どこに行ってたのかな?
神作が帰ってきたのは、すっかり空も暗くなった深夜近い時間だった。
家を出たのが確か夕方頃で、数時間も何をしてたんだろう?って疑問は、疲れ果てた顔の神作を見てさらに深まる。
頬も赤らみを帯びていて、肩で呼吸をしているから何事かと、入ってきてすぐの彼女の元へ駆け寄った。
「どうしたの?また具合悪くなっちゃった?」
「いえ、そういうわけでは…」
「じゃあなに……ん?」
そばへ来てみて、気付く。
「あれ、なんか……アロマ?香水?の匂いする」
すんすんと嗅いでみると、かなりきつめの甘い香りが鼻腔をついて、なんだろう?と小首を傾げた。
「ほんと、どこ行ってたの?」
「……経験を積みに」
「なんの?」
「経験値を上げに」
微妙な言い直しをした神作はバツが悪そうに顔を逸らして、「シャワーを浴びてきます」と踵を返した。
これは何かおかしい……見逃せない違和感から、咄嗟に腕を掴んで引き止める。振り向いた彼女がにっこり笑って誤魔化そうとするから、私も同じような笑顔を作った。
「どこに行ってたのかな?」
「れ、レベルを上げに」
「神作」
「……マッサージ店です」
低い声で名前を読んだら堪忍したようで、ため息混じりに教えてくれた。
てっきりもっと怪しい場所に行ってるもんだと思ってたから拍子抜けで、マッサージに行くくらいで何をそんなに後ろめたそうな顔をしてるのか不思議で怪訝に思う。
この強い香りもアロマか何かなら納得だし、隠したい意味が分からない。
「それにしても、マッサージで経験値が貰えるって……一体どんなとこなの?」
予想もつかないから聞いたけど、あからさまに遠くを見て視線を合わせない神作の様子から、もしや…?と察する。
「怪しいお店とかじゃ、ないよね?」
「……合法ではあります」
「じゃあ、私も行こうかしら。案内して」
「い、いや、李瑠様は年齢的にアウトというか、やめた方がいいというか…」
「年齢的にアウトって、どういうこと?」
ますます疑わしい。
聞けば聞くほど濁されて、いよいよ確信を抱きつつも湧き上がる嫉妬心はグッと堪える。まだ誤解かもしれないから。
ホーキンズには手軽にレベルアップできるようなお店がたくさんあって、マッサージ店もそのうちのひとつなんだろうけど……いったい何をどうマッサージしたらそうなるのか純粋に気になったのもあって、嫌がる神作に半ば無理やり案内させた。
お店があるのはいわゆる飲み屋が連なるエリアの一角で、華やかに彩られたネオンの看板を見上げて私は期待し、神作は重たいため息をついた。
重厚な造りをした扉を開け中に入ると室内は薄暗く、ピンク色のぼんやりとした間接照明の明かりが全体を照らしていた。
「なんか……いかにも、って感じのお店ね」
「だから言ったじゃないですか、李瑠様は年齢的にアウトだと」
「それで?神作はどんなマッサージをしてもらったの?」
ここまで来て、さすがにもう誤魔化せないだろうと思って聞いたのに、なかなか口を割らない彼女は顔を逸らすばかりで答えてくれなかった。
私というものがありながら……引っ叩きたい気持ちを発散できない代わりに、八つ当たりする気分でカウンターにいた女性に声をかける。
「あら、かわいい子。何しに来たの?」
着物をはだけさせたような格好の女性は豊胸な胸元をこれでもかというほど腕で寄せるようにして前屈みになって、くすりと微笑んだ。
それを見て、絶対ここいかがわしいお店だ…と確信した私が神作を睨みつけると、また明後日の方向を向かれる。
だから私も無言で前に向き直して、笑顔のまま待ってくれている女性に声を掛けた。
「マッサージをお願いしたいんですけど」
「もちろん、いいわよ。コースは手足、上半身、下半身、それから…」
「り、李瑠様!お待ちください」
説明を始めてくれた女性の言葉を遮って、私の前に慌てた顔で立った神作は、焦った声を出す。
「なに?別に変なマッサージじゃないんでしょ、私が受けたっていいじゃない」
「そ、それはそうなのですが……ここ、高いんです。ものすごく」
「ふぅん……なんで?」
「気持ちいい……じゃなくて。簡単に、なおかつ楽しく経験値を得られるため大変人気なスポットでして」
「いくらかかるの?」
「1回あたり、一番安い手足のプランでも1000ゼンニーです」
「は!?」
高いと思っていた宿泊費の、さらに10倍もの金額に言葉を失う。たかがマッサージに、1000ゼンニーだなんて信じられない。
「……ん?ていうか、神作は一回もうサービスを受けたのよね?」
「はい。それも一番高いやつにしたので、5000ゼンニーかかりました」
「そのお金はどこから?」
「小屋にあった金目の物を全部売り払いました。質屋で」
「倫理感どうなってんのよ…」
悪びれもせず、他人の家から盗みとった物を売ったと正直に話した相手にドン引きしつつ、家主は消失していて廃墟も同然だった上にここは異世界だから常識が違うと考えれば仕方ないかとも思った。
このマッサージ店については前回の村のチラシで見かけて知ったらしく、どうしても来たかったから散財してしまったことも話してくれた。
「もしかして、村に出る時に「修行に専念したいから」的なこと言ってたのも……ここに来るのに、ひとりになりたかったから?」
図星だったのか、口元だけ笑みを浮かべて固まってしまう。
