった。
「どうした?早く本気を出せ」
「……私は常に全力です」
「全力でこの程度か?拍子抜けだな」
「安い挑発には乗りませんよ」
冷静に返し、剣を投げ捨て指を鳴らした神作の手袋から、鮮烈な光が走る。
不意を突かれたアックスの顔めがけてバチンと当たった光は消え、目元を押さえた彼は痛みに顔を歪ませていた。
「私の顔に傷をつけやがったな…!髪も燃えたじゃないか、最悪だ!」
「邪魔な髪が減って、良かったじゃないですか」
脇腹を狙って繰り出された長剣の刃は、滑るように日本刀でいなされる。
しばらく剣と剣のぶつかる音が響き渡って、完全に蚊帳の外になってしまった私は、ふたりの戦いを固唾を飲んで見守っていた。
意外にも神作が優勢で、アックスの体に傷が増えれば増えるほど、日本刀に付与された闇属性の能力で神作の体からは傷が消えていく。
二刀流、なおかつ手袋から発動できる魔法、それに加えていくら剣を投げて置いてもボックスから必要ならすぐ手元に戻せる神作と長剣一本のアックスでは、圧倒的にアックスの分が悪いのは一目瞭然だった。
「本気を出してその程度ですか?拍子抜けですね」
「ッ……雑魚が。調子に乗るな!」
アックスが地面に膝をついた頃、自分がされた挑発をそっくりそのまま返した神作は、相手の顎の下に日本刀の先を突き当てた。
追い詰められたアックスはなぜか、神作を見上げてニヤリと笑う。
「私に気を取られて……大事なお姫様が隙だらけじゃないか」
パチン、と。
「っ……李瑠様!」
指鳴りの音が響いて、咄嗟に私の方を振り向いた神作だったけど、さっきみたいにモンスターは現れてない。
嫌な静寂が包み、何も起きない事を不審がる前に、ゆらりと室内に差し込む月明かりを反射させた長剣の先が、無防備な背中を貫いた。
胸の辺りから突き出た、べったりと血のついた刃を見て、言葉を失う。
「まんまと騙されてくれたな、馬鹿が」
背後に立ったアックスは長剣を引き抜き、倒れ込んだ神作の腹を蹴り飛ばした。
痛みからか呼吸を止め、腹部を押さえて悶える神作からは血が流れ出続けていて、みるみるうちに赤い水溜まりが出来上がる。
「神作…!」
「っ来てはなりません、李瑠様!」
声を荒げて止められたけど、そんなのは関係ない。
駆け寄って、体を支えながら仰向けに体勢を変えれば、神作は苦痛に顔を歪ませた。
「多分これ……心臓か肺やられました。私、もう死にます」
「そんな……冷静に言ってる場合じゃないでしょ!」
「李瑠様は、今のうちに逃げてください。全力ダッシュでお願いします」
口調も言葉もふざけたものだったけど、吐息は今にも死んでしまいそうなほどか弱くて、だんだんと顔色も血の気が引いて青白く変わる。
キズ薬を使おうにも、もう手元にはない。仮にあったとして、ここまでの致命傷を治せるかは微妙だ。
どうしようもできない状況に、死の気配をひしひしと感じて、目からは勝手に涙が溢れてきた。
「やだ……やだよ、神作。死なないで」
「私も、そうしたいところですが……無理そうです」
瞳は次第に焦点が合わなくなって、虚ろになっていく。
「まって……やだ!死んじゃ嫌だよ、神作…!」
「大丈夫。そのうち、生き返るはず……ですから」
「でも…」
最後の最後、私の頬へ伸ばしかけた手もだらんと力なく垂れ落ちて、全身が脱力したのが伝わった。
死は、呆気なく訪れた。
この世界では、何度死んでも生き返れる。分かっているのに、喪失感と失望感が心を埋め尽くした。
視界が滲んで神作の姿が霞む。その視界の端でアックスが呆れたようにため息をついて、肩を竦ませるのが見えた。
「哀れなものだな。他人のために死ぬなんて……馬鹿らしい。そう思わないか?」
沸々と湧き上がるのは純然たる怒りで、睨みつけた私にアックスはにんまりと笑顔を返した。
「良い殺意だ……ますます気に入った」
神作の体をそっと寝かせて、そばに落ちていた日本刀を手に取る。ずっしりと重い感触が、今は覚悟を決めるのにちょうどよかった。
明確な殺意を持って刀を向けても、相手は動じる気配すらない。
「せめてもの情けだ。苦しまずに殺してやろう」
私相手に油断しきっているからか、長剣で刺し殺さずに掌の上で魔力らしきものを溜めたアックスは、大袈裟な仕草で手を天に向けて掲げる。
今のうちだ、と。
日本刀を両手で持ち、隙だらけの体へ突き刺そうとした私の頭上に、眩いほどの光が振ってきた。
一瞬で辺りは真っ白く染まり、思わず瞼が閉じて足を止めて身を縮めてしまった私は、何が起きてるのか分からないまま光が収まった後で、おそるおそる目を開いた。
「なん……だ、と…?」
