転生なんて、必要ない
転生なんて、必要ない。
生まれ変わってお嬢様になるとか、異世界でチート能力を使って無双するとか、現世で叶っていたらそんなものを望むことすらない。
日本有数の財閥と呼ばれている真行寺家に生まれ、金も権力も持て余すほどの私――真行寺李瑠にとって、転生モノなんてジャンルは失笑するほど価値がない。
不動産から始まり、ここ数年はゲームやAI関連の事業にまで手を出し、業績を伸ばし続けている我が父が持つ財閥には、万札で床掃除をしても困らない程には潤沢な資金がある。
世の中の大半は金でどうにかなるし、幼い頃から受けている英才教育のおかげで知能も高く、母に似たおかげで生まれ持った容姿にも恵まれている。
チート能力はないけど、もはやチートとも言える財力と才能のおかげで人生イージーモード。まさに勝ち組。
齢十六という若さにして、欲しいものは難なく手に入れてきた。
……恋愛に関すること以外は。
「李瑠様、就寝の時間です」
「やだ。まだ寝たくない」
「明日は会食が控えておりますので、早めに…」
「神作が一緒に寝てくれたら、すぐ寝れるかも」
ベッドの上、誘い込むように毛布を捲くって待ってみても、返ってくるのはピクリとも動かない無表情だ。
「……李瑠様ももう高校生になります。いつまでもひとりで眠れない子供のようでは困ります」
期待を下回る苦言を貰って、肩を竦ませる。
誰も入ることのなかった毛布をおろして仰向けになれば、丁寧な仕草で鎖骨の辺りまで掛け直してくれた。
前屈みになって、私の髪を整えるためか伸ばされた手と、その向こうにある静かな顔を見上げる。
横髪を耳にかけるついでに頬に手が触れて、冷めた体温がなんとも彼女らしくて心を落ち着けると同時に、心臓はとくりと跳ねた。
「眠れないのなら、絵本の読み聞かせでもしましょうか」
「私、そこまで子供じゃないんだけど」
「……そうでしたね」
変わらない表情の中でも、瞳には寂しさが宿ったのを察して、こっちまでつられて寂しくなる。
お互い年を取って、私だって少しは大人になったのに、嬉しくない。昔の方が何も気にせず仲が良かったことを踏まえたら、むしろ大人になんてならない方がいい。
「ねぇ……神作」
「はい」
「明日の婚約者との顔合わせ、行きたくないって言ったら?」
「それはなりません。……旦那様が悲しみますよ」
「でも私、結婚なんてしたくない」
困らせると分かっていても、駄々をこねるのと変わらない言葉が口をついて出る。案の定、神作は僅かに眉尻を下げた。
真行寺家の一人娘である私は、生まれた時から親が決めた婚約者と結婚することが決まっている。男が生まれなかったということもあって、子孫を残すことは重大な使命であり、逃れられない運命でもある。
財閥の繁栄のためには、致し方のないことだ。そう頭で理解しているけど、内心は嫌で嫌で仕方ない。
だって、私が好きなのは神作だから。
幼い頃からそばで面倒を見てくれた、専属の使用人である女性――神作使は、片思いを募らせている相手だ。
どんな時でも支えてくれて、見守ってくれた彼女を好きになるのは必然的だと思ってしまうほど、共に人生を歩んできた。その彼女とは、女同士だから当然のように結婚できない。
これまでの人生、欲しいものはほぼ全て何もかも手にしてきた。
そんな私でも手に入らないものは……何を隠そう、今目の前にいる神作のみだ。
「神作は……私が結婚してもいいの?」
「はい。喜ばしいことです」
「本当に?」
「本当です」
嫌な気持ちなんて微塵も感じさせない彼女は、私がまだ小さかった時にしてくれた約束を忘れている。
「……前に、約束したじゃない」
「?……何を、でしょうか」
「大きくなったら、結婚してくれるって」
思い出させるように言えば、記憶が蘇ってきたのか「確かに」と面食らった表情を見せて、そのすぐ後で小さく笑った。
「残念ながら、今日で婚約破棄ですね」
「ひどい。そういうこと言うんだ」
「はい。私は李瑠様と結婚できませんから」
慰めることもなく、こういう時ばかり砕けた笑顔をする神作が憎たらしく感じて背を向ける。
「だけど、どうしてもと言うなら、夢の中でまた会いましょう。そこで式を挙げればいいのです」
まるで子供を諭すかのように届いた声は優しくて、今の自分にとってはそれが胸を苦しくさせるばかりでつい無視してしまった。
返事をしない事に呆れたのか、ため息をついているのが呼吸の音で分かった。
「……明日が楽しみですね」
私は全然楽しみじゃない、なんなら嫌気が差すほどだというのに、もはや嫌味にも聞こえる言葉を残して神作は部屋を出て行った。
転生なんて、いらない。
彼女が手に入らないなら、現世でも異世界でも私にとっては地獄そのもので、どこにいたって変わらない。
だけど、もし。
もし仮に転生とやらができて、その世界で神作とふたり、なんのしがらみもなく幸せに過ごしていけるのなら。
いつの日か転生してみたいと。
愚かな希望を胸に、来ないでほしい明日を迎えるための眠りに落ちるのだった。