あの時はかっこいいと惚れ直したたのに……理由を知ると最悪の気分である。こんなことなら知りたくなかった。
だけど神作がそこまで興味のあるものなら私も体験してみたくて、負い目もあったからかお願いしたら「手足のプランなら…」としぶしぶ了承を貰えた。
「男か女、どっちが良いかしら?」
「へぇ……マッサージ師さんの性別も選べるんだ。じゃあ、女性で」
「分かったわ。こちらへいらっしゃい」
カウンターのお姉さん自ら施術してくれるのか、招かれてカーテンで仕切られた奥の部屋へ入っていく。
カーテンの向こう側には、現世でも見かけるよくあるマッサージ機のような黒い革製の椅子が置いてあって、そこにそっと座らされた。
お姉さんがリモコンを操作すると椅子は程よい角度に倒れ、アロマを炊いたタイミングでもうひとり綺麗な女性が入ってきた。
マッサージはふたり体制で行うらしく、ひとりは足元に、ひとりは椅子の肘掛けにお尻を乗せる形で私の手を持った。
まずは小瓶からとろりとした液体が出され、塗りこまれていく。
……意外と普通かも。
「緊張、してる?」
全然やらしくない、なんならすごく丁寧で気持ちいいマッサージだなぁくらいに思っていたら、不意にお姉さんの息が耳元にかかった。
触り方も変わって、皮膚の上をツツツ…と撫でる指先がくすぐったくて、肩をすぼめる。
全然緊張なんてしてなかったけど、この一言で変に意識しちゃって謎の緊張感が体を包んだ。
「体の力、抜いて……大丈夫。気持ちよくなるだけよ」
「へ?き、気持ちよく…?」
やらしい気もする発言の後で、それまで優しかった足つぼマッサージが途端に豹変して、力強く足裏を押された。
不思議と痛みは無く、もどかしさが解放されるような刺激がかけ巡って脳を満たす。
「んっ……あ、やだ。まって」
未知の感覚に戸惑いながら止めようと体を起こしたら、そっと肩を押されてぬるりと指同士が絡んだ。
「だーめ。まだまだ、本番はこれからよ…?」
「う……あっ、は…そんな、ぐりぐりしちゃ……だめ…」
手と足を同時に揉みこまれ、耳のすぐそばで「リラックスして」と囁くやけに艷やかな声によって、ゾワゾワとした感覚が広がっていく。
自分でも恥ずかしいくらいに吐息が荒くなって、声が漏れて、体がビクついても、全肯定してくれる心地のいいお姉さんの声色のおかげで次第に体の力は抜けていった。
「あ…っ、あ、それ、きもち……」
欲しいところに貰える刺激が、なんとも言えない快感を与え続けて――結果。
「はぁ〜……最高。きもちかった…」
何がなんだか分からないまま、終わる頃にはもう私の思考はとろけきっていた。
やってもらったのは手足だけのはずなのに、全身のコリがほぐれたかのように体が軽く、ぼーっとした頭でふらつきながら部屋を出る。
待合室で待っていた神作は、私の姿を確認するやいなやそばまで駆け寄って、肩を支えてくれた。
「いかがでしたか、李瑠様」
「もう、最高だった!きもちよくて死んじゃうかと……でも、普通にただのマッサージって感じだったわね」
神作があんなに隠したがるからもっとえっちなお店かと思ってたけど、予想に反して健全だったことには驚いた。そして、こんなに気持ちいいなら人気な理由も頷けた。おまけに経験値が得られるんだから、まさに最高のレベル上げだ。
「高いけど、払う価値はあるわね。一番高いやつだともっと気持ちいいのかな?プラン見てみよ」
「あ。まっ……李瑠様、お待ちください!」
「ん?」
また来てみたいなーって純粋な気持ちでカウンターに貼ってあったプラン一覧を見て、こそこそここへ来た理由がようやく判明する。
止めようと動いていた神作は、やっちまったと言わんばかりに額を押さえた。
「ふぅん……なるほどねぇ」
プランは全部で4種類。
私の受けた手足、それから上半身と下半身。そして――
「大人限定、極上全身プランってなにかしら?」
金額が一番上の、神作が選んだであろうプラン名を伝えたら、彼女の顔がゆっくりとそっぽを向いた。その時点で疑惑は確信に変わる。
年齢的にアウトと言われたことも、辻褄が合った。
「神作」
「れ、レベルは上がりました。……色んな意味で」
「おい。大人の経験値上げてどうする」
腹立たしいことに開き直ってふざけようとした相手の胸ぐらを掴んで詰め寄る。
まさかこんなにもむっつりスケベだったとは知らなくて、この怒りをどうぶつけてやろうか考えていたところに、さっき施術してくれたお姉さんが戻ってきた。
「あ……あなたは、ふたなりオプションの」
「はい!?なんで急にそんな発言……李瑠様の前でおやめください!」
「ふたなり?なにそれ」
知らない単語が飛び出てきて、怒るどころじゃなく眉をひそめた私に、神作は目を泳がせながら言い訳を始めた。
「せ、せっかく異世界に来たので、現世では出来ないことを経験してみたくてですね、これは本当に、その、他意はないというか」
「ふたなりって…」
「李瑠様、世の中には知らない方が良いこともあるのです。マッサージを終えたならもう帰りましょう!」
「あ!ちょっと…!」
早口でまくし立てて、私の手を引き歩き出した神作に連れられて店を出る。
結局、外へ出てからも宿に着いてからも、はぐらかすばかりで大人限定プランを使ったのか、ふたなりとはなんなのかすらも分からずに終わった。