腕を上げたままの状態で、目を見開いたアックスが驚いた声を出す。
「貴様、どこでそんな“高度な魔法”を…!」
「え…?ま、魔法?」
自分の胸元を掴み、崩れ落ちたアックスは大量の血を吐き出して、訳の分からない状況にただただ困惑する。
いったい、あの光の中で何が起きたのか。
悔しさをありありと表情に浮かべ、私の方を睨み付けてきた彼は、何かを察してすぐに口角を吊り上げ失笑する。
「死してなお、姫を守るとは……考えたな、神作使」
「な、なんの話?」
「また会おう、勇敢な姫よ」
黒く、淀んだ空気がアックスを包み込んだと思ったら、次の瞬間には姿を消していて、残された私はまだどこかにいるんじゃないかと辺りを見回したけど、しばらく経っても彼がまた現れることはなかった。
「なんだったの…?」
静まり返った空間で、とりあえず神作の死体に寄り添う。
「よく分かんないけど……勝ったよ、神作」
声を掛けても、もちろん返事はない。
息もしていなくて、心臓も動いてない彼女の体は冷え切っていて、死の実感が襲い掛かってくる中で、それでも私は生き返ることを信じて待ち続けた。
だけど、数分……数十分と経っても、神作が生き返ることはなかった。
「どうして…?神作……起きて。起きてよ…」
頬を軽く叩いてみたり、体を揺さぶってみても反応は無く、虚しく時間だけが過ぎていく。
「もしかして…」
生き返るには、条件がある?
さらに数分が経ってからようやく気が付いて、絶望した。
もしそうだとしたら、私はその条件を知らない。神作を、生き返らせる事ができない。
今まで頼りきりだった天罰が下った気分で、無力感が全身を覆い尽くした。
このまま生き返らなかったら、どうしよう。
悪い想像ばかりが浮かんでは、発狂したくなるほどの絶望に打ちひしがれる。まさか、自分の無知がここまでひどいだなんて思ってなかった。自分がこんなにも、何もできないなんて。
「いや……落ち着いて、私。こういう時ほど思考を止めちゃいけない。よく考えないと」
思考を放棄してる場合じゃない。使えない脳みそでも、考え続けなければいずれ答えは導き出せる。中学や高校受験の時もそうだった。どんな難問も、逃げ出さず向き合って乗り越えてきた。
考えなくなったら……諦めたら、今度こそ本当の終わりだ。
まずは、この世界について振り返ろう。
この世界は、ゲームに近いシステムで成り立ってる。それも、おそらくはRPGの類。
よくあるRPGなら連れた仲間が死んでも、蘇生魔法やアイテムを使うか宿やセーブポイントに戻れば生き返る。
だけど私ひとりで、神作を引きずって帰ることはほぼ不可能。道中、死体を庇いながらモンスターを倒して進むなんて、途中で力尽きるのが目に見えてる。魔法は使えない、蘇生アイテムも手元にない、そもそも存在してるか分からない。
となると、別の方法で生き返らせるしかない。
「前回死んだ時は、確か…」
唯一の手がかりである、ドラゴンと遭遇した時の事を思い返した。
あの時は私が先に死んで……その後、神作はどうなった?
生き返った後の発言から、ドラゴンを倒せたとは思えない。圧倒的にレベルが違う相手だ、太刀打ちのしようがない。
つまり……神作も、死んだ?
「ってことは……」
なんで、こんな簡単なことに、すぐ辿り着けなかったんだろう。
「ふたりとも……死ぬ」
味方全員が、戦闘不能になる。
そうすることでパーティが全員、宿に戻されリスポーン可能だ。ドラゴンに遭遇した時の状況を踏まえても、この条件で間違いない。
だけど。
「……敵はいない。いても、私を殺せない」
首元にあるネックレスの石を握る。
アックスの言動から、私には高度な守りの魔法が付与されている。思い当たるのは、ひとつだけ。
神作のくれたこれのおかげでアックスの攻撃を受けずにそのまま返して生き延びたけど、逆を言えばいくら敵に攻撃されても無意味で死ねないということでもある。
「どうしよう…」
私が死なない限り、神作は生き返らない。
身に付けているもの全てに魔法が付与されているから、全裸になってモンスターに挑まない限り殺されることはない。
「……それもいいけど」
ボックスから短剣を取り出して、自分の首元に刃を当てた。
潔く、ここで死のう。
そう決意して、短剣を握る手に力を込めた。
情けない事に、全身がブルブルと震える。叫び狂いそうになるくらいの恐怖は、吐き出さないよう喉の奥で留めた。
「待っててね、神作……今、生き返らせるから」
目の前で安らかに眠る神作に声を掛け、瞼を固く閉じて、私は出せる力を振り絞り――自分の首をかき切